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悟りを目指している方
80
:
TK
:2013/08/21(水) 17:43:02
ゆうこさん
>私は、1級障害を持つ子を産んだ責任もあって
>肉体とか健康に関しても一生懸命ではありますが
>そういう「家と仕事だけの日々しかない狭い人間だ」と思う卑屈な想いが
>TK師とらぴたんの掲示板を読んで、
>「これでいいんだ」って気がしてきたんです。
実践にはとても向いている環境ですよ。
実践前の以前の私は「仕事と呼ばれるものが嫌い」でした。
ただし実践を始めてからは、とにかく遊びと思われる時間は自分の生活の中から一切排除しました。
実践時は単純な生活ほどいいのですが、家と職場の往復の単純な生活、
家でも時間があれば仕事関係のマニュアル書を読む毎日。
ほとんどの知り合いからも縁を切られました(今は縁も復活してますが)。
自分の生活を仕事以外のものが無いようにして、分かったことがあるのです。
遊びと仕事の違いと言うのは何だか分かりますか。
両方とも物理的には同じ仕事なのです。
遊びでドライブをする、仕事で運転業務をする、遊びでパソコンゲームをする、
仕事でパソコンのモニタを見てキーを打つ。
遊びも仕事も物理的には両方とも同じ仕事をしているのです。
両者の違いはただ一つ、自分の思うようにできる物理的な仕事が遊び、
会社に縛られ、上司に縛られ、客に縛られ自分の思うようにできない要素の強い物理的な仕事が仕事なのです。
両者の違いはただ一つ、「思うように」出来るか出来ないか、その違いだけです。
だから、この「思うように」さえ何とかしてしまうと、遊びも仕事も両方とも違いはないのです。
そして、それを何とかしたのが我々なのです。
遊びも仕事のようであり、仕事も遊びのようであり、どちらも何もやってないようであり、楽しくて快適です。
とにかく日常生活の中の自分の「嫌い」なものを見つけたら、徹底的に向かっていくという事、
これが実践でありその人のテーマあり、悟りに必要な自分を追い込むための一要素なのです。
カルマ論的に言えば、自分の周りの環境こそ自分のカルマの結果としての表れなのですから、
その中にカルマ解消の糸口がある、その手段が「嫌なもの」に向かっていく事なのですね。
カルマ論と言うのは否定者もたくさんいるのかもしれませんが、神を信じると効果的な実践に役立つこともあるのと同じ事で、
実践の効果的な方便として役立てられるものなのです。
メンタルの変容も「嫌なもの」に向かっていく事でなされるわけですので。
釈迦もそのような方便という意図でカルマ論を持ち出していたと思います。
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