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「脱力ネタ」板

782初心者:2014/03/24(月) 16:32:00
訊け様

まとめていただいてありがとうございます。

○ (貴殿ご定義の人間中心主義ですが)それに「雅春先生の思想が該当する」にせよ、問題はナイと思います。実際の雅春先生の思想とは、人間を中心にしたものではなく、「神を中心にすえたもの」だからです。

政春先生の教えにもとづいて「問題はない」というのではなく、じっさいに起きていることからどうなのか、ということです。復興Gさんの暴走事件のような問題がじっさいに起きているのです。もちろん本流問題も起きてます。じっさいに問題が起きているのに「問題はない」というわけにはいかんでしょう。

なんどもいいますが、わたしがいっているのは、言表と出来事とを一致させようとすることの問題点です。「虚説」と言表すれば、その人のなかで、矛盾がないはずの総裁が虚説となってしまうことの問題点です。「教えとはちがう」といわれても、じっさいにこういう人があらわれているわけですから、この問題をほっておくわけにはいかんでしょう。

○ 「虚説を排除せよ」とは、生長の家の思想ではありません。正しくは、(聖典14巻にあるごとく)「相手を悪だと見る目を排除せよ」です。つまり、虚説とは相手方にアルのではなく、あくまでも「自分側にあるもの」とするのが、御教えです。排除すべきは相手ではなく、「自分側の曇った目」を指します。(ちなみに復興Gさまのご発言は、そんなに問題でしたか?ウロ覚えです)

「虚説」といっている人の側に虚説があるとします。それで、この虚説を消したらなにが起こるのですか。それまで虚説であった総裁が虚説でなくなるのでしょう。「虚説」と言表すれば総裁は虚説となり、「虚説はない」と言表すれば総裁は虚説でなくなる。その人のなかですべてが処理されるわけですよ。

総裁が虚説であるかないかはその人がぜんぶ決めるわけです。言表と出来事は一致するわけですから、その人が「虚説」といえば総裁は虚説となり、「虚説はない」といえば総裁は虚説でなくなるのです。これを人間中心主義といっているのです。自分中心にすべてが決まる。これを人間中心主義といってるのです。問題は大ありではないですか。

○ また、「雅春先生のお考えでは、どうなのか」の論点に於いて、御著書から引用するのは「当たり前の議論態度」だと、思います。

雅春先生の教えでどうなのか、ではなく、一般的にどうなのか、でなければならないでしょう。雅春先生の教えでは必要条件だが、一般的には必要条件ではないというのであれば、「必要条件ではない」となるではないですか。

ところで復興Gさんの暴走問題ですが、WEB誌友会板2の#498に以下のコメントがあります。

>虚説は排撃して、「神の子・人間至上主義」の真説を高く掲げましょう。結果は同じでも、その過程が大切です。

「虚説」のみならず、「神の子・人間至上主義」や「真説」の文言もありますね。どうですか。これでも「問題ない」とお考えでしょうか。とりあえず問題の投稿をご覧になってみてください。


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