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覚書|ふるやの森

26たけふみ ◆etv6OBblL2:2012/02/20(月) 20:03:50 ID:FAKTOxhk0
いま我々に必要なのは意思疎通を図ることです。
意思疎通は、自分と相手が明確になっていればよいだけです。

これは必ずしも『実際に会う』という行為をしなくても実現できるはずです。
僕は、我々が目指すファーストコンタクトが実現されたときに、我々それぞれもファーストコンタクトを行えばよいと考えています。

銀河連邦も尋常ならざる想いで我々に会いたいはずです。今すぐにでも。
しかし、何千年、何万年という年月が経とうと、解決されなければならない問題が解決されない限り、彼らがいくら望もうと会うことは許されません。
真の問題が解決されるならば、明日にでも会えます。

我々が目指すのは、一日でも早いファーストコンタクトの実現です。
そこを忘れてはなりません。

不測の事態が起きて、どうしても実際に会わなければならない場合は別として、今は広く意見を聞き、話し合う時期です。

それは争いという道具で、今まで我々が目をそらされていたことです。
個人の尊重という観念が歪められ、それの解決方法が、無関心、もしくは排除することであると教え込まれています。



極端な話をしましょう。

価値観とは、自分の中にあるものです。
それは善と言われるものであったり、悪と言われるものであったり。
善と悪がブレンドされて、その位置が流動的であったり。
固定化がされることはありませんが、とにかく価値観は人により様々です。

善は悪が嫌いです。本質的に受け付けられない。
悪は善が嫌いです。これも本質的に無理な話です。
しかし、善は悪なしではありえず、悪は善なしではありえません。
お互いがお互いを補完して、始めて成り立つ観念です。

どのような物事であっても、それを極めれば極めるほど、真実というのは明らかになってきます。
方向性に関係なく善だろうと悪だろうと、極めれば真実が見えてきます。

悪を排除すれば、善は成り立ちません。
善を排除すれば、悪は成り立ちません。
善悪は共生しなければなりません。

本質的に違うものが共生を目指す場合、己が信じるものとは違う価値基準が必要です。
それに『普遍的な根拠をもととする観念』と呼称を与えます。

『普遍的な根拠をもととする観念』を明らかに並べていくことによって、
それを自分自身が理解することによって、気付くのです。

これは一見不可能のように感じますが、
善悪の両方を持っている『人』は、すでに自分の中で共生を実現させています。

しかし、両方を持っている人同士は、まだ共生を実現できていません。
我々が目指すべき課題はここです。

自分の問題解決方法を分析することにより、つまり内面を見つめることにより、
現実という外部問題の解決への糸口が、概念として見つかるかもしれません。

古谷氏と坂田氏の公開討論会は、世界の縮図であるといいました。
古谷氏と坂田氏はお互いを許しあえました。
我々は自分自身で気付くことが出来ました。
我々はそれを実際に現実として体験しました。
我々は世界を変えたい。
ならば、あの討論会に、ヒントが隠されていても、何ら不思議ではありません。


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