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ここまでの話をまとめると、私の一日当たりの送受信容
量は2600、そして一回当たりの送信限度は300を
目標にする、ということになります。
そこで私は自分のために取っておくエネルギーを考慮し
て一日8回分2400くらいまで送信可能だろう。それ
を目標にしようとやってみたのです。
しかし一回300という送信目標は実は過大な可能性が
ある。送信される方からすると過大なエネルギーによる
不快さをギリギリ耐えられる限度、という可能性もあり
ます。
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そして一日当たりの送信量が2000を超えて2200
くらいまで行った頃からおかしくなっておりました。と
にかく時間があると寝るか YouTube の漫画動画を見る
かになってしまいました。
最初はそのおかしさに気がつけませんでした。今から考
えるとちょこちょこと軽い警告は来ていたんです。だっ
て漫画動画の中身が「魔力切れ」でぶっ倒れるみたいな
内容ばかりでしたからね。
ただ、私が一人暮らしで客観化してくれる同居者がいな
かったこと、そして頭痛などの苦しみがなかったことが
自身の異常に気づき難くさせたのだろうと思います。
-
そして逆に私が気づくことが出来たきっかけはというと
まず施術時における紫の太陽現象への疑問。なぜか投稿
できずに寝たり動画ばかり見ている非生産的な生活態度
への疑問。過大送信に対する理論的疑問などが重なった
ことです。それらが急速に一つの考えにまとまっていき
ました。
これはやはり過大送信だったのではないか。現実は適正
送信量、適正受信量があるはず。自分の一日当たり最大
受信容量が2600の時に2600受信して2400送
信するのは、受信に関しては安全率(余裕の程度)0だ
し、送信に関しても安全率8%を切っている。
-
上、「安全率」の用語の使い方が間違っていますね。上
の話だと
「受信に関しては安全率(余裕の程度)0だし、送信に
関しても安全率8%を切っている。」
を
「受信のマージン(余裕)が0、送信のマージンも0.
08しかない。」
に訂正します。
この状態は、構造物で言えばちょっと衝撃があればポッ
キリ逝ってしまう寸前。スポーツで言えば身体を壊す寸
前まで酷使して筋肉痛や疲労で1週間か2週間休養が必
要な状況なんじゃないか?
-
そうすると受信、送信それぞれに対して、どのくらいの
余裕度、安全率で考えるのがよいのかというと、どうも
2.6くらいの安全率(今度は正しい意味の安全率)を
確保する必要があるようです。
具体的に計算すると受信に関しては一日1000まで。
送信に関しては一件当たり110くらいまでを限度に考
えるのが良いというのです。
ただし、生死に関わるような緊急でやむを得ない場合は
受信容量260まで、送信出力300まで、ということ
のようです。
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>760
「受信容量260まで」→「受信容量2600まで」
そして送信出力に関しては、受け手が快適に感じるエ
ネルギー量は人によって違うのだそうで、その人に合
わせないといけないのです。
ところが私は今まではむやみやたらにエネルギーは多
ければ多いほどよい、という考え方で送信エネルギー
量の増大に取り組んできたのです。その結果この数ヶ
月急速に送信エネルギーが増えてしまって、すでに快
適ゾーンを通り越していたわけなんです。
-
エネルギーの送信は後ろの人にお任せしてマッチングし
て頂くのですが、最初は一人から初めて今は同時4人と
か同時5人にも挑戦しています。
そして私がエネルギーを送信した場合に、受信する人に
よって快適ゾーンは違うのですが、一番快適ゾーンが低
い人で70くらい、高い人でも110くらいらしいので
す。
これで最初送信出力の目標値を訊いたときの回答「70」、
そして最初の目標達成して2回目に訊いたときの回答が
「100」だった意味が分かりました。
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こういうことに気がつき始めたのが9月の初め頃で、
