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「脱力ネタ」板
749
:
「訊け」管理人
:2014/03/24(月) 08:40:10
>>740
初心者さま
論点が多岐に渡りますが、いくつかに絞って語ってみます。ここでは以下二点に絞って、返信してみます。その二点とは、
○ 雅春先生は「主観と客観の一致を要請している」のか否か
○ 人間中心主義は、問題なのか
○ これです。これに関して以下、雅春先生のご主張を紹介して参ります。
<雅春先生は「主観と客観の一致を要請している」のか否か>
○ 再度申し上げますが雅春先生は、そのような思想を紹介されては、おられません。
>>727
にて紹介させて頂いた如く、雅春先生のご主張は明快に、「実相一元」です。一元なのですから「一致させるもナニもない」のです。一致させるもナニもなく、「ただ実相一元」というのが、光明思想です。これが先ず、述べたい点です。
・・・・で、次に「方便」「対機説法」の面から、この件を語ります。いやたしかに一見しますと、貴殿云われるが如くです。雅春先生ですが恰も、実相と現象との二つを、「ある」と看做しておられる気する、そんなフシを感じる記述箇所は、ございましょう。その点で貴殿ご主張の趣旨は、理解できます。しかし、先にも述べましたように「それ」らの記述は、あくまでも「方便」「対機説法」です。(※1)光明思想の本筋ではナイのでありこれら(「方便」「対機説法」)を以て雅春先生が、「実相と現象を分けて解釈している!」と主張される方がもしもあらば、当方返信は「その主張は少々ムリがある」になります。
・・・・・で、補足めいた話などを一点。「心の法則」に関してです。
雅春先生は聖典の前半では、この、心の法則を説かれておられます。そしてその記述箇所では確かに、「実相と現象と、ふたつがあるかのような」記述のされ方が、なされております。ですがその後、何巻だったか失念しましたが雅春先生が突如、「今から本当のことを語るのであります」と、主張を一転される箇所があるのです(※2)。
・・・今、その箇所を見つけられナイため、紹介できないのが残念ですけども雅春先生は、「心もない」ということを主張あそばされる箇所、これがあります。前半部分で語られてきた「心の法則」ですが、それすらも「ナイのですよ」とご説明、される箇所なのです。
<人間中心主義は、問題なのか>
さて、貴殿のご定義は
>>746
にて、確認致しました。けれども、「なぜそれが問題なのか」が、不明です。これを問題とされる理由は、いったい何なのでしょうか。
拜
<註>
※1 先にも述べましたように「それ」らの記述は、あくまでも「方便」「対機説法」です。
現象を仮に「ある」として記述された方が、私のような凡人には伝わりやすいワケです。その意味で雅春先生における「矛盾」(=貴殿からご覧になられれば矛盾でしょう)とは、私にとっては「愛念」に映ります。雅春先生は、「実相と現象を混同していないか!?」てな批判を浴びるリスクを(敢えて)採られて、私の様な凡人にも分り易いように説明を、されておられると思うためです。たとえば雅春先生が、「この方のガンが治ったのであります」 ―― こんな記述をされておられたとしるならば、「ほら見ろ!谷口雅春は『ガンがある』ことを前提に語ってイルじゃないか!」てな批判をすることは、カンタンだと思います。ですがその、「ガンが治ったのであります」の「治った」とは、私のような凡人向けの「方便」なのであり「対機説法」なのです。光明思想の本筋では「ない」のです。
※2 「今から本当のことを語るのであります」と、主張を一転される箇所があるのです
まあ正確には、「一転でも何でもナイ」のですがね。雅春先生は心の法則を説かれつつも、「実相一元の世界」つまり、「現象などナイ」世界を聖典前半でも、繰り返し主張されておられます。(何回か通読すれば、それがわかります)
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