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悟りを目指している方

111ラピ。:2013/08/25(日) 18:50:38
みなさまこんにちは!

師匠、ありがとうございます。

私の実践には4つの時期があるのですが第2の実践の時に
ある程度のメンタルはできていたと思います。

この第2の実践の時に彼岸に渡りかけたのですが
戻ってきてしまいました。渡りきることができなかった、、、。

でも、片足を突っ込んで帰ってきただけでも
メンタルに影響は十分ありました。

第3の実践時は確かに「楽」はある程度 実現できていたかもしれません。

まず、エゴの声が気にならなくなっていました。
だいぶ、静かになっていたと思います。
エゴの声は実践の邪魔をします。でもそれが少なくなっていました。
それでもエゴはまだいましたのでたまに騒いではいました。

でも、気分を切り替えるのは上手になっていたと思います。

あと、彼岸に片足を突っ込んだ時に得たものは「からっぽ」でした。

私はこの彼岸の経験により、頭をからっぽにすることができるようになりました。
でもこの「空っぽ」のためには
「自分」が「そうする」という意志が必要でした。
「自分」=「自我」であり、まだ自我がしっかりとありました。

常に空っぽではなく、「常に空っぽでいよう」という空っぽでした。
自分が意図しての空っぽです。
確かに状態は「空っぽ」ではあったのですが
空っぽそのものではなかったのです。

至れば「自我」がなくなり、空っぽそのものになるのですが。

私の実践の中で思い出すと一番役に立ったのは
「自分を捨てて」でした。
自分の声を無視することでした。

この声を無視すると、「大変だぁ」という声も無視できるのです。
そしてとことん実践することができるのです。

ちなみに第一の実践の時は子供だったということもあったのか
「大変だぁ」と思った記憶がほとんどありません。(当たり前にしていた)
大変だという声が起こる前にそれを無視して素直に実践していたのだと思います。

「自分を捨てて」はどの実践でも役に立っていたと思います。
その時はそれを当たり前にしていました。
ひたすらしていました。

第2の実践の時に私は激流を経験しています。
そのまま行けば 確かにその先に彼岸があったのでしょう。

でも正直言うとその時はとても「怖かった」です。
この「怖い」というのも実は自我の声で、幻ですけど。

でも実践し続けていると、(何が何でも実践していた。)
「怖い」と思っても激流にすでに飲み込まれていたので
そしてそこから逃げようとは思ってはいなかったので
ひたすら激流でした。

そしてある瞬間、何かが止まった感じがして我に返りました。

その時自我の消滅は起こりませんでした。

そして彼岸に渡りかけた後の私は、この相対的世界(此岸)に戻るのも大変でした。
私は此岸に生きるために波動を落とし、此岸に戻ってきました。

実は第2の実践で起こったことがどういうことだったのかは師に教えてもらって知りました。
だから彼岸に足を突っ込んだことも、
波動を落として此岸に戻ってきたことも、後で知りました。

それまではその経験が一体何だったのか、わかってませんでした。

私はその時、悟りに対する知識(悟りがどういうものなのか、とか)がほとんどなく、
でも実践し続けて勝手に渡りかけたのでした。

続きます


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