9月いっぱいはいろいろ試行錯誤しながら疑問点を
訊き、エネルギーを調整したり生活状態を調整して
おりました。
今はようやくエネルギー的に落ち着きつつあるのか
な、という状況にあります。
今回あらてめて気づいたのは、意識エネルギーの世
界はなかなか一筋縄ではいかないのだ、ということ
です。思い込みや決めつけで過信や暴走しないよう
に前進を続けてゆかなければと思っています。
では今日は失礼。
-
おはようございます。
今日は朝から地元の大学に行く用事がありまして、その
後も仕事が続くので今しか時間が取れそうにありません。
それで少しだけ気がついたことを記しておきます。
ここまでの話の流れなんですが、先ほど気がついたので
すがここ数日は意識エネルギーが過剰な場合の話をして
きたわけです。
そしてその暫く前は意識エネルギーが欠乏する場合の話
をしておりました。
結局意識エネルギーが適切に吸収消化できてない場合に
はどのようなことが起こりうるのか、という話を実例に
よって説明してきたことになります。
-
意識エネルギーが欠乏する場合には精神的にしんどくて
辛いうつ病的な状態になってしまう。
ていうか、鬱(うつ)病って意識エネルギーの欠乏症状
そのものですね。
一方で意識エネルギーを過剰に取り扱ったときには、肉
体や筋肉に大きな負荷をかけて頑張りすぎたときに体中
の骨や筋肉が悲鳴を上げて、その時はいいけれども後で
寝込んでしまって休養が必要になってしまうのですが、
意識エネルギーの場合は骨や筋肉のように痛みや熱はな
いのだけれどもやはり謎の休養が必要な事態になってし
まう、ということですね。
-
そして意識エネルギーの循環については人によっていく
つかのタイプがありそうだ、ということ。
またエネルギーの種類についても、人のエネルギーか、
自然界のエネルギーか、あるいは神仏のエネルギーも
当然想定されるわけです。
そればかりか文字や言葉や音もエネルギーを持っていて
そこから吸収しているらしいことにも少し触れました。
意識エネルギーと一口にいっても、実に様々な種類のエ
ネルギーがあって循環しているらしい、ということなの
です。
-
私の自分自身の外的な目標としては文明の転換なのです
が、内的な目標としては知恵と力と愛の統合です。
そして実は内的な目的もあるんです。それは愛とは何か?
そしてよくいろんなところで「心が大切だ」という話を
聞くんですが、その「心」って一体何のことか?この疑
問を明らかにすることが自分にとっては大きな目的なん
です。
「愛とは何か?」という疑問については意識エネルギー
を追求してゆくなかで「エネルギーの交流である」とい
う、一応の自分なりの納得を得ました。さっぱりわから
なかった状態からは少し前進できたわけです。
-
そしてもう一つの「心」とは何か?いったい何を指して
いる言葉なのか?という永年の疑問は、この疑問につい
ては今までお話ししたことはなかったのですが、この疑
問についても意識エネルギーの実践と研究を続ける中で
ようやく自分の答えが紐解けて参りました。
そこで次はこの、心とは何かについてお話ししてみたい
と思います。
そしてこれらの話は実は津久井やまゆり園事件が突きつ
けた疑問、人間の平等とは何か?という話の説明の準備
なんですね。
-
まぁっあっしの考えとしましては、「人間は平等だ」な
どと偉い先生方は仰いますが、知恵と愛だけで人間を語
ってもどうしても本当に「平等だ」という納得には至れ
ないんじゃないか?どっかで矛盾した気持ちを隠さない
といけないのではないか。「いやいや、能力の有る人こ
そ価値があるでしょう」って考えに反論できないのでは
ないか。
本当に「平等観」の納得を得るためには力、意識エネル
ギーの観点からも人間を理解してゆく事が必要になるん
じゃないか、ってことです。
それでは今日はこれで失礼します。
-
こんばんは。
さきほどネットでニュースをチェックしてみたら、真鍋
先生がノーベル物理学賞を受賞したっていうことでビッ
クリしました。おめでとうございます。
で出身地が愛媛ですか。
これで愛媛は三人目ですよね。
なにげにノーベル賞受賞者輩出率高くないですか?
