したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

徒然なるままに

1ラピ。:2013/07/16(火) 21:58:38
日々感じたことなど、お気楽に書き込みください!

2あーみん。:2013/08/04(日) 13:32:39
本日のラピ。さんのブログ「真実の私」を読ませて頂きました。
すごい!!目からウロコが落ちまくりです!!!!

で、ここからの内容は思いっきり余談ですので、
こちらの板をお借りして、つらつらと頭に浮かんだことを
書かせていただきたく、お邪魔いたしました^^

ラピ。さんのお話を読んでいて、思い出した小説があります。
随分昔に読んだ「ループ」という小説の中で、
人間がコンピューターを使って創り出した「仮想現実」
というものが出てきました。

膨大な数のコンピューターを繋げて、
地球上の生物の進化をそのままコンピューターの中で再現させる、というプログラムを創り出し、
わずか十数年程で、単細胞生物から現在の人間による科学文明まで、
順調に進化させる、というところまで成功させます。

あまりにも現実と寸分違わぬ世界が出来上がったため、
プログラマーたちは驚愕していたんですが、突然思わぬ方向へと
その「仮想現実」が向かい始め、現実世界にまで影響を及ぼしていく。。というストーリーでした。
まあ、「マトリックス」のはしりのような内容ですが、「マトリックス」よりも古い日本の小説です。

(前置きが長くてすみません^^;)

その「仮想現実」というプログラムの中の、ひとりの登場人物(といってもその人物もプログラムでしかなく、実際には存在しません。本人は自分が存在していると思い込んでいます)が、その仮想現実の中である考えを持ちます。
「もしかしたらこの世界の外側に、こっちの世界を全て操っている存在がいるんじゃないか?」と。

小説の中では、プログラムでしかない一人物がこんなことを考えるようになることは予想外の出来事、という扱いでした。でも、現実世界と寸分違わぬ世界が出来上がってしまったのなら、それも当然の進化の過程だったといえるかもしれません。

私はその小説を読んだときにふと気づいたんです。
その「仮想現実」の中のプログラムでしかない存在が、どんなにあがいたって、それを創り出した「現実世界」=「外側の世界」のことを知ることは、絶対に出来ないんだ、と。
出来ることは、それを想像してみることだけなんだ、と。

もし、知ることが出来るとしたら、それは「外側の世界」の人間が、仮想現実の中の特定の人物(外側を知りたい=悟りたい?人物)に「外側の世界を知る」というプログラムを加えたときだけなんだと。

それが悟り系?の本などでよく出てくる「神の恩寵」なのではないか?と。。

すみません、ラピ。さんの刺激的なお話で、私の妄想が膨らんじゃいましたので、
思いつくまま書かせて頂きました。どうぞ受け流して下さいませ〜^^;

3ラピ。:2013/08/04(日) 18:46:43
あーみん。たん こちらにもようこそ!
(*・ω・*)ポッ

へぇええ!
なかなかよく考えられた話ですね。

あーみん。たんの推理では「神の恩寵」ということですね。

悟りで言えば、実はそういう創造主や神みたいな、外から受ける恩寵は
無視すべきものとなっています。

かつて私が実践してる時に、自分の斜め上方向から幸せな意識みたいなのが
流れてくるのを感じたことがありました。(至る最後のほうの話です)

