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業務連絡 3
たてました。
連続とか収束っていうとこれは微分積分につながってくる話で
す。現代文明は微分積分を道具として発展しておりますのでそ
ういう意味では文明の根幹にも関わる話になってまいります。
これは単純な話でして、もし空間が連続しているとするならば、
つまりいくらでも空間を小さく切り分けることができるとする
のならば、必然的にこのパラドックスに嵌(はま)ってしまい
ます。矢は的に近づき続けるけれども的そのものに接触する瞬
間を観測できない、という話になりかねません。
いや、それは時間の進み方を限りなく遅くしてゆくからでしょ
ってツッコミ乙なんですが、それでもやはり的に当たる瞬間っ
てどうなの?近づいてゆく時と何が違うの?って考えるとよく
わからなくなってしまいます。
これはこのように言う事もできるでしょう。
矢が的に近づいてゆく瞬間がある。この時矢と的の間には空間
が存在する。
矢が的に当たる(接触する)瞬間がある。この時矢と的の間に
は空間が存在しない。
矢と的の間に存在する空間は、矢が的に当たった瞬間に消滅す
る。つまりある瞬間には空間が存在し、次の瞬間には空間は突
然消滅している。
もし空間が連続だとすると明らかにこれはおかしい説明になっ
てしまいます。
しかし空間が不連続であるとすればどうでしょう?つまり空間
がすんごく小さな粒々でできているとしたら。
空間には最小単位があるのだとしたらどうでしょうか。
電光掲示板で文字が流れていく(ように見える)
やつが街中にあるけど、あんな感じか?
至近距離で見るとライトの粒々の1つ1つが
バトンリレーみたいにして光の文字を瞬間瞬間
伝えていくみたいな。
…光が「想い(エネルギー)」で
電球が「空間の最小単位」と見立てれば、
空間がエネルギーによって励起され、毎瞬毎瞬、
位置情報を飛び飛び(離散的)に変えていくイメージ
に近いと思うのだけれど。
>>151 追記
ここで1つの電球を注視してみると、
電球はついたり消えたりをピカピカ繰り返しているだけで、
光の文字が「流れている」なんて現象は"起こっていない"と見なすこともできると思う。
現実世界で言えば、この世界には
空間が"励起されている状態"か"励起されていない状態"かの2種類しかなく、
それぞれの空間の粒が2種類の状態を交互に繰り返して明滅しているだけで、
実際には物体が「流れている」とか「移動している」というのは俺ら人間から見た見方でしかなく、実際は幻想なんじゃないか、とまで言えるのかもしれない。
※励起(れいき)
=原子・分子などが外部から光・熱などを与えられて低いエネルギー状態から高いエネルギー状態に移ること
長文スマソ
こんばんは。続きです。
時間や空間が連続しているのだ,と考えるならば時間や空間を
いくらでも拡大したり縮小して考えることが可能なはずです。
しかし時間や空間をいくらでも拡大して考えることができるの
ならば,この場合明らかにおかしいのです。
なぜなら,矢が的に向かって近づいている時に,矢と的との間
には空間が広がっています。
ところが矢が的に当たった時には矢と的の間には空間が存在し
てはいけません。そうすると,矢が的に当たった瞬間には矢と
的の間にあった空間はどうなったのでしょうか?突然消えた,
というしかありません。
これは次のように言い換えることも可能です。つまり,
物体はある位置に限りなく近づいてゆく時に,凄く近くまで
来ると突然「距離」を飛び越えてひょいと向こう側に行って
しまう。
しかしこのことをさらによく考えてみると,物体は途中経過
の位置を無数に過ぎてきているんですよね。そうしますとそ
の途中経過のポイントを通るときもそれぞれ近づいてはひょ
いとそのポイントに飛び移り,次のポイントに近づいてはひ
ょいと次のポイントに飛び移りを繰り返していることになり
ますよね。
つまり物体が移動するとは,義経の八艘飛び(はっそうとび)
のように,物体が船(位置)から船(次の位置)へとひょい
ひょい飛び移ることである,といえてしまうのですね。
>151。>152
はい,その通りですね。私たちは毎日パソコンやテレビの画面
に物体や人物が映し出されたり動き回るのを見て楽しんでいる
わけですが,それは二次元平面空間に配置された無数の粒々の
エネルギー状態の変化を,光として捉えて楽しんでおります。
そこにモノや人の実態があるのではなく,ただエネルギーの状
態の変化が映し出されているに過ぎません。
これと同じようなことがこの三次元物質空間にも言えるのでは
ないか、ということですね。つまり物質がある位置ポイントに
限りなく近づいていくとき、ギリギリまで近づくとある瞬間に
ひょいと向こう側に飛び移ってしまってこれ以上は近づけない
ギリギリの距離がある、というわけです。
そしてこの、これ以上近づくことのできないギリギリの距離こ
そが空間の粒々の直径、つまり空間の最小単位の大きさである、
といえると思うのです。
おはようございます。
外に出たら半月がかかっていて,そういえば今日は下弦の月
の日だったなあと空を見上げました。調べてみると今晩23時
が下弦だということです。
家事を片付けた後,しばらく月の呼吸をしていました。月の
呼吸というと大層ですが,なあに美しい月を見ながら意識を
美しさ清浄さに合わせてゆき,呼吸と共に月の清浄さが自分
自身を染めてゆくのをイメージする,というか自分自身が清
浄さそのものに変容してゆくのをイメージするだけです。誰
でもできる簡単な方法ですね。おすすめです。
本当なら過去の意識の浄化までやりたかったのですが,それは
時間がかかります。今日は予定があっていきなり朝から忙しい
ので,それは今晩に回すことにしました。
過去の意識の浄化といってもこれも大層なことではありません。
過去の意識の浄化にはいくつか方法が考えられるんですが,真
正面から突破しようとすれば過去の辛い経験や消化できない経
験を思い出して,それを第三者の目であらゆる角度から見つめ
直してゆく。理解と赦しに至るまで徹底的に見つめ直す,とい
う方法があります。
これはこれで大切な方法で,自分の視界を広げるためにも良い
方法だといえます。しかしこれ結構面倒臭いんですよね。
第一時間がかかってしまいます。
それに過去の意識に縛られて浄化がなかなか進まない場合もあ
り得ます。つまりうまく反省ができないことも多いんです。
そこでそもそも理論的に浄化とは何かと考えてみますと,もう
一つの方法が浮かび上がって参ります。それが私が月の浄化の
呼吸,太陽の浄化の呼吸と呼んでいる方法です。いや,月や太
陽に限らず清浄な存在ならなんでもいいので,水の浄化の呼吸
でも水晶の浄化の呼吸でもいいんですけどね。
その方法は先ほどご紹介した月の呼吸(月の浄化の呼吸)と同
じで,月や水や水晶のような清浄な存在,汚れを浄化する存在
をイメージして,あるいは直接それらに相対して,それらのエ
ネルギーが自分の全ての存在を浸し浄化してゆき自分自身が汚
れのない存在へと変容してゆくのを眺めるだけなんです。
呼吸と共に静かに清浄の気が体内に,魂の隅々にまで満ちてゆ
き,自身が清浄の気に染まって変容してゆくのをイメージする,
って感じですかね。もし水晶をイメージするなら,浄化力の面
で矛盾が生まれてはいけないので,水晶の場合は巨大な水晶山
塊をイメージするといいかもです。
そして過去の意識の浄化の場合は,一通り上記のような方法で
現在の意識の浄化を終えると,今度は意識の中で過去の年代を
指定します。
私の場合だと,例えば2000年の意識,とか自分自身に指定す
