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会議室|総合
85
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/04/18(水) 22:58:44 ID:pw/u6y1I0
>>82
『瞑想』は『感覚を養う技術』と表現しましたが、要するに意識がどのように推移しているかの感覚を訓練するわけで、この意識状態を観測します。
『瞑想』という特別な状態で様々な意識の有様を検証して、それを『日常生活』という通常の状態でも活用できることを目指すわけです。
ハイアーセルフ33氏が張られたページを読むと、
(『ゼロポイント』の定義)
『宇宙の中のすべての場所になり得る中心点、あるいはすべての時間と空間を内包する中心点』と記載。
(『源泉』の定義)
エネルギーが内外流動なく『存在とひとつであり、全体とひとつ』と感じる場所を『源泉』と記載。
これらを平易に言い換えれば、『存在の根源』。
人の根源でも宇宙の根源でも実質は同じ本質でありますが、人という個体が存在する意義を鑑みて、便宜上、人の根源は魂と僕は観念付けています。
>>80
でいうところの『内面のゼロポイントへの同調』『源に座る』とは、『魂との同調』という事になるのかな。
そして、『魂との同調』が目的ではなく、その手段を『瞑想』で用いて得られた結果を成果として活用するのが狙いかなという印象。
ただ、
>>82
での『二極性の統合』という表現が前面に出てくると少し趣が異なります。
人体という前提では五体でひとつという表現になりますが、実際の活動を分解していくと、例えば、脳と心臓で役割が違います。
同様に、人の根源としてはひとつですが、実際の活動としては、魂と意識は別物と考えています。さらにいえば顕在意識と潜在意識というところも異なります。
これらは役割分担しているわけで、それぞれがひとつに統合するのではなく、それぞれがそこに在ってそれらが調和してひとつです。
その状態を観測者と表現してます。それが『ただ在る』という意味合いならば、僕が語るところと似ているかもしれません。
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