とても幸せな感覚になりました。

その斜め上方向に意識を向けさえすれば、幸せな気持ちになるのです。

「これこそ愛!なにかが私を助けてくれているんだ!」なんて思ってました。

実はこれも幻で、いわゆる魔境と言われているものです。
ここで立ち止まったらそれで終わり。

悟りは最後には神をも捨てる、と言われていますよね。

ここで「自分は神の世界にいるんだ!来たんだ!」と思って
それで悟ったと思っている人もいると思いますが、違います。

それは、相対次元にまだいます。

至った次元にそんな分離した神はいません。

(何度も言ってるかもですが)その神の愛とは
自分が意図しなければ得られない愛であり、
自分が愛そのものになったわけではありません。

まさしく相対的次元の神でありその次元での想像の範囲を超えていません。

そして外から得られる愛は明らかに自分と分離してる愛です。
本物ではありません。

余談ですが悟りの道の延長上に悟りがあるわけではなく
激流を渡り終えると ふと違う次元にいた、という感じです。

その次元の間にあるのが激流です。
次元を超えることは、簡単なことではありません。

次元を飛び越えるのには勢いが必要で、
その勢いによりかなりの抵抗が起こります。
この抵抗が激流とも言えます。

悟りの道、という表現をすると、その道をずっと歩いていると
いつかたどり着けるような感じがしますけど
実はそういう直線的なものではなく次元が違うという感じかな。

(*・ω・*)ポッ

4あーみん。:2013/08/04(日) 23:11:09
わ〜、こんな妄想話に付き合わせてしまってすみません〜!(汗)

あ、ところで私の「神の恩寵」という書き方がまずかったかもなんですが、
今の私の捉え方でも、もう自分と「分離」した「神」というものはいないんだ、
という解釈になっております。

前回もちょこっとお伝えしたのですが、私は「津留晃一さん」のメッセージが
大好きだったので、津留さんの言葉はそのまま鵜呑みにしていました。
(いえ、今でも強い影響は残ったままです^^)

その津留さんを始め、私が読んできた覚者の方々の本での大前提が、
この宇宙のすべてが「わたし」であって、この世界には「わたし」しかいない。
つまり「わたし」=「神」なのです、と。

なのでこの「神の恩寵」の「神」は、言い換えると真我、とか、宇宙、とか、
ハイアーセルフという捉え方でした。。ってそんなこと書いてないから
分からないですよね!失礼しました。^^;

私の場合は悟っていないので、何も知らないということは知っているのですが、
神については「そう信じている」というレベルです^^
上記の説とラピ。さんから見えている(知っている?)世界は同じですか?

で、私がこの「ループ」の話を持ち出して何が言いたかったかといいますと、
(すみません、最初の文章は何伝えたいのかさっぱり分かりませんよね^^;)
コンピューターの中の人工プログラムが、まるで人間のように
思考することが出来たとしても、そのプログラム内に蓄積されているデータを元にしか
思考出来ないわけで、それをはるかに超えた知識を持つプログラマー側の世界
(つまりプログラムにとっては高次元の世界)については、
絶対に分かるはずもないことなんだ。
それはつまり、この3次元世界で3次元レベルの思考をどんなに駆使しようと、
決して、それ以上の高次元の世界を理解することは不可能なんだ、
ってことが分かった気がしたんです。
平面だけの2次元の世界と、空間のある3次元世界がかけ離れた世界であるように。

そんなことが、ラピさんの今日のブログを読んで頭に浮かび
なんだかラピ。さんに聞いて頂きたくなっちゃって、こんな文章に。。^^;
スミマセン!

とにかくまだまだ自我のおしゃべりが止む気配がないってことだけが
はっきりと分かります〜^^;
く〜!実践やるぞ〜!

ラピ。さんいつもありがとうございます!


































































































(何度も言ってるかもですが)その神の愛とは
自分が意図しなければ得られない愛であり、
自分が愛そのものになったわけではありません。

まさしく相対的次元の神でありその次元での想像の範囲を超えていません。

そして外から得られる愛は明らかに自分と分離してる愛です。
本物ではありません。

余談ですが悟りの道の延長上に悟りがあるわけではなく
激流を渡り終えると ふと違う次元にいた、という感じです。

その次元の間にあるのが激流です。
次元を超えることは、簡単なことではありません。

次元を飛び越えるのには勢いが必要で、
その勢いによりかなりの抵抗が起こります。
この抵抗が激流とも言えます。

悟りの道、という表現をすると、その道をずっと歩いていると
いつかたどり着けるような感じがしますけど
実はそういう直線的なものではなく次元が違うという感じか


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板