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TK師との会話
102
:
TK
:2013/10/13(日) 11:01:39
私は決死の状況で激流を渡ったが、
はたしてこのような道を他の者が渡れるものだろうかと思った。
何人もの自称道の者と言う者たちに出会ったが、どれもこれも、
私が折角命がけで見つけたものだったが、
いつしか私はもう誰にも道案内などしなくて良いと思っていた。
しかし、少なくとも一人道案内したら至ったんだ、
だからもう一度ここで少し話をしてみている。
ただし、至れる者とそうでない者の違いで気が付いた部分がある、
三止三請と言う言葉を聞いたことがあるが至れる者と言うのは
私が教えないと言えば三度でも四度でも教えてくれと迫ってくる者だ。
大パリニッバーナスッタンタ3・40(ブッダ最後の旅)
>もしお前が修行完成者に懇請したならば、
>修行完成者(=ブッダ)はお前の二度にわたる(懇請の)ことばを退けたかもしれないが、
>しかし三度まで言ったならば、それを承認したであろう。
それくらいの意志の強さの無い者には、教えても無駄だと言うことが分かった、
これは「激流」なのだから、
意志の強さの至らない者は「激流」の流れの方が勝って流されていく。
私は本物の「激流」を説く者だ、
あちらこちらの「緩流」で一生涯賢者ごっこを続けたいような者に私は用はない。
マタイの福音書 16章21-23
>その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、
>律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、
>そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。
>
>するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。
>「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」
>
>しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。
>「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。
>あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」
ヨハネの福音書 13章8-9
>ペテロはイエスに言った。「決して私の足をお洗いにならないでください。」
>イエスは答えられた。
>「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」
>
>シモン・ペテロは言った。「主よ。私の足だけでなく、手も頭も洗ってください。」
「あなたはわたしと何の関係もありません。」はすなわち
「下がれ。サタン。」と同じ言葉として使われている。
ペテロと言う人物の中に住んでいる者がイエスから「サタン」と呼ばれている者だ。
そして、それを釈迦も「悪魔」と呼んでいた。
実は私が実践者だった頃に、私はペテロと言う人物とは違って、
イエスに言われるまでもなく自分で自分の中の「サタンと言う者」を見抜く精度の目があった。
つまり、ペテロがここで述べたような事は私は他者から指摘されるまでもなく、
自らで出来なかったという事だ。
このペテロの言葉の中のどこがサタンだと言うんだと思う者も多いだろう、
私ははっきり言うが、そう思う者が既に「サタンという者」に乗っ取られているからそう思うのだ。
「サタンという者」に自らを乗っ取られていて、それを自分だと思い込んでいて、
さらに気持ち良いとか言っているんだ。
これは、私が述べているみんな次の内容にかかってきているものだ。
>イエスの教えのこの実践内容の本質は何だかわかりますか。
>
>紛れもなく自分独自の意思表示を「従順」を利用して封じるための教えなのです。
他者の意志を自分の独自の意志表現で妨げてはならないという事だ、
これをペテロと言う人物がやった、
だからこの者は「サタン」に乗っ取られた者とイエスから呼ばれた。
イエスが盲人に手引きをさせないのは、
この盲人の独自の意志表現がイエスが話した「サタンという者」に乗っ取られた行為になるからだ。
至った我々に意志はない、すなわち、このようにならなければ、
語る言葉には細心の注意が必要なのだ。
>「あなたはわたしと何の関係もありません。」「下がれ。サタン。」
(続きます)
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