るのです。そして過去の意識をテープかC Dに記録されたデー
タのイメージで2000年の1月1日の部分から始めて月の光を探
照灯やレーザービームのスポットライトを当てていくようなイ
メージで一年分浄化してゆくのです。私はCDではなくて記録
テープのイメージなので,記録テープを一年分ビーって回しな
がら光を当てて浄化変容させてゆくイメージなんです。
これ,割と簡単だと思うんですよ。やってみるとわかりますが,
結構スッキリするものです。一年分を何回も,満月のエネルギ
ー,上弦の月のエネルギー,下弦の月のエネルギー,新月のエ
ネルギー,太陽のエネルギーというふうに何度もエネルギーを
込めてひとまとめに浄化してゆく方法ですね。
私の場合だと上記のように満月,上弦,下弦,新月,太陽をワ
ンセットにして,一生分まずワンセット仕上げたいと思ってる
んですが,なかなか機会を作れません。とりあえず今のところ
は試行的に満月と太陽のエネルギーでの浄化を19年分やったと
ころで止まっております。
そしてもう少し要領をいえば,テープやCDに機械的に光を当
てるというだけでなく,光を当てている間,その過去の自分の
時間をイメージしながら当てる,ってことでしょうか。過去の
過ぎ去った時間といっても,自分の中では今と変わらず生き生
きとした時間として再現可能なんです。まぁ文学的な表現とな
りますが,過去の全ては今という時間の一点の中に実在してる
んだ,ってことになりますね。その実在する過去の生き生きと
した自分の意識と体に,浄化の光,エネルギーを注ぐ,ってい
うイメージになります。
ここまで言えば皆さんなら後はやればわかると思います。
おすすめの方法ですので是非やってみてくださいね。
私も仕事が終わって帰宅して一息つくのがちょうど23時頃な
ので,今晩何年分か挑戦してみるつもりでおります。
さて,存在と空間と時間の話ですが,話は少し進んできている
ところですが,実はまだまだ序盤なんです。考察を進めてゆき
ますと思わぬ展開となって参りますので改めて時間をとって説
明いたします。では失礼。
おはようございます。
昨晩、自分の心の動きを観察していてこんなことに気づきまし
た。それは心の中に不意に浮かんでくる言葉についてです。
誰しもあると思うのですが、自分が考えてもいない言葉が不意
に浮かんでくる、という経験をして戸惑うことがあると思うの
です。それがその場に全くそぐわない酷(ひど)い言葉だった
りするとなおさらそうで、あれ?自分の心って一体どうなって
るの?と思ってしまいますよね。
昨晩、月のエネルギーを感じている最中にそんなことがありま
して、その時の自分の心を観察していて一つの見解に辿(たど)
り着きました。
それは、突然人を小馬鹿にするような言葉を心がひょいと呟
(つぶや)いたのです。どんな言葉だったかというと、もう
すっかり思い出せないんですが、例えば京都ですと「いちび
りさらすな」なんて言い方をします。そんな感じの雰囲気の
言葉だったと思います。
今は全く思い出せないほど何の影響もないのですが、その瞬
間はその言葉の影響が後を引いて心の中で何度も言葉が思い
出されて消えてくれません。地味にダメージになっています。
で、これはどういうことだろう?と疑問に思って観察してみ
たのです。
観察してみてまず気づいたのは、この言葉には感情が込められ
ていて、その感情がエネルギーを与えている、ということでし
た。
なるほど、感情はエネルギーを与えるのか。
とすれば、エネルギーを放出する方法は感情を込めることなの
かな?
そもそも私は人を攻撃したり馬鹿にしたり貶めたりするような
タイプではありません。なのになぜこのような言葉が自分の心
から出てきてしまうのだろう?よく観察してみると、どうもそ
れは人が誰か(私に対してなのか、第三者に対してなのかちょ
っとよくわかりませんでしたが)に対して放った言葉のようで
した。
そしてそれは今まで何度も聞いた言葉でもありました。聞くた
びに嫌だなぁと感じることが多い言葉なんですね。
そうしますと、その言葉を聞くたびに聞き流していたようでも
私の感情が動いています。言葉に込められた感情のエネルギー
は単なる情報として相手の伝わるのではなくて、その情報を聞
いた相手の心に反応を起こしているわけです。相手の心と同じ
ような感情を起こして相手の心に染められてしまうか、それに
反発し否定する感情を起こして打ち消してしまおうとするか、
どちらかの感情が誘導されております。
これを物理的なエネルギーの概念を使って表現すると、感情が
相手の心、感情に作用して動かした、つまり感情が「仕事」を
しており、感情とはエネルギーである。意識に作用するのであ
るからこれは意識エネルギーである。と判断できることになり
ます。
まぁ、「感情はエネルギーである」という言い方はちょっと乱
暴ではありまして、もう少し事実に即して言えば感情の込めら
れた言葉は相手の感情を動かすエネルギーを持っている、とい
うのが正確でしょう。
しかしここでさらによく自分の心を観察してみると、感情を込
めた言葉を発したり念じたりすると意識エネルギーを消費して
おります。その証拠に精神的に疲れて休憩した句なったり仮眠
したりしたくなってきます。
また逆に感情の込められた言葉や意識を向けられるだけで、同
じ現象や逆の現象、つまり疲れたり凹んだりする意識エネルギ
ー不足現象や、元気になるエネルギー充填(じゅうてん)現象
も体験します。
そうすると感情のこもった言葉や念を媒介として私たちはエネ
ルギーをもらったり取られたりしていることがわかります。
相手を貶(けな)したり否定する言葉や念で意識エネルギーを
奪われ、相手を応援するような感情のこもった言葉や念で意識
エネルギーをもらっているワケです。
そうしますと基本的には言葉(心の中の言葉である念も含めて)
には感情によって発信されていると言えそうです。
ただ単に情報を伝達しようとするだけの言葉もあるわけですが、
その場合はこうしたエネルギーのやり取りは起こらないようで
す。しかし逆に情報のやり取りだけの言葉は面白味がないと感
じてしまいますよね。実は私たちは日常でのこうしたエネルギ
ーのやりとりが基本的に楽しくて大好きらしいのです。
他者と関わる、ということにはいろんな側面があるんですが、
その一つにこうした言葉や意識によるエネルギーのやり取り、
エネルギーの循環という側面に気づく必要があります。
悪意を伴ったものでない限り、日常の他者との間の意識エネ
ルギーの循環はゲームのように楽しい体験であると言えるの
でしょう。
そしてそのエネルギーのやり取りの窓口になっているのが感
情である、ということを昨晩認識できたのです。
感情をこめることで効率的に意識エネルギーを送信し、感情
を込めることによって意識エネルギーの効率的な受信が可能
になるはずです。
言葉や念にエネルギーを与えるのは感情なのだ、ということに
気づくと、それまで突然私の心中に浮かび上がって私を悩まし
ていた悪意ある言葉は影響力を失って霧消してしまいました。
今ではそれが一体どんな言葉だったのか、何となくのイメージ
でしか思い出せません。
存在と時間と空間に関する話の続きはまた今晩時間があれば再
開します。
>>161
過去の恥ずかしかった記憶が唐突にフラッシュバックして、
布団被って「うわァああアアアア!」したくなる自分にとっては
これで浄化されると言うのなら有難い。
質問があるのだけれども、
月光や陽光を当てる対象としてイメージする過去のテープというのは
その時期のシーンが具体的に思い出せなくても効果ありますの?
