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スピノザ『エチカ』読書会

118横山信幸:2019/09/25(水) 14:12:38
久保さん、
たしかにスピノザは、様態がことごとく実体に対応するとしているようで、その無限には違いがないと言ってるように思えます。
しかし、中公クラシックス「エティカ」4ページの図のスピノザの属性について「神の属性は無限に多くあるが人間に認識しうる属性は思惟と延長だけ」とし、様態について「思惟の様態」と「延長の様態」としてるのをみると、
様態はやはり人間の認識アイテムであって、実体の無限と様態の無限には明らかにレベルの違いがあるようにも思われます。

そうすると、「定理47人間は永遠・無限の本質についての十全な認識をもっている」の「十全な認識」というのは、「人間がそこに持ち得る認識以上に世界の無限の本質を認識できることはあり得ない」という感じの意味でしかないのじゃないかって考えたのですがどうでしょうか。
もちろん神の無限と人間の認識の無限にはレベルの違いはあるのだろうけれども、そんな超越的な存在者があるとか無いとかを問うことに意味があるはずもなく、それゆえ人間の認識の無限は常に神の無限に到達可能である。ただし、それは到達可能だというだけで、すでにもっているとは限らない。
という風な感じの話のような気がしました。

来月の大阪哲学同好会ドゥルーズの発表で、「存在の一義性」についても取り上げたいと思ってるのですが、この「十全な認識」は個物や神や存在自体が一義的ではないとしたアリストテレスやトマスに対して、つまり、世界の個物を語る言葉は一般的な存在者を語る言葉で語れるものだけがそのすべてだと、つまり一義的でなければならないはずだということを言っている「存在の一義性」についての主張なのではないのかって、思ったのですがどうなのでしょうか。


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