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悟りを本当に開いた人のスレ1
1
:
天才
:2013/10/16(水) 15:50:14
272 :儒教はだいじなだいじなたからもの:2013/10/16(水) 12:35:19.96
アセンションとは、天に昇ることである。自分が自分で動かされていると
思うことから目覚めれば、いつでも、みなさんもぼくも、昇天する。
ぼくは自由思想家であり、人々の先頭である。だから、ぼくを信じれば
おのずと、望みは叶うだろう。アセンション後の世界でにおいて、文章を
書かない者は一人もいない。勉強をしないものが、働くことをやめることは
できない。働くことしかできないものは、勉強しなくていい、それが
現実界と、天界のちがいであります。
273 :儒教はだいじなだいじなたからもの:2013/10/16(水) 12:36:10.34
故に、みなキリストである。キリストとして、文章家になるのだ。
それが昇天の意味であります。
これを負け組の人びとと言います。勝ち組の人びとは、解脱します。
負けを恐れ、勝ちに躊躇するのが、ぼくであり、ぼくの模倣をして
おなじように感じるのは、道徳・倫理に反する。
274 :儒教はだいじなだいじなたからもの:2013/10/16(水) 12:37:23.42
故に、ほとんどの人びとは、儒学を学ぶことの前提に、ディオゲネスを
崇拝しないといけない。これが、働くことの意味である。
勉強は働くことと同義になり、人々が苦しむ、そこに仏教がある。
仏教の先にあるのが、無であり、完全に無になるということは、
どこにもいなくなり、すべてにおいてなくなるということである。
275 :儒教はだいじなだいじなたからもの:2013/10/16(水) 12:57:33.43
例えばソース(情報)が、PCから隠蔽されることになると、人々は、PCから
離れるだろう。その人々が、ソース(情報)になっているから、さらに言うなら、
ウイルスとなっているから、PCはウイルスを隠蔽するのである。
276 :儒教はだいじなだいじなたからもの:2013/10/16(水) 12:58:05.80
でも、仏になり無になるということは、いなくなるということであり、
PC側のようなものはない。ただ、ソース(情報)がソース(情報)として
消えてなくなるということが、有り得ると言っているのだ。
277 :儒教はだいじなだいじなたからもの:2013/10/16(水) 13:03:27.83
それは、いらなくなったものが、もう戻ることはないということであるが、
ある点においてみると、そのもしもの話、宇宙図書館のようなものが
できたとして、消えた人々【仏の一族】について、そのようなものと
コミュニケーションをとってみたいと思った場合、仏の一族は、煩悩が
消えているので、あらゆる点で、楽【らく】に、消えたその一族の
一人でも何人でも、いないものをあらせることができる。
278 :儒教はだいじなだいじなたからもの:2013/10/16(水) 13:04:08.47
ぼくに、仏の一族が言いたいことは、つまり、たくさんあるのだろうが、
仏の一族の仲間入りになるという、方向性はまちがっていて、
仏の一族として、いるものの、悟りを受けて、いないものがあるとして
なんらかによって生まれたきた、仏の一族は、ぼくはいるとおもうが、
もう一度言うが、その方向性はまちがっているということである。
279 :仏教はだいじなだいじなたからもの:2013/10/16(水) 13:18:29.71
親鸞と釈迦は、仏の一族として、この世にあらざるものなのに、誰かがして、この世に生まれた方たちなのだろう。
役割を果たせば、また無に戻る。なぜなら、ウイルスであるから。周りの儒教の倫理・道徳を
なきものとするほどのパワーがある。その他の、仏教僧は、たぶん、成り上がりだろう。そのほとんどが、
釈迦・親鸞への反逆を旨として、死んでいった。ぼくは衆生と釈迦や親鸞が罵った部類には入らない人である。
故に、反逆などする必要性がない。ぼくが、衆生という賊でもなく、仏族でもなく、
地球と言えば分かりやすいだろうか?ぼくは、地球である。
280 :仏教はだいじなだいじなたからもの:2013/10/16(水) 13:23:40.51