たとえば抽象的に「ハイ、テープのこの部分は2000年の1月3日ねー。ピカー(照射)」
って勝手に決めて浴びせてしまうのでおk?
…自分、小さい頃はおろか数年前のシーンすらロクに記憶に留めておらんのですわ。
恥ずかしかった数瞬の記憶を除いて。
こんにちは。
あまり時間が取れませんので、昨日気づいたことだけ。
以前から度々申し上げたことなんですが、自分自身の浄化が
進んだりエネルギーの状態が良いと大変頭がすっきりした感
覚がする、という体感があります。これは何も私だからそう
感じる、というのではなくって、誰でも同じなんだと思いま
す。
つまり体の中でも頭というのは大変敏感なセンサーであって
エネルギーの器である肉体のエネルギー状態を、敏感に反映
して重さや軽さ、しんどさや爽やかさとして感知できるんだ
思います。
>174
すみません、投稿するとき気づいてなかったので。いま貴方様
の投稿を読みました。これは次回の投稿でお答えします。答え
はイエスなんですが、ちょっとしたコツをお教えします。
続きです。
実は先週末からまたエネルギーバランスをちょっと崩していた
んです。私を取り巻くさまざまな関係性のエネルギーが、少し
偏ってしまって必要なところに教師供給できてないままの状態
でした。不足したところに補充したいのですが、まとまった時
間と体調とのタイミングが合わなくて数日そのままになってお
りました。
エネルギー関係のワーク(作業)をするときには基本的な条件
として肉体的精神的にできるだけ調和のとれた状態で始めるこ
とが望ましいのです。もし調和の崩れた状態で始めると、気が
つかないうちに偏った方向にのめり込んでしまっていることが
あるからです。
そうした事態を避けるため、十分な睡眠と休息、食事の摂れて
いる状態で始めます。
また自分の周りの空間、視界に入る範囲だけでもできるだけ清
潔に掃除したり片付けておくのも大切です。
そうした環境の中でゆったりした心持ちで居られる時に取りか
かるのが理想ですね。
さて私の場合は忙しかったり睡眠不足だったりで意外とエネル
ギー補充修正のための時間を取れないままだったのです。
そして一昨日やっと大きな修正ができ、引き続き昨日残りのも
う一つ大きな修正を終えました。あと少し小さな修正を加えれ
ばベストな状態に戻ります。
なぜ一昨日昨日と修正に取りかかれたかというと、なんとイン
ターネットを遮断されたからなんですね。つまり、YouTube
の見過ぎで睡眠不足に陥ってまして、そもそもそれが原因で
日々のエネルギーワークが乱れ、エネルギーバランスに悪影響
を与えていたんです。
そして一昨日、大きな修正を終えると途端に頭の中がすぅーっ
と爽やかに清々しくなって参りました。
普段はエネルギー状態が頭の感覚や精神状態に大きな影響を与
えているなんて実感できないのですが、こうして浄化やエネル
ギーのバランスの回復をしたときには瞬間的に頭の状態が変わ
りまして、普段の自分の頭の感覚と浄化された感覚の違いの大
きさが実感できます。おォーッ凄い!ってなっちゃいます。
そこでこの爽やかな自分の頭の状態を凄いだけで終わらせるの
ではなくて、ついでによく観察してみたんです。そうするとあ
る事に気が付きました。
それは二つありまして、先ほどまでの自分の頭の状態は何かが
詰まったような感覚の状態だったということが一つです。
もう一つは今は頭にまるで窓が開いて白いレースのカーテンが
窓からヒラヒラしているくらいに爽やかなんだけど、窓は頭の
上半分に開いている。額から下、脳幹部はまだ詰まった感覚が
残っている、ということです。
そこで残りの頭半分、つまり脳幹部とか頭部顔全体が浄化され
た状態ならどんなにスッキリすることだろう?気になりました。
いや頭部だけでなく、全身・頭のテッペンから足のつま先まで
すっきりしたらどんなに気分がいいだろう?ってことですよ。
これをさらによく考えてみますと、おそらく私たちは体全体が
詰まった感覚が普通の自分の体調だと考えて、そこを基準にし
て体調が良いとか悪い、気分が良いとか悪いと「ほざいて」い
る、としか思えないですね。そしてきっと、私たちが赤ちゃん
で生まれ落ちたときには、体を動かすのはまだ色々不自由なん
だけど、気分はすごく、風が吹き抜けるように爽やかなのが基
準だったんじゃなかろうか?赤ちゃんやまだ幼児の間は割とそ
れが普通の状態だったのではないだろうかと推理するんです。
さて、インターネットの件で昨日プロバイダーに電話して確認
してみました。以前も一度繋がらなくなったことがありまして、
その時は電源を落として再度終端装置と無線LANを繋ぎかえた
ら復活しました。ところが今回はそれでも復活できません。
ひょっとして代金が引き落としできてなくって回線を切られた
のかもと思って郵便物やメールを確認してもそれらしい連絡は
ありません。連絡して確認してみたところ、信号はちゃんと行
っている、というのです。
私としては想定外だったのですが、原因はTVのWiFi設定がキャ
ンセルになっていたことでした。再設定してYouTubeを復活さ
せることができました。
もちろん私はテレビのWiFi設定はいじっていなかったので、
ネットが繋がらなくなったのは本当にある日突然、スイッチ
を入れたら「ネットがつながりません」状態になっていたの
です。
あまりにYouTubeで夜更かししてしまって問題があるので、
強制力が働いてしまったようですね。
こんにちは。
金曜日は意識エネルギーのバランスが取れた状態、すなわち
浄化された状態が超爽やかな感覚、気分をもたらした、とい
う体験をお話ししました。
それで思うんですけど、悟りってこういう状態を言うのでは
ないか?と思うんです。
悟りとは何か、あるいは悟りというものがあるならぜひ体験
してみたいものだ、と考える方は多いと思います。では悟る
にはどうすれば良いのか?そして悟りとはどのような状態な
のか、を明確に語っている方は?となるとこれが少ないよう
です。
「悟りとは宇宙と一体となる体験を言うのだ」という意見もあ
れば、「悟りとは何ものにもとらわれない心の状態になること
なのだ」という意見もあるようです。また「悟りとは全ての疑
問や悩みを解決する究極の知恵に至ることなのだ」と思ってい
る人もいるようですし「悟った人は素晴らしい超能力を発揮で
きるようになるのだ」と考える人もいるようです。
いろいろな見方や考え方があるのですが、残念ながら悟られた
人というのは同時代にそんなに存在するわけでもありません。
悟られた、といわれる昔の方の文献を読んでもよくわからない
ことが多いですね。
すみません、仕事があって中断しました。
さて続きです。
私は悟りとは本人の理解度の段階、物事の見え方の段階である
と考えております。だから悟りにはさまざまな段階の悟りがあ
る、という考えであります。
そしてその理解度とは、「我」と「他者」との関係性の理解が
その本質であろう、と思うわけですね。
