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非武装信仰板

2166神の子様:2021/09/13(月) 00:17:56

    谷口雅春師 鎮座降神の詞
 https://www.youtube.com/watch?v=rMZF5XVmWOo

2167神の子様:2021/10/05(火) 21:50:21

 伊邪那岐様,伊邪那美様、ありがとう
 https://ameblo.jp/yoshimizushrine/entry-12701391424.html

2168神の子様:2021/10/06(水) 18:03:59

求めよ、さらば与えられん。
たずねよ、さらば見出されん。
門を叩け、さらば開かれん。
すべて求むるものは得たずねぬる者は見出し、
門をたたく者は開かるるなり

「マタイ伝二十六章六十四節」より

2169転載:2021/10/13(水) 18:52:18

  天国と地獄について
 https://www.yomiuri.co.jp/kodomo/fromeditor/notice/20210803-OYT8T50040/

2170転載:2021/10/28(木) 22:58:21


生長の家会員の個人サークル 谷口雅春先生倶楽部
10月25日 19:04 ·

この世は隠し事ばかりの世界?
生長の家教団といえども例外ではありません。谷口雅宣総裁のfacebookも総裁に意見するとブロックされます。コメントは総裁を肯定するものだけです。多様化を唱えながら実際は教団内の多様性を認めないのは残念なことです。
私は昨年の10月に聖使命会に復活しました。これは生長の家会員として発言するためでした。北海道の旭川教化部で手続きしましたので、旭川教化部の所属となっているはずです。
実名のfacebookは下記ですが、そこでは生長の家の話題は避けています。
https://www.facebook.com/honnenojidai

2171転載:2021/10/28(木) 23:03:10

 大我の大きな世界が諸君の前にひらける 谷口雅春師より
 https://gphate.hatenablog.com/entry/2020/10/27/093434

2172転載:2021/10/28(木) 23:33:57

(靖国に於ては、)人間は既に永遠の生命を得、金剛不壊の身を体得して自由自在を得ているのであります。靖国の神となると云う事は、戦死の最後の瞬間に一切の五根が破壊し、五官の最後の迷いを去って実相無極の自由自在身を得ることであります。靖国の神となると云うことを、「もう死んで存在しない人間を記念に祭る」と云うように考えると大変な間違だと思うのであります。「もう居ない」どころか、迷いの根源であった五根五官が破壊して、却って自由自在の「神の子」たる実相を顕現して、日本の実相たる「浦安国」に現にその崇高なる存在を続けていられるのであります。

(谷口雅春「大日本皇神学序説」『生長の家』第十四輯第十一号 昭和十八年十一月)

2173転載:2021/10/28(木) 23:56:44
灯として光りながら、周りを照らさずにいることができるでしょうか? (2827)
日時:2021年03月25日 (木) 01時17分
名前:長崎の晩霞(風鈴)


雑感 (22424)
日時:2020年01月17日 (金) 23時49分
名前:トキ

 教団をやめるべきではなかったか、というのは難しい問題です。
私は、教団に残り、部内でやれることをしようと考え、鋭意、努力しております。皆さんにもそれを勧めております。
ただ、辞めた場合でも、やれることはあると思います。

雑感 (22433)
日時:2020年01月18日 (土) 08時20分
名前:トキ

 こう言う動きは目立ってはダメなのです。
ですから、極力、目立たないように動いております。 以上。

日時:2020年01月20日 (月) 02時08分
名前:トキ

私は、このような場面では、
一隅を照らす、これすなわち国宝なり 【最澄】
と言う言葉が最適かと思います。道徳再武装運動の人たちが、
「暗闇を嘆く良い、自らが1本のローソクになれ」
と言っているのも似たようなものかもしれません。
教団という巨大な流れがある以上、これを個人で左右することはできませんが、自らが行いを正し、谷口雅春先生の弟子たる姿勢を保つことはできると信じます。
________________________________________________________________________


これ等のトキさんの意見は大層矛盾したものに見えますが如何でょうか?

スレッドタイトルは「一隅を照らす、これすなわち国宝なり 【最澄】」です。
つまり一本の蝋燭となり燃え尽きるまで衆生救済に尽くすとした生長の家立教の精神でありたいとの表明です。
一本の蝋燭の明かりに引き付けられて生長の家は成り立ったのでした。

「鋭意、努力しております。皆さんにもそれを勧めております」と言いながら
「こう言う動きは目立ってはダメなのです。ですから、極力、目立たないように動いております」とはどのような意味でしょうか?