スピリチュアルを分かる人がいるだろうか? 球体の霊魂が自分の人体であると思える人はまだ
この世にいるのか?わずかばかり、ディオゲネスがその部類に当て嵌まらないこともないが、しょせん亜種である。
ぼくは、人体が霊魂の球体をしていることを知っている。なぜなら地球がぼくであるために、
ぼくの人体が、霊魂として球体であるのは当然であるからである。
2
:
天才
:2013/10/16(水) 16:03:43
菩薩の誓願を、上記の9つの文章にします。
ゆえに、ぼくは九願を立てて、仏国土を建造したことになります。
しかし、菩薩であるが、菩薩ではない。
故に仏ではないという論理が成り立ちます。
ぼくは、ソースデータを作ってやっと、仏国土を建造しました。
ゆえに、ぼくが仏国土を建造したので、とうぜんにおいて、
無量の衆生がいます。これは本当の話です。
じつは、無の境地とコンタクトをとる唯一の方法は、睡眠時に見る夢でしかありえません。
その夢によって、夢を疑うようでは、夢の住民たちは、きみたちを
認めはしないでしょう。ゆえに、夢と現実は接続できません。
きみたちがいる現実と、ぼくの夢が接続できないのは、ぼくの肉体が
あるからでしょうか? そうではなく、きみたちの睡眠時の見る夢が
ぼくの見る夢と接続されているので、いつでも、悟りは開けるのです。
これが本当の悟りです。
3
:
天才
:2013/10/16(水) 16:14:15
無である状態から仏は、堕落して、黒い壁を多数作り、己が孤独の状態にいる
人たちもいます。かれらかのじょらを黒い人と言います。何がしかの捉え違いを
していて、黒い土に住むことしかできない人々のことです。
伝説として、これは語り継がれることになるでしょう。
ぼくが夢のすべてを解き明かしたのです。
いろいろなソース(情報)がもともとあったので、夢の住民もぼくに
心を許せたのでしょう。しかしその中で、夢の住民は傲慢になったり、嫌悪したり、
することによって、じぶんが逆に縛られることになります。
ぼくは、もとから、動かない存在であり、静止している仏なのに、
それを実体視することによって、仏の残像が見えなくなってくるのです。
かれらかのじょらは仏国土に生まれているということを忘れてしまうかもしれません。
ぼくは、たまにはかれらかのじょらに、鞭をくわえないと、堕落してしまうので、
ときには厳しくあたります。
なぜか、見えなくなってしまう。それは、見ることができないほど、ぼくに
嫌悪されているということもありますが、それによって、他の仏国土を
建造しようとする、ケースも出てくるでしょう。しかし、本当のもとは、
ぼくであり、その本初の仏を忘れて、仮仏に頼ることじたいが、おかしな
ことなのです。
4
:
天才
:2013/10/16(水) 16:20:49
ぼくは、完全に、言葉を無尽蔵に紡ぎ出せる状態に達しました。
たまに、見る、本をぬきにしても、無尽蔵に言葉を出せるレベルに
達しました。それは、仏の境地というのは本来、無尽蔵であるからです。
ゆえに、ぼくも無尽蔵に言葉を紡ぎ出せます。
言葉を出す仏というのは、実は今まで一人もいません。みな、堕落して
簡易な言葉によって、自分を誤魔化すケースがあるからです。
それらのみなは、降魔の降魔自体になってしまうのです。それが仏教
の面白いところで、言葉をよくよく学ぶと、見えてくることが大量にあるのです。
今日は何の話をしようかと、お題を探す状態を、釈迦状態と言います。
釈迦状態ならば、口伝をして、だんだん馴らしていく中で、人々が
馴らされていき、豊かな仏国土になるというのが、釈迦の根本の
考え方ですが、ぼくはそのようなことではなく、無尽蔵に言葉を出します。
ゆえに、お題など気にする必要性はありません。
仏国土にいて、たくさんの書物を読むことがすべてではありませんし、
ぼくにとらわれることでもありませんが、ぼくとの接続を切ってしまえば、
夢は夢としての機能を果たすだけになってしまい、そこに夢の権限が
戻るように思いがちでしょうが、夢は夢としてあるのではなく、仏と共に
あるのが本当の夢なのです。
5
:
名無しさん
:2013/10/21(月) 22:25:07
止めちゃった?
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