そうしますと我と他者との関係性の理解にはどのようなものが
あるかというと、まず我自身をどのように捉えるか、という問
題があります。
これを自身の体験からエネルギー的な見解を通して考えるな
らば、
「自分自身のエネルギーをどのようなものとして設定するの
か」
というエネルギーの基本設定の問題であると言い直すことが
できるでしょう。
意識というものは自由に想像できる。自由に思うことができ
るのが意識の本質なのですが、実は想像は創造でもある。
意識エネルギーの活用とは全て想像、心の中でイメージや言
葉を「思う」ということによってなされから「想像」は「創
造」であると言えるのです。
私たちは心で思うことは自由なので、何を思っても良いのだ、
と考えがちなのです。しかし体との対話を通じて意識エネル
ギーの体験を重ねてまいりますと少しそれとは見解が変わっ
てまいります。
つまり想像することは自分自身の現実や社会を創造してゆく
ことになるので、下手な想像は避けた方が良い。少なくとも
何かモノや人や関係をぶっ壊すような破壊的な想像、妬(ね
た)んだり僻(ひが)んだりしたいびつな感覚のする想像、
恨んだり依存したりするようなジメジメした感覚のする想像、
そういう想像はしない方がいいのではないかと思えるわけで
す。
では自分自身をどのようなものとして考えるのか、という話
になるのですが、なかなか人間は自分をありのままの意識と
して受け入れることは困難なようです。他人に「人間とはこ
ういうものだ」とか「お前はこういう者なんだ」というふう
に決めてもらわないと落ち着かないようなところがあるみた
いですね。
そこで宗教や親の出番です。「お前は本質的に罪深い存在な
んだ。なぜなら神様の言いつけを守ることのできないAさん
とEさんの、子孫だからな。」これ、某宗教の考え方ですね。
いやいや、先祖の不始末を子孫になすりつけるなよ、とは思
うのですがこんな考え方でも受け入れてしまえば効力を発揮
します。
「私たちは多くの人様のお世話になって生きていけてるんだ
よ。だから大きくなったらお前も人様にご恩返しできる人に
なるんだよ」
これは昔の日本の爺婆(じじばば)様の教えですね。
感謝と報恩という人のあり方を教えてくれた良い爺婆様です。
一見良く見えてそこから引き落とす。その落差を利用するっ
ていう悪辣(あくらつ)な輩(やから)も世の中にはおりま
す。「あなたの運命は素晴らしいものがあります。一つ思い
を実現する素晴らしい力を秘めた存在、それがあなたです」
これが実は昨日投稿できなかった原因なんです。元教え子が
SNSで知り合った占い師さんから言われた言葉なんだそうで
す。
その占い師さんは「名前と生年月日や住所、手相などを教え
てもらったら無料であなたのことを占ってあげますよ」って
言ってきたそうです。個人情報の特定につながる情報はでき
るだけ伏せたいと思って、生年月日と生まれた時間、場所だ
け教えたんだそうです。
そうすると、まず「あなたは素晴らしい運命をお持ちです」
と持ち上げてきたのです。
危険!アゲ注意!ですね。
おはようございます。
さて、アゲて落として不安にさせるのは詐欺師のいつもの手の
一つです。ではこの詐欺占い師はどんな話で私の元教え子の自
己認識を狂わそうとしたのか、なのですが、私はこの手の話は
聞いても細かい内容を覚えられないんです。あの人がどう言っ
た、こう言ったという話としては記憶できないんですね。
だからこの話も下げて不安にして縋(すが)らそうとした話、
としか記憶できていませんでした。
それで、昨日もう少し詳しく手口を紹介しようとしたのですが
思い出せずに行き詰まって続きが書けなくなってしまいました。
困っていたら当の元教え子から電話がかかってきました。
話題は金曜日の占い師さんのこととか、本題の「私の王子様」
問題です。金曜日に彼女を絶望の淵(ふち)に追いやって、
手玉にとって搾取してやろうとしていた占い師さんから、今日
追い討ちの電話がかかってきたんだそうなんです。
彼女は金曜日に占い師の言葉を「すごく当たっている」と錯覚
してしまって自分に絶望したんですね。それで大泣きして手が
つけられず、心配した家族が私に救援を頼んできたんです。
しかし金曜は時間が取れなかったので土曜仕事が終わって一旦
帰宅してそれから17時前に彼女に会いに行って夜遅くまで話を
聞いてきたのです。
その時聞いた占い師の手口はどうだったか、電話で確認してみ
ると、占い師さんはこういったそうです。
「あなたは素晴らしい運を持っているんだけど、13、14、15歳
の頃に大変辛い経験をした。そのことが原因でいまのあなたの
運勢は逆転してとても悪くなってしまっている。本来、良い運
命というは守護霊がついてその守護霊様の力で良い運命が開け
るんだけれども今のあなたには守護霊がついていない。だから
このままだと良い出会いもありませんよ」
まぁこんなことを色々言われて絶望して、声を上げて大泣きし
たのだそうです。
バカだろ、君は守護霊さんとお話しできるやないか、何騙(だ
ま)されとんねん!とツッコんだんですけどね。
そうなんです、彼女は私とお勉強しているうちにいつの間にか
守護霊さんと心の中でお話ができるようになっちゃったおなじ
みのAちゃんなんですよ。
そしてよくよく考えると「これは怪しい」と本人が気がついた
瞬間に、守護霊さんからも「いや、居るし!」と直接ツッコミ
が入ったそうなんですけど。
ところが不思議なことにAちゃんはいつも何かと守護霊さんと
対話しているのに占い師の「あなたは守護霊が離れている」っ
て言葉を信じちゃったのです。
そうしてAちゃんが「これは怪しい」と気づいたのは守護霊さ
んをめぐる占い師の発言じゃなかったのです。占い師のその次
に送ってきたメッセージを読んだからなんです。それにはこん
なふうなことが書いてあったそうです。
落ち込んだ運気を上げる方法は一つしかありません。それには
会社の社長などの社会的成功者の勢い盛んな運気を吸収するこ
となのです。運気を吸収する方法はそうした成功者に抱いても
らうことです。あなたが幸福になりたいと思うなら、成功者を
紹介しますよ、ですって。
自己評価が低くて自己嫌悪の塊のようなところがあるAちゃん
なんですが、実はその裏返しのようにその本性は異常にプライ
ドが高いんです。占い師の最後の嵌(は)め込みトークは、そ
のプライドをカチンと刺激する発言だったのですね。占い師さ
ん、最後で焦ったようですね。
そこで今日占い師さんから届いた「どうですか、決心はつきま
したか」というメッセージに「そのようなことは良くないと思う
ので自分の力で努力して運命を変えてゆきます」と真っ当な返
信を送ったのだそうです。そうしたら即時に相手にブロックされ
て、Aちゃんは「勝った!」って実感があったのだそうです。
>193 「追い込みの電話」→「追い込みの連絡」
さて、このAちゃんの事例を考えてみますと、あまりにも変だ
と思いませんか?