「救済という本来の存在意義を全うせよ」とよくトキさんは言います。暗夜を照らす蝋燭は目立たずにはいられません。
暗い夜道で微かな人家の明かりを見出した旅人は、光に吸い寄せられることでしょう。

「 カンテラを升の下に置いてはいけない」キリストの福音
一、カンテラを灯して、升の下に置く者はいない。反対に、ランプ台の上に置き、家中の者を照らすようにする。(マタイ、第五章、十五)
二、カンテラを灯した後、それを壺で覆ったり、ベッドの下に置く者はいない。ランプ台の上に置き、入ってくる者が光を見ることができるようにする。発見されない秘密は存在せず、知られ、公にならない隠されたことはなにもない。(ルカ、第八章、十六、十七)

2174光明・第一掲示板転載:2021/11/03(水) 17:35:06

宗教は教なんです、団体じゃない (4615)
日時:2012年12月14日 (金) 09時33分
名前:童子

 
 『人間を救う真理は一つであって、教団とか宗派とかいう団体が救うのではないのです。

 宗教団体に入るとか出るとかいうことは問題じゃないのです。

 そういう団体が、自分の団体からメンバーが減ると、それだけ教勢が衰えるというので、無理につなぎとめておきたというような計らいが起る。


 宗教というものは団体じゃない、教えなんです。

 真理の中に入れば、そのままで平和でいられる。


 生長の家で萬教帰一というのは、そんな団体のことではないのであって、釈迦無尼仏とかイエスキリストとかマホメットとかいう立派な教祖のお説きになった教えは、全部一つの真理をその時代、その人種に適するようにお説きになったので、本来は一つであるという話であって、

 個々別々の新興宗教みたいな枠の中にいるものが皆同じだという意味ではないのです。

  
『白鳩』誌47年3月号 『先生を中心に白鳩たちは語る』での御指導

2175転載:2021/11/03(水) 17:45:45

   天皇の『人間宣言』に関しての御講演
 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/&mode=res&log=998

2176神の子様:2021/11/05(金) 17:28:08

 聖徳太子とムハンマド 仏教とイスラムの共通点
   https://yukashikisekai.com/?p=2645

2177転載:2021/11/07(日) 23:58:23

● 吉田國太郎氏は谷口雅春先生が「弟子ながら先生と呼ぶ宗教的天才」と称された求道・篤信(とくしん)の直弟子で、最初の出会い、本部で開かれた「体験談=自身の悟り」を早速、翌日の東京・音羽の護国寺の『甘露の法雨』講義(第一回補い十年六月)で「からっぽの話」として紹介しておられる(頭注21巻30〜32頁)。如何に雅春先生が感動されたか、想像に余る。(右の30頁の一行目にある「昨日」及び護国寺講演の日につき、浦和の太田栄氏に調べてもらったが、当時の「生長の家」誌に記載なき由。吉田氏の本部奉職はその直後の筈だが不明。明治45年生で時に25歳)

難解、歯が立たないと言われながら不思議に版を重ね、新版・続巻まで出てロングセラーの『常楽への道』の書き出しは昭和14年3月(29歳)で、谷口雅春先生が講習会で何回も長々と紹介朗読された。また『維摩経解釈』の講義に吉田氏の話を引用された。求道・執筆のみでなく、講話・指導でも「吉田君は20万人を救った」と雅春先生に称された。(本誌84号)

2178禁止用語:2021/11/12(金) 02:31:53

 神仏と会話ができるという櫻井識子さんの『神様のためにあなたができること』
 を読むと、あるお稲荷さんを祀る神社で、生前は人間だった女性が
 そこで大病だったのを救われたので、死後も、お稲荷さんや眷属に奉仕している
 という話がでてきます。彼女は普通の人間だったから、神様にはなれないし
 ずっと神社で下働きするような身分なのに、
 その神社に昔のように参拝客がこなくなって
 眷属たちにも仕事がなく、中には荒れる眷属もいるので
 神社復興のために、櫻井さんに神社の宣伝をしてほしい、というのです。
 櫻井さんは、お稲荷さんの意向を聞いてから、必ずブログに書きますから
 と涙を流して約束したといいます。
 相手の女性が、そこまでしないで、というほど、頭を下げて頼むからです。

 それで櫻井さんがそのことをブログや本に書くと、多くの参拝客が来て
 神社に活気がよみがえり、何年後かに櫻井さんがその神社を訪れると
 入口のところで、何体もの眷属霊や、その女性が出迎えお礼をいったといいます。

