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スピノザ『エチカ』読書会

142横山信幸:2019/09/26(木) 22:10:17
>>141
久保さん、ありがとうございます。
なるほど、様態が可能無限ではないこと、少しわかってきたかもしれません。
しかし、もう少しこだわって可能無限的な捉え方ができないかという考えを無理して引っ張ってみます。


人間自身も世界のなかにある実体であるところの存在者なのであるから、その認識の仕方も認識の内容も最初から無限に完全に決定されている。だから人間の認識の様式としての様態も、(ある意味では人間の側の視点による「偶有性」があるとすることができたとしても、)すべてこの世界において完全に必然的なものである。
しかし、それはもしかすると「その人間の認識がその世界をどう理解するかが不完全で不十分なものでしかない」ということが、完全な必然性において決定されているものかもしれない。

そのように考えたとき、
その「様態の偶有性」というものは、
我々が神の視点にたって語ろうとするときには必然的な決定として語られ、
我々が幼子の視点にたって語ろうとするときには決定されるかどうか分からない偶然的なものとして語られるものになるでしょう。

そのように捉えるとするなら、そこで語られる「様態の偶有性」は、すでに決定されているわけですから、
もはや「可能無限」とされるべきものではないかも知れません。

しかし、僕はそこに、実無限でありながら、可能無限でもあるとするような捉え方が残されてるような気がして仕方ないのです。
木材から像を切り出す時のその切り出し方がすでにはじめっから決定されていたのだとしても、それでも、切り出す人間にとっては、切り出されない限りそこに像は隠されていず、発掘されるのではなく、切り出されて初めて発明される。



という捉え方は無理筋でしょうか。ある意味で、「様態の偶有性」を掴めてるんじゃないかって気も、まだちょっぴりとしてるのですが、ダメですかねえ。


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