占い師さんの言動もまぁ変と言えば変なんですが、それ以上に
Aちゃんの自己認識の頼りなさですよね。
彼女は最初、無料で占ってあげますよ、という申し出に何か裏
があるんじゃ?と疑ったそうなんです。そこでどこかに落とし
穴があるんじゃないかという疑いの気持ちで話を進めていった
んだそうです。なのにコロリと騙されてしまいました。そして
「貴女にはいま守護霊がいなくなっています」という事実と違
う自己認識をいったん受け入れて大泣きしてしまったのです。
自分が何かにつけ守護霊と通信しているにも関わらず。
これから二つのことが言えると思うんですよ。
一つは人間は目に見えず、手で触れない存在に対してはリアル
な実感を持つことが難しい、ってことです。こちらのテーマは
今回の主題ではないのですが、一応説明します。つまりご自分
の周りにいる家族や友人や第三者の存在を信じない人はいない
わけでして、それを信じられないと言うなら既に心を病んでる
方ですね。
ところが心の中の善なる存在である守護霊や指導例の存在とな
ると、通常は目に見えません。自分の心の中の想いだったり、
言葉として浮かび上がったりはするのだけど、確固とした実在
感を伴わない。見えないし、聞こえないし、触れられないから
です。
なかでも、実在感に与える感覚として視覚、触覚の役割は割と
決定的なものがあると思います。やはり見えない、触れられな
いと頼りないんですね。声だけ、聞こえるだけじゃなかなか難
しいのです。
Aは守護霊さんの声が聞こえるわけですが、それはまぁテレパ
シー的に頭の中で聞こえて来て日常会話ができるようです。聞
こえない人からすると、いいなぁ、私もそんなふうに通信でき
たらいいのに、と思うかもしれませんが、それでもやはり見え
ない触れないと実在感が足りないのでしょうね。
このことは実は逆に考えると、実在感を感じるためには、見え
て触れれば良いことになります。
これは意識エネルギーを駆使するうえで非常に重要な方法論で
あると思います。しかし今日はそれについてこれ以上の説明は
致しません。ただ、意識とは何かを考えたときに識とは思い考
える存在であるのですが、この思い考えるということと感じ知
覚するということ、そして言葉とは切っても切れない深い関係
にあるのだと思います。
さてこのAちゃんの事例から言える二つ目のことは、人間の自己
認識は思っている以上に頼りなくって、特に一人でいるときはま
あまあ安定してるとは思うのですが、人に対すると途端(とたん)
に頼りなくなってぐらついたりすり替わったりしてしまう、とい
う事実です。
Aちゃんの場合も騙(だま)されないぞと眉に唾(つば)をつ
けて聞いていたのに簡単に相手に騙されて、自分は守護霊も逃
げ出す運の悪い存在なのだ、といつの間にか自己認識を180度
曲げさせられていたのです。
人間ってチョロいですね。
でもまぁ自分に当てはめてみると、なかなか怖い話じゃありま
せんか。
そして現実社会では、よく観察してみるとこうした自己認識の
書き換えが色んな人によってしょっちゅう行われている、とい
うことに気づきまして唖然(あぜん)としてしまうのです。
おはようございます。
ちょっと話が本筋から横道にそれてまして、ほんのちょっと
思ったことを語るつもりが長くなってしまっています。
それは悟りとは何だろう、って話で私は悟りとは物事(自分
と世界の)理解度、見え方であろうと思うとお話ししたとこ
ろでした。
そして自分と世界の見え方は、自分と人との関係性によって
変わってくるのだ。では自分と人との関係性はどうやって決
まってくるかというと結局自分自身をどのような存在として
考えるか、自分自身の設定に行き着くのではないか、つまり
私のいう第一人称意識の問題が本質ではないか?このような
趣旨でお話をしております。
ところがここで大きな問題があります。
というのは人の第一人称意識はコロコロ変わってしまう。つま
り人間って自分をしっかり持つことが案外難しくって、すぐに
周囲や人に影響されていつの間にか自分自身の設定を書き換え
られていることも多いものです。そして家に帰って一人になっ
てふっと元の自分に戻ってああ悔しい、とかなったりします。
Aちゃんの例はこれに近いですね。
ああ悔しいとなればいいんですが、そのまま設定が書き変わっ
て小さな自分意識になってしまうこともあります。そういうと
きはわかっていても自分ではどうすることもできないことがあ
るので厄介です。
かといって自分を守ろうとしてガチガチに固めると、これまた
別の問題が浮上してしまいます。人が寄り付けないようになっ
ちゃいますから。
私は11年前の155スレで、意識は他者の意識との関係性の中で
進化・深化してゆくものではないだろうか、そして他者との関
係性というときにはまずベースとなる自分自身の自己認識が大
切であろうと考えこれを第一人称意識と名づけました。
次に自分と相対する他者である「相手」との関係性によって生
じる意識を二人称意識、そしてそれ以外の多数の人、つまり人
様世間様との関係性から生じる意識や認識を三人称意識と名付
けました。
そして世の中はこの「人の目」、相手からどう思われるか、人
からどう思われるかを基準として善悪良否を判断する人が多い
ことを指摘しました。
そのこと自体には普通の日常生活を送る上で大きな問題となる
ことはありません。ところが人間が生きている現実は人の中だ
けではないわけです。つまり人間は自然界の中であらゆる存在
との共存関係を持っているので、あまりに人間の意識や活動が
人間中心に偏りすぎると(つまり一人称意識、二人称意識、三
人称意識の活動ばかりに偏ると)次々と問題が発生してしまい
ます。
こうして起こったのが公害や環境問題ですね。自然や環境全体
を考慮して活動する必要に迫られたのです。
そうしますと人の目ばかり人の考えばかりを気にして生きてゆ
くだけではいけない。自然・環境・地球のことも考えながら生
きて行かなければならない、というふうに社会全体が変わって
まいります。これが四人称意識というやつです。
四人称意識とは自分の気持ち、相手の気持ち、人様の気持ちだ
けでなく自然界の客観性を取り入れた意識となります。個人で
いえば論理的な意識、全体を見る公平な意識ということになり
ますし、集団的に言えば地球・環境意識の高まりなどがこれに
あたります。
ここまでは目に見えて耳に聞こえ肌で触れられる存在を相手に
組み立てられた意識であるわけです。ところが存在には目で見
えず、耳で聞こえず、肌で触れても触れる実感のない存在も無
数にいるわけです。でも存在する、っていうやつです。
そうした存在の中で人間にとって一番身近で深い関係のある存
在といえばやはり守護指導霊であり、先祖の魂だったり幽霊と
いうような霊的存在な訳です。人間はこの存在を認めることで
根本的な見方の変化が生まれてまいります。だって死んだら終
