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覚書|ふるやの森
18
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/02/15(水) 00:47:59 ID:mFiEkhMU0
下記記事に投稿したコメント記録
【投稿記事】銀河連邦2/12:人類がこれから果たす新しい使命 - ふるやの森
ttp://blog.goo.ne.jp/flatheat/e/c76f1b52e6280595ca2a13e511a2edfd
2012-02-14 05:56:11 $$氏へ (たけふみ)
2012-02-15 00:23:10
>たけふみさんへ
>>チャネリングメッセージの役割 (たけふみ)
>$$ 文体、だいぶん分かり易くなりましたが、未だ言葉の一つ一つの意味を吟味しなければならず、
>もう少し簡単にと思います。
僕が記載しているのは僕の感覚です。観念と言い換えても構いません。
ここでいう観念は、普遍的意味を持たせようと試みる共通認識のための呼称、と思ってください。
絶対的な普遍的表現で書き記すことは、僕の目指すところでありますが、観念という目に見えないものを目に見える言葉であらわすとき、そこには僕の力量という限界が立ちはだかります。
そこを突破する努力を怠るつもりはありませんが、あなたの方からも歩み寄って頂きたいのです。
例えば、良い香りであるという観念を言葉で伝えるとき、下記のように語ったとする。
『魚を焼いているような、おいしそうな香ばしい匂い』
これをただ漠然ともっと詳細に解説して欲しいとだけ言われた場合、
魚の事、魚を焼いている事、なぜ魚を焼いているのか、おいしいそうという意味、香ばしいとは何か、
といった複数の対象の、どれを解説したものか、欲求の意図するところがわからないのです。
これは、それぞれが独立した観念の集まりですが、上記のような組み合わせが最良と考えて表現しています。
それを個別に分解して、それぞれ別の説明を加えていってもよいのですが、実のところ上記の組み合わせがよくわかるだろう、と考えて表現しているので、他に言い換える基準が不明なのです。
例えば、それを肉や木の実にした方がよいか、花と甘さを絡めて組み替えたほうがわかりやすいのか、といったことです。
そこを無視して手当たり次第、説明を加えていくと、無駄な言い回しで同じ事を語らねばなりません。
同じことを違う形で表現しすぎると、それは混乱のもとになり、主題がぼやけます。
良い香りであるという観念を大幅に歪んだ形で伝えかねない。
ですから、疑問という形で、どこがどのようにわからないかというポイントと疑問者がどのように解釈したかを把握することによって、そこに対して無駄なく新たな説明が加えることができ、歪みを最小限に抑えられるわけです。
これは、僕だけでなく、他の方へ質問をするときも同じことが言えます。
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