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スピノザ『エチカ』読書会

337nobunag:2022/10/26(水) 05:12:55
ムラタ様
一段落目最後の一文「ゆえに徳を熱心に追い求める各個人は〜」の「ゆえに」であります。
よろしければこの「ゆえに」が論理としてどう繋がっているのかご教示頂けたら幸いです。
「善とはものを認識することである」ということがどうして「徳を熱心に追い求める者が、善を自分以外の他の人々のためにも欲求する」ことに繋がるのでしょうか?

>これは、定理37の証明をたどると、①理性の導きに従う限り、人間にとって人間は最も有益な存在である(第四部定理三十五より)
しかも、理性的な人間にとって、理性的な人間は最も有益な存在であると第四部定理三十五及びその系に明言されています。
従って、②理性の導きに従う場合、人間を理性の導きに従って生活させるように努めるであろうと続き
③有徳的に働く人=理性の導きに従って生活し自己の有を維持する人、が欲求する善は、(妥当な)認識である事が、定理二十六によって確認されます。
以上より、有徳的な人=理性の導きに従って生活する人が、善=即ち妥当な認識を自分以外の人にも求める事になります。
なぜならば、理性的な人間にとって理性的な人間は最も有益な存在である為、理性的な人間は他の人間もまた理性の導きに従って生活させる様に努める事になるからです。


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