わりだと思っていたら、死んでも終わらん話となってしまうの
です。
学校は高校、大学、大学院終わったもう学校の勉強は終わりだ
と思っていたら、魂から見るとこの世がそもそも人間にとって
の幼稚園、小学校だったって話ですからね。もう人生設計を根
本的に見直さないといけません。
今まで人生80年、90年と思っていたところを、死んだ後のあの
世での生活も考えてこの世の生き方を考える必要が生まれますし、
そもそも自分とは何か、何を目的に生きているのか根本的な疑問
すら考えないではいられないことでしょう。それは物事を考える
ときに「生きている間だけ」という時間の制約が外れることを意
味しているんですね。
このように目に見えない魂の存在を理解することによって生ま
れる認識、意識を私は五人称意識、と呼んでおります。
私の分類によれば物質的な世界認識は四人称意識が最後であり、
五人称意識からは目に見えない意識世界についての飛躍的な理
解が必要となる世界です。それは物質的認識の世界観とは隔絶
した世界観であるとも言えるでしょう。
そしてこの四人称意識と五人称意識との間にあるギャップをど
うやって乗り越えたらいいのか、四人称意識から五人称意識に
はどうやれば進むことができるのか、これが私の大きなテーマ
であるわけです。
国家レベル、最終的には人類レベルでどうすれば五人称意識、
そしてその次の六人称意識、七人称意識に進めるのか。それを
サポートしてその取っ掛かりを作ろうってのが私の仕事になる
わけなんですが。まぁそんなのを一人でどうこうやっていたっ
てどうなるものでもありません。そこは数の力が必要でして。
なので私も皆さま同様その One of them としてネットや身近
な人々との関わりの中で活動しているわけであります。
ちなみに私が第六人称意識と呼んでいるのは小は素粒子から大
は宇宙、目に見える木石から目に見えないイデアまで、あらゆ
る存在と交信対話することで生まれる意識のことを呼んでおり
ます。
また第七人称意識とは愛と慈悲そのものの意識のことですね。
話がまた横にそれていってはいけません。第一人称、自己認識
のお話でした。人の自己認識は強固なようでコロリとひっくり
返ったりぐらついたりすることがある、という話です。
それではどのようなときにグラついたりひっくり返ったりする
かというと、一つは自分が物事を思い通りにできなくなったと
感じたとき。もう一つは人の言葉によってではないでしょうか。
Aちゃんの場合は占い師のトークで一度はひっくり返り、プラ
イドで逆転したのです。
自分が物事をうまくできなかったとき、自己認識が変化してし
まうことがあります。すっかり自分がダメな存在であるかのよ
うに落ち込んでしまうことがありますね。
また逆に自分が思っていた以上に物事をうまくできたときには
すごく自分が偉い者みたいに錯覚してしまうことも、よくある
ことです。中高生の子供さんが自分のことを「凄くない?」っ
て同意を求めるやつですね。
しかしこの手の、私って凄い!とか、俺ってダメだ‥という自
己認識は、割と表面的な自己認識であると思います。もっと深
いところの自己認識を変えるにはどうすれば良いか?世間で一
般的に用いられている方法には二つありますよね。
一つは「罵(ののし)る」、もう一つは「嘲(あざけ)る」で
す。似ているのですが、この二つのやり方は違います。
「罵る」方は、お前はアホだ、馬鹿だ、間抜けだ、卑怯だと罵
詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせて、相手をああ、俺ってそう
なのかと錯覚させて落ち込ませて従わせる方法です。会社では
よく使われる方法ですね。学校でもよく使われます。なにしろ
一学期に2回はテストで点数で馬鹿でアホで間抜けなことを、
多くの生徒は自覚させられますから。家庭でも常にこれをやる
親がいまして、毒親っていうんです。
嘲るって言うのは、謎のカースト制度を設定しまして、その設
定の中でお前は底辺だよって態度を取ったり言葉で匂わせたり
することですね。容姿のことを「だっさー」と冷たく距離を置
いた態度で言えば、相手をこの罠(わな)にはまらせることが
可能になります。相手は挙動不審になっちゃいますね。
もちろんこれには嘲る方の人がダサくない格好と態度と言葉使
いができることが条件です。
攻撃された方がのほほんとした性格の方で、攻撃されても何も
思わないような人だと攻撃は無効化されてしまいます。ところ
が言われてうわぁとか劣等感を感じたりした途端、ゴソっと相
手にエネルギーを取られることになります。
攻撃者が優越感を持つと、ゴソッと剥ぎ取られたたエネルギー
は攻撃者に吸収されてしまうんですね。いい気分を味わえるわ
けです。信じられないことに、このいい気分を味わいたいため
に自分の子供を攻撃する親もいるんです。
人間のクズですね。
これをさらによく観察してみましょう。そうするとエネルギー
の出入りの鍵になっているのは感情であることがわかります。
もう一つは人間は無意識にエネルギーを求めて行動しているの
だということにも気が付きます。この場合のエネルギー獲得の
原理は「奪う」です。
人間の行動原理はエネルギーの獲得なのではないか?という仮
説が立つわけです。そしてエネルギーの獲得方法として、「相
手から奪う」が手っ取り早いやん、って多くの方が実行してい
ることもわかります。
ところがエネルギーの循環を観察してみますと、日常はもっと
別の有力な方法も使われていることがわかります。それは二人
の間でエネルギーをうまく循環共鳴させる方法です。この方法
を「愛」と案づけましょう。私が「愛」の定義をエネルギーの
交流であるとしている理由です。
テスト
>218 「案づけましょう」→「名付けましょう」
前回投稿からずいぶん経ってしまったのですが、実は7
日からまたエネルギーバランスを崩してしまいました。
念のため投稿は控えていました。気がつかずに変なこと
を書いてしまう可能性があるからです。
ようやく原状回復できたのですが、今度はホスト規制に
引っかかってしまって投稿できませんでした。残念なが
らiPadからの書き込みはできなくなってしまったようで
す。
幸いにPCは回復できたので今後はPCからの投稿になるわ
けです。
本日はちょっと遅いので明日、というか17日から投稿
再開いたします。ご質問の答えもずいぶん引っ張ってお
りますので順次お答えしていきたいと思っております。
では失礼します。
こんにちは。>218の続きです。人はエネルギーを求めて
生きているのではないか、という仮説をご紹介しました。
エネルギーとは物質的エネルギーはもちろんなですが、
ここで言っているのはもうちょっと広い概念でエネルギ
ーを考えておりまして、主として意識エネルギーのお話
です。
なぜ人は意識エネルギーを求めるのかと申しますと、率
