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悟りを目指している方

439ラピ。:2013/12/17(火) 22:25:06
☆TK師

私の体験談ですね。

んと、私はかつて幸せ感に包まれていました。
至るちょっと前まで。

限界までがんばってやっと得た境地だったので
それで満足していました。

その幸せとは頭上斜め前から降り注ぐ幸せでした。

はい、幸せ感がありました。

ただし、気づきました。

この幸せは「斜め上の何か」に
自分の意識を向けている時だけ受け取っていると。

「斜め上の何か」に集中している時
幸せを感じているのだと。

では、その「斜め上の何か」を忘れてしまったら、、、?

とりあえず ひたすらその頭上斜め前にチューニングするようにしました。
(それを実践としていました。
実践ができるのだからイコールまだ至ってない、ということなんですが)

はい。幸せ感がありました、その時は。

でもその時もその時なりに少し違和感を感じていました。

なぜ、そこに集中しなければならないのか。
なぜ幸せを得るために、意識を働かせていかなければならないのか?

もっとオートマティックに幸せでいられないだろうか。
何もしなくても勝手に幸せってないのだろうか、、、。


そもそも意識を向けることができたり、集中できる状態は
まだ至ってないんですね。

「幸せを得た」

この状態ではまだ至れていないんですね。

私もそうでした。

実はこの頭上斜め前のなにか、
もしこれを真実の幸せだと思い、ずっとそこに意識を向けていたなら
今の私はありませんでした。

その幸せ感、もしかしたら
ずっと続けることができたかもしれない。
そこに意識を向けたとき限定で。

でもそれをずっと続けていたなら
私は幸せも不幸せの存在する世界に
ず〜っといたでしょう。

最終的にはその幸せ感を手放し
師の言葉を信じ、
激流に飛び込みました。

幸せ感がやってきたら
即座に切り捨てました。

外からやってくる幸せは偽物だと
師から教わりましたから。

その通りでした。

幸せ感を持っていては至ることができません。

「幸せになりたい」

それでは至ることができません。

幸せになりたいのなら
不幸も存在する世界でないと無理なのです。

幸せと不幸せを繰り返す世界は私はもうこりごりでした。

だからこそ
幸せも捨て続けました。

「私は幸せだ!」といった瞬間
不幸せも同時に存在します。

そんな世界がいいのなら別ですが
私はそんな世界が嫌でした。

かつて私は幸せを得ていました。

でもその幸せすらも捨てることによって
幸せを超えたそれそのものになりました。

ありがとうございます。


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