したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

悟りを目指している方

356TK:2013/12/08(日) 09:12:28
>至った方は無限の海のごとく、掴み所もなく、至らないものには波しかとらえられず決して勝てないということを感じております
>特にこの次元の低い現れの世界では

我々にとって勝ち負けはありませんが、我々の所に至るまでは常に戦いです。

自らの理想の実現のための戦いです。

スッタニパータ561
>わたしは神聖な者であり、無比であり、悪魔の軍勢を撃破し、
>あらゆる敵を降服させて、なにものをも恐れることなしに喜ぶ。」



>また、この低い次元まで降りて表現していただいているだけでも稀な事なのかなと感じます
>日本で至った方で表現されている方は数人ぐらいしかいないのではと思います

この物質世界で肉体をまとっている内は異次元間交流は容易です。

>その中でも高次元では同じでしょうが現れの世界では様々なタイプがおり、あぶり出しに関してtk様以上の方はみかけた事がありません
>見えていても表現をあえてしない覚者もいらっしゃるとは思うのですが

至った我々の眼は特殊です。

問題部分を見抜けるあるがままの眼を持っています。

これがメンタルの修得即ち、
剣禅一致で獲得できる千手千眼(意識の焦点機能の消滅)、
釈迦は識別作用の消滅と呼んでいます。


不動智神妙録 第二節 諸仏不動智 沢庵禅師
>葉一つに心をとられ候はゞ
>残りの葉は見えず、
>
>一つに心を止めねば
>百千の葉みな見え申候、
>
>是れを得心したる人は、
>即ち千手千眼の観音にて候


スッタニパータ734
>およそ苦しみが生ずるのは、すべて識別作用に縁って起るのである。
>識別作用が消滅するならば、もはや苦しみが生起するということはあり得ない。


イエスは「梁を取り除いた目」と表現しています。

梁を取り除いた目を獲得すれば、はっきり見えるようになるので、そうしたら、
人々の抱えているちりを見抜いて取り除くことが可能になると言っているのです。


マタイの福音書 7章3-5
>また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、
>自分の目の中の梁には気がつかないのですか。
>
>兄弟に向かって、
>『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。
>見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。
>
>偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。
>そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。



>特に賞賛というわけでもなく感じるままにコメントさせていただきました

必要のない人には必要なものではありません。

必要になった時に求めればいい、しかし、
我々のような者がごろごろその辺に転がっているわけではありませんし、
私とてラピ。さんが成就したのでその言語化練習のお付き合いでここでのスタンスを一時的にとっているにすぎません。

つまり、
一人の人間が一生涯の中で何人出会えるかわからないような中の一人という事になると思います。


スッタニパータ559‐560
>わたしに対する疑惑をなくせよ。バラモンよ。わたしを信ぜよ。
>もろもろの<さとりを開いた人>に、しばしば見えることは、いともむずかしい。
>
>かれは(さとりを開いた人々)が、しばしば世に出現することは、
>そなたらにとって、いとも得がたいことであるが、わたしは、
>その<さとった人>なのである。
>バラモンよ、わたしは(煩悩の)矢を抜き去る最上の人である。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板