直に言って意識エネルギーを獲得すると気分が良いから
です。これは皆さん色々体験があるのでご理解頂けると
思うのですが、実はこの気分良さは獲得したエネルギー
量に応じて何日も何週間も持続しております。
意識エネルギーを獲得するとその瞬間グイと自分が大き
くなったような気がして気分が良い、というのは誰しも
経験してると思うのですが、その気分良さが持続してい
ることに気がついている人は案外少ないかもしれません。
よくご自身を観察してみると、なんとその日一日だった
り、その後何日間だったり、あるいは何週間と多少嫌な
ことがあってもへっちゃらで気分良いまま過ごしていた
りするんですね。
では意識エネルギーの獲得はどうやってるのかというと、
世間的には大きく二つあるのが観察できます。「剥奪」
と「共感・循環」です。
要は他人をぶん殴って(比喩です)、他人が「ぎゃぁ!」
と言えば(比喩です)その瞬間に他人様からゴールド
(意識エネルギー)がぴょんと飛び出してご自分の懐に
入ってくる、って仕組みでして。まるっきりゲームの○
○オそのものです。
猫姫様がいつも指摘していたやつであります。
「剥奪」の方法には他にも色々あるようですがこれ以上
は控えます。
もう一つの方の「共感・循環」はこれも人が元気になる
方法として一般的でして、本質的には「循環」なのだと
思います。
女性がお得意な共感であります。共感することでエネル
ギーが通じ合って、通じたエネルギーをお互いに循環さ
せてゆく事でなぜかどんどんエネルギーが増強充填され
ていってしまうという謎システムであります。
ホントに謎。
謎なんだけど現実にこれでお互いがエネルギーを獲得し
てしまうのでこれは最も好まれるエネルギー獲得方法だ
と思います。
女性だとこれは友人などとの際限のないおしゃべりのよ
うな形で実施されることが多いようです。
また家族や友人や恋人などの間でもこの方法は良く利用
されております。男性は会話を情報交換という側面から
見ることが多いと思うのですが、そういう立場からは女
性のおしゃべりは「何で彼女たちはあんなに無駄口を叩
いて飽きることがないんだ?」というような見方をして
しまうことがあると思います。
でも実際は情報交換が主目的とは限らないということな
んです。そこに意識エネルギーの交換がなければならな
い。きちんと言葉に意識エネルギーが乗って相手に循環
していかないといけない。でなければ女性にとっては話
する意味が無い。
想い・言葉を発するときに感情が動いていないといけな
いんです。感情が意識エネルギーのゲートの役割をして
いるからです。男の人は女性と話すときに「何か聞かれ
てかれているから正しく情報を伝えれば良いんだ」と思
って極力理性的・知性的に話していこうとすることがよ
くあります。
しかし、これでは女性はエネルギーが入ってこず循環が
出来ないので怒ってしまうのです。
つまり女性がそこで求めているのは貴方の情報ではなく
貴方の意識のエネルギーであり貴方の気持ちが動き、変
化を感じ取ることだった、と考えられるのです。
こんにちは。
私事ですがあまりにも度々エネルギー的な問題が起こっ
て書き込みがしにくくなってしまうので、これはどうし
たことかと考えておりました。
色々工夫することで回復する度に送信能力は向上する傾
向にあるので、自分の潜在意識が能力向上を狙ってわざ
と問題を起こしているのだろうか?と考えることもあり
ました。
しかしそれにしてもやはり何かがおかしい。よく考えて
おりますとYouTubeに違和感を感じるようになりました。
そこでメディアと意識エネルギーの動き方を調べてみた
ところ驚きの結果が出ました。
それはYouTubeのエネルギー要求量が他の映像系メディ
アと比べて桁違いに多いとうことです。NHKや民放テレ
ビでも視聴すると何らかのエネルギーを捧げるといいま
すか、視聴者からテレビ局や制作者側にエネルギーの流
れが生じているようです。ところがYouTubeを視聴した
場合はその量がNHKや民放、NetFlixやアマゾンプライム
動画等と比べて100倍程度ものエネルギー量となるら
しいのです。
その大きな違いを生んでいるのは、NHKは受信料を、ま
たアマプラやNetflixはサブスク契約で対価を支払って
おり民放の場合は対価としてCMを視聴しております。
ところがYouTubeの場合は広告の入る動画もあるのです
が基本料金は無料です。このことが動画制作者・公開者
の側にエネルギーを集める強い吸引力を生み出している
ようです。その結果、タダより高いものは無い状態を生
み出しているようなのです。
私の場合はついついいろいろな動画を見て時間が過ぎて
ゆくために視聴時間が多すぎてエネルギーが取られ過ぎ
になってしまい、エネルギー不足になってしまったよう
なのです。
そこで早速対策を取ることにしました。YouTubeの時間
を必要最低限に減らしました。結果としては上手くいっ
ているようです。今後安定して投稿が可能になると思い
ます。
世の中はいまロシアのウクライナ侵略で大変なことにな
っております。これはかつてのアフガン侵攻などとは違
って世の中の仕組みをかえてゆくかもしれない歴史的な
事件となると思われます。私達とも大きな関わりがある
ので時間があれば時事板で説明したいと思います。
では失礼。
こんにちは。
時事板で説明したとおり、ロシアのウクライナ侵略の歴
史的な意味についてはすでに多くの賢人が言及している
ようですので一旦措(お)いておきます。
>227 の続きです。日常でエネルギー循環がどのような形
でなされているのか、というお話をしている途中でした。
私達が精神的肉体的な活動を続けてゆくためにはエネル
ギーが必要です。そして実はエネルギーには様々な種類
があります。私達はそれを学校の科学や物理の授業で位
置エネルギー、運動エネルギー、熱エネルギー、電気エ
ネルギー……などと習ってきました。
これらは物質的エネルギーですね。物質世界で様々な現
象が起きるのはこの物質的エネルギーが循環を繰り返し
ているからです。しかし物質的エネルギーだけがエネル
ギーなのではありません。人間意識、そして意識世界に
おける様々な現象もまたそこにエネルギーの存在と循環
があることを表しています。
そしてこの意識エネルギーについては人々はあまり深く
は考えていないのです。学問の世界においてはそんなも
のは想定すらされておりません。
知らない、知られていない、ということは意識エネルギ
ーの存在を知っている人にとっては凄く有利な立場を取
ることができるのです。どうしてかというと、気づかれ
ずに自分に有利な動きができるからですね。ステルスな
んです。あれ?っと気がつくのはもうやられてしまった
後なので、物理攻撃と違って一体誰にどうやられたのか
もわからないままなんですね。
つまり意識エネルギーを悪事に活用している人々も案外
たくさんいるのです。