 それは人間の力が、神社にパワーを与える、人間はすばらしいという
 人間賛歌について書かれています。
 そういうのを読むと、いやいや仕方なく奉職している職員だとか
 投稿禁止になれば、相手の批判をはじめる元本部職員だとか
 なんて低次元なんだろうと、思わざるえません。

2179神の子様:2021/11/14(日) 23:29:10

「私はある逆説に気づきました。苦しくなるまで愛せば、苦しみは消え、さらなる愛だけが残るということに」マザー・テレサ

2180神の子様:2021/11/17(水) 01:43:43

 松下幸之助さんの繁栄は「生長の家」である
 https://www.youtube.com/watch?v=rQCr1qEDHms

2181神の子様:2021/11/20(土) 18:28:32
  
   餃子の「雪松」が児童養護施設に無料配布
 https://www.sankei.com/economy/news/211118/prl2111180059-n1.html

2182禁止用語:2021/11/22(月) 16:27:07

 なるほど。トキさんがいう「組織指導の経験がありますか」
 というのは、こういう意味だったのか。
 https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8238094

2183コピーショップ:2021/12/03(金) 16:08:44
  伝道の意味から転載

「道」とは、俗の世界のなかに存在する人間が正しく生きるために、またその存在の究極的意味をつかむために必要とされている生き方をいう。 だから、広義の伝道は、人々が俗 世間 で本来的な生き方ができるように神から派遣されて働くことであり、 狭義 のそれは、信仰の教えを宣 (の)べ伝えて、より多くの信者を獲得し、制度的拡張を図ることである。

2184コピーショップ:2021/12/06(月) 00:52:36
  敗戦投手の背中は悲しいと、さだまさしが歌った件

>トキさん、業務連絡があります。
>トキさん、事務的にどんどん削除しましょう。
>うのさん、今、生理中?
>南九州では貴女のような人のことをマッチポンプといいますが
>あんたのうんこはだれも見たくない
>貴女のバカは完治しない
>雅春先生を汚すやつは出ていけ
>ぼくにメールしてくれたら、大物の実名を教えます。

 この人は、男のくせにいつでも細かいことばかりいってきて
 そのくせ、一回コールド負け。

 つばめよつばめ https://www.uta-net.com/movie/235563/

2185神の子様:2021/12/21(火) 12:52:04

  2021年末に向けて 小林健からのメッセージ
  https://www.youtube.com/watch?v=bLBFtEoegng

2186神の子様:2021/12/21(火) 13:00:01

  石原裕次郎 我が人生に悔いなし
 https://www.youtube.com/watch?v=YnhIDLdxzAE&t=213s

2187うのはな(シャンソン):2022/01/13(木) 21:40:01
   桜井識子さんのある本を読んで

 ここの低レベル掲示板では、よく濡れ衣を着せられたとか
 間違ったことを書かれるとか、冤罪だとか
 わめきちらしている投稿が散見されます。

 桜井識子さんは、お岩さんで有名な神社を参拝したとき、
 お岩さんがドラマや映画で有名な「うらめしや〜」のお岩さんではなく
 あれらは娯楽物として作られたお話で

 実際のお岩さん夫婦と言うのは仲のいい夫婦で、夫がサムライとして
 収入が低い地位の人だったので、二人とも勤勉によく共働きをし、
 お岩さんはそのとき屋敷に祀られていた稲荷神をよく拝み、
 それで、どんどん豊かになっていったので、後世までそのお屋敷にあった
 お稲荷様が祀られた、というのが事実なのだそうです。

 しかし、お岩さんが生まれ変わって、外国の人間だったときに
 日本のお岩さんというのは、おそろしい化け物として、祟られる人だとして
 有名になっているのを知ってすごいショックを受け、
 死んで霊になってからも、そういう心の傷でがんじがらめになってしまい
 他の眷属霊などがはげましただけではどうにもならない状態だったそうです。

 それが、櫻井さんが真実をブログや本に書いてくれたおかげで
 今の日本ではそれを読んだ人たちが、お岩さんの神社に来て、お岩さん、
 誤解していてごめんなさい、と謝ってくれる人が多数参拝に来て
 お岩さんは傷ついた心が癒されていったといいます。

 そして、櫻井さんに、人間は素晴らしい、お岩さんは今度は人間に生まれ変わって
 私が濡れ衣を着せられ傷ついた人たちの役に立ちたいといったといいます。

 濡れ衣は人を深く傷つける。
 そして、人間は素晴らしい、私も人間に生まれ変わる、と決意させた
 人間というもの、神の子というもの、
 そういったものに、わたしも感謝したいと思います。

