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「脱力ネタ」板
740
:
初心者
:2014/03/22(土) 21:16:58
訊け様
>人間(肉体の)には力はナイのだ、と。実相一元を主張されておられるご文章ですからこれを、「人間中心主義として」解釈されるのは、少々ムリはないでしょうか。
人間には力がないということですね。では「実相をみる」といっている人たちは、なにをなさろうとしておられるのですか。「実相をみる力が自分にはある」とおもうからこそ「実相をみる」といっているのではないのですか。
いったいぜんたい、こういう人たちはなにをなそうとしているのですか。「実相をみる」というとき、この人たちは全員が神になっているということですか。神になって世界を変えようとしているということでしょうか。
>これは、貴殿の解釈が間違いだと思います。雅春先生はそのような主張は、されておられません。先生のご主張は「主観と客観を一致させよ」では、ありませんよね。よく、読まれてみてください。先生のご主張はそのようなものではなく、「主観も客観もナイ、ただ、実相あるのみ!」には、なりませんか。たしかに方便的に、「現象に投影していくのだ」「征服していくのだ」との説明文は見えますけども、これはあくまでも、対機説法なのであって、本論ではナイでしょう。(※)あくまでも先生のご主張は
「病気はない」とおもうとすれば、これは主観ですよね。ふつうに考えれば、「病気はない」という主観と「病気が消えた」という客観的出来事の一致をもって「これは真理だ」ということになりますね。主観と客観の一致をもって「これは真理だ」といいますよね。
でも訊け様はそうではないといわれる。一致は必要ないといわれる。ならば訊け様は「病気が治るから雅春先生の教えは真理である」となぜいっておられるのでしょうか。主観と客観とが一致したから「これは真理だ」といっておられるのではないのですか。
一致が必要ないのであれば、治ろうが治るまいが、どっちでもいいことでしょう。「奇跡が起きた」とことさらに言い立てる必要もないでしょう。
ところで、雅春先生は「現実人生を支配する」といっておられますよね。これも対機説法の方便ということですか。主観も客観もなければ支配のしようがありませんから、これも方便ということなのですね。これをはっきりさせてください。
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