一方で社会全体としてそれらの活動を中和できるだけの
ライトワーカーの方々も存外にたくさんいらっしゃいま
す。
意識エネルギーは人間の意識活動を成り立たせているエ
ネルギーです。意識は目に見えないのでなかなか意識エ
ネルギーの存在や働きに気づけないのですが、人間の意
識は肉体と密接な関係がありますので意識エネルギーは
肉体を支配するエネルギーでもあります。
全ての現象を作り出すのはエネルギーなので、エネルギ
ー抜きに物事を理解しようとしてもなかなか難しく納得
できないことが多くなってしまいます。
しかしいったん意識エネルギーの存在を認めてよく観察
してみますと、案外するするといろんなことが分かった
り納得できるようになります。
意識エネルギーはこの広大な宇宙の全ての空間に充満し
循環し続けております。そしてこの意識エネルギーが私
達の意識の中を滞りなく循環してゆけば私達はとても気
分が良いわけです。
一方、そのエネルギーの流れが滞ったり欠乏したりする
と、なぜか何も行動する気が起きなくなったり、気分が
陰々滅々(いんいんめつめつ)として落ち込んだり、あ
るいは気持ちがとても辛く苦しくなってしまったりを体
験することになってしまいます。
私は明治期の文学を読みますと、よく「今日はなんだか
気分が良い」みたいな描写があるのですが、読む度にこ
れは一体何のことを書いてるんだろうと不思議でした。
いまになって考えて見ると、その「今日は気分が良い」
とか「今日も気分が晴れない」という描写は明治期の都
会のインテリ青年の意識エネルギー欠乏状態による憂鬱
を表す表現であったのだろうと思われます。
田舎者の私には縁のない精神状態だったので理解不能だ
ったわけです。
私が言う「意識エネルギー」はある意味では一般に言う
ところの「気」とか最近よく聞く「レイキ」などという
ものと同じだと思います。
ただ厳密に同じ概念かというと少し違うかもしれないと
いうか、多分もう少し広い一般的な概念として言ってお
りますので細かく見てゆくと「気」や「レイキ」とは違
いが出てくるのかもしれないと思います。
そこで一応今後も「意識エネルギー」という言い方を使
わせて頂きます。
物理学で言うエネルギーは「仕事をなし得る能力」とし
て定義化されておりましてその仕事はJ(ジュール)と
いう物理単位で評価されます。
私のいう意識エネルギーはこのエネルギーの概念を拡張
したものです。従って意識の仕事量として計測可能だと
思うのですが、現代の科学では意識の仕事を定義する方
法がありません。しかしいずれ科学が進歩すれば定義が
可能になり、意識のエネルギーを計測することが可能に
なることでしょう。
意識のエネルギー量を測るということはですよ、異世界
転生して冒険者ギルドに登録に行くじゃないですか。す
ると魔力計測をされるわけですよね。ああいうことが将
来は現実に出来るようになるのだろうってことですね。
実際異世界転生漫画の魔力の概念は私の考える意識エネ
ルギーに極めて似ており、その活用法についても、漫画
のように物質的現象を起こせるわけではないのですがき
わめて似ていると言えるのです。
さて剣と魔法の異世界に行きますとね、魔法には水とか
火とか様々な属性があるんだそうですね。意識エネルギ
ーにも実は様々な種類があります。物質的エネルギーは
相互に変換が可能なように意識エネルギーも相互に変換
が可要とは思うのですが、種類毎に様々な使い分けがで
きるのですね。
例えば私は金属のエネルギーを使って単純な浄化機構を
作り、試してもらったことがあります。金属のエネルギ
ーですから構造を作るのに適しているんですね。
周囲の空間の邪気を浄化して綺麗な気だけ供給するよう
な空気清浄機のような機能を設計して意識エネルギーで
作り、自分では作っても分からないのでそれを師匠に装
着してもらってどう働くか試してみたのです。そうしま
すと二、三日でクレームが入りました。
その機構を背中に装着して背中から清浄な気が供給され
るような考えだったんですが、なんと「強すぎてしんど
い」って言うんです。どうも自動で周囲のエネルギーが
集まって浄化され、しかも増幅されていたようです。
結局その実験はそこで中止いたしました。
さてこの話を聞くといろいろ疑問をお感じになると思う
んです。まずそれは魔方陣のようなものか?と疑問に思
うでしょう。
ちょっと似たところはありますが魔方陣というよりは霊
的な機械というか、機構というのが適切だと思います。
それは155の話であって我々には関わりの無い遠い世
界の話ではないか?という疑問もあると思います。
そうではなく、やり方を知れば多分誰でも出来ます。し
かし教えません。危険だからです。
何が危険かというと、案外簡単にできてしまうものなの
で、あまりこのような魔術的な知識が詳しく広まってし
まうと自分の欲望実現のために使おうと熱心になる人た
ちがたくさん出来てきてしまうからです。
ではなぜこんな知られたくない話をするのか?というこ
とになるのですが、実は意識エネルギー、私達の日々の
想いのエネルギーは簡単にこのようなことができる大き
な力を持っており、そのような力を多くの方が無節操に
垂れ流しているってことなんですね。
私達は文字や言葉は人の目に触れ耳に聞こえて相手に分
かるので慎重になるものです。慎重になることを忘れて
増長したり増上慢になった発言をすれば今時すぐに炎上
してしまいます。
ところが心の中の想念は人に伝わらないから何を考えて
も自由だと思っている人が多いのですが、そんなことは
ありません。日々の考えるエネルギー、想いのエネルギ
ー、この意識エネルギーは構造を作り、機能を生み出し
て物質的精神的現象を起こしてしまうのです。つまり
「仕事」をしてしまっています。
あるいはまた日々の考えるエネルギー、想いのエネルギ
ーは周囲のエネルギー体や意識に命令して破壊的な想い
には破壊的な現実を、円満は想念には円満な現実を作り
出すように現実を調整していきます。これも意識エネル
ギーの「仕事」ですね。
さてもう一つの疑問が有ると思うんですね。師匠に清浄
なエネルギーが増し増しで流れ込んだのなら、師匠ムキ
ムキ無敵になるんじゃないの?って疑問ですね。なんで
しんどいんですか?って話です。続きは次回に。
霊感即ち霊的感覚(霊的視力や霊的聴力など)のある方
は少ないのですが、霊能即ち霊的能力は誰でも持ってお
りまして、皆さん当たり前のように駆使しているわけで
す。駆使していても当たり前すぎて駆使している事実に
気づかないだけなんですけどね。
それでは私達の駆使する霊的能力にはどのようなものが
あるかというと、思うだけ、心に想像するだけで様々な
現実を作り出す、という創造的能力があるわけです。こ
れが私達の持つ霊能の根本だと思います。
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