2188コピーショップ:2022/01/14(金) 20:27:23

 人間は肉体ではない。霊的実在である。この事実を深く心に自覚せしめるための行事が神想観である。神を頭脳で知っただけでは、神が”わがもの”とはならないのである。全心身をもって神の実在を体感体得しなければならない。それをなすのが神想観である。神想観を怠らず行ぜよ。
 神想観を怠らず行じているうちに「人間神の子」の真理が、頭脳的な知識から、感情的な把握となり、さらに進んで、全生命的な把握になってくるのである。神が単なる理論上の存在や、名称上の存在でなくなって、自己の生命そのものとの自覚を得はじめたとき、私たちの生活は変貌しはじめるのである。(『詳説 神想観』17頁)

2189トキ:2022/10/09(日) 20:42:28
「生長の家」の説くは机上の空論ではなく生命の法則であるから道すなわち生活であるのである。この法則を自分自身の生活に生きるとき「生長の家の生き方」として展開し、他人の生活におよぼすとき隣人への愛行となる。ここに一つの道は展開して生活となりさらに展開して愛行となるのである。愛行のうちに生活があり、生活のうちに道があり、道と生活と愛行とは三位にして一体である。道が生活の上に悟られるときそれは救いの相をもって顕われ、メタフィジカル・ヒーリングとなって、健康境週性格の改善等をおのずから成就する。

生命の實相 第1巻 8ページ

 統一協会などのカルトが世間では糾弾されています。これらの教団は、「人間は罪の子」と教えて、恐怖で支配する宗教で、谷口雅春先生は、「宗教強盗」と喝破されました。

 しかし、生長の家でも、これを他山の石として、謙虚に反省するべきだと思います。宗教をすることが、何か異常なことであるような雰囲気が世間にはありますが、この原因は全て宗教者にあると思います。生長の家でも、戦前、谷口雅春先生がご指導をされていた時期には、この点は行き届き、ごく普通の生活の中に真理を実践するような姿勢が尊ばれました。

 それが、組織が大きくなると、組織を維持することが至上命題になり、組織の都合を信徒に押し付けるようになりました。最近になると、石を拝んでありがたがる異常な信仰を本部が言い出し、それを一部の狂信的な信徒が実践するという異常な状態になっています。

 ここに、私達は、生長の家の信仰の原点に戻り、信仰の本質は、一人一人の「神の子」の自覚であり、生活の向上であると言うことを認識することかと思います。

2190トキ:2022/10/12(水) 11:07:35
 これを消費者側からいいますと、信仰心の深い人は「もったいない」ということをよくいわれますが、なんでも買わず使わずに不自由をがまんして窮屈な生活をしている方があり
ます。 「生長の家」ではそんな節約ぶりには大反対であります。どんなものでも元は神さまが作ってくださったのだからもったいない――そのところまでは同じでありますが、次は
います。わたくしどもでは、つかわないではもったいないからできるだけ生かして使えというのであります。与えられていないものまでを無理をして使うのはいけませんが、写
えられているものを生かさない節約は人類の敵であります。われわれが生命力を出して仕事をした。その仕事をだれも使ってくれなくてはその努力が生きて来ません。物を生かし
て使うということは、人がそれをつくるために注いでくれた生命を生かすということになります。

 この世は持ちつ持たれつの世のなかでありますから、人の注いだ生命を生かすことが自分の生命を生長向上発展さすことになるのであります。

頭注板 生命の實相 第2巻 189ページ

 先日、本部から届いた通達を見たら、

 「この間、機関誌につけて送った”世界平和の祈り”新バージョンを印刷したケードを破棄してください。

 新しいカードを送ります」

とありました。

 なんでも、カードの下部に Seicho-no-ie という文字を印刷するのを忘れたので、全部破棄して印刷して送り直す、という話だそうです。以前、日時計日記のWeatherの誤植を指摘しても無視して、翌年、しれっと直したのと対応が違います。しかし、これはもったいない話だと思います。

 が、逆に、あれをしてはいけない、これを買ってはいけない、というのも、窮屈だし、必要なものを買わず、不要なものを溜め込むのも、循環を止めることになります。

生長の家の要諦は、「感謝」であります。

 私は、昔、ものを買うのも、ものを売るのも、「感謝」の気持ちが大事だと教わりました。この気持ちがあれば、何を買っても、買わなくても、自由だと思います。


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