真鍋先生はお人柄も率直で人を差別しない素晴らしい方
だとの評判ですね。お顔を拝見するとなるほどと感じま
す。
ご自分に確固たる自信をお持ちのようですから、人を差
別するなどという生き方からは最も遠いところにいらっ
しゃるのでしょう。
-
学問の世界にはこのような素晴らしい先生がいらっしゃ
る一方でなかなか香ばしい方達も少なくありません。
それはなぜかというと、学問をなさっている方達は大体
においてみんな頭がいいわけですね。そうしますと彼ら
は調子に乗って勘違いしやすいわけです。
どういう勘違いかというと、自分が頭が良いものですか
ら、周りの考え方の問題点が分かっちゃいます。そこで
みんな分かってないなぁ、自分のものの見方、考え方こ
そが正しいのに、って感じちゃうんですね。
-
ところがこの考え方・ものの感じ方には致命的欠陥があ
ります。
それは、周りで発言する方達の知的な小理屈のうえでの
問題点はしっかりと分かっているのでしょうけれども、
それが人間の全てではない、ってことですね。
周りの方々が変な理屈をこねているときには、確かに彼
ら、彼女らが単にお馬鹿なときもあるとは思うのですが、
様々な背景があったり現場の事情があったり、あるいは
逆に先生方の知識の方が本当は十分でない場合すらある
んです。
それなのに自分が絶対に正しい、と思い込みやすいのが
学問の世界の闇ですね。
-
そんなことを考えさせるような事例を一昨日目にしまし
て、昨日大学に行ったときに先生に話してみたのです。
「先生、H田N樹さんが日本児童青年精神医学界総会での
対談予定を、イジメに遭ってキャンセルさせられた事件
をご存じですか?」
そう聞くと先生は「いや知りません」ということでした。
この事件は2016年にあったことです。私は一昨日H田さ
んの事を検索していて対談中止の告知文が出てきたので
今年の事件と錯覚して話してしまいました。
-
時系列は間違っていたのですが、事件は次のようなもの
でした。
H田さんは自閉症という障害をもっています。自閉症と
いうのは周りからはとても理解しにくい障害で、一切
喋らない、周りとコミュニケーションをとらない、突然
飛び跳ねたり暴れ出す、などで家族の方はとても悩み、
苦労されたようです。
ところがお母さんが文字盤を作って与えると、それを使
ってH田さんは周囲とコミュニケートし、自分がどうし
て暴れたり飛び跳ねたりするのかを説明できるように
なったのです。
-
彼は13歳の時に文字盤を使った方法で執筆し「僕が飛び
跳ねるわけ」と言う本を出版します。これが各国でベス
トセラーになり注目されるようになったのです。
そして2016年に岡山で開催された第57回日本児童青年精
神医学会総会のプログラム、教育セッション「当時者と
の対話」で発達障害当事者の一人として、山登敬之医師
(東京えびすさまクリニック)の対談相手として登壇す
ること予定されていたのです。
ところがこの当初の予定は途中から不穏な成り行きに変
化していってしまいます。
-
それは学会の理事会が、H田氏が現在もFC(Facilitated
Communication)を使っているかどうかが争点となり、
1ヶ月半も紛糾したのです。結局理事会はこの教育セッシ
ョンの開催を認めるのですがそのときこの理事会の文書
をH田氏に送って読ませたのです。
結果H田氏はこの教育セッションへの登壇を辞退しました。
とても分かりにくい話なのですが、早い話が偉い先生の
一部がこう言い出したのだと思います。「H田、お前が
本を書いたり講演したりしているのは全部ウソだろう。
本当はお前の母親が操り人形してるに違いない」
-
早い話が決めつけによるイジメで辞めさせたのだと思い
ます、と私は大学の先生に経緯を説明しました。
実は昨日お会いしたN先生はH田氏の高松公演をサポート
したりして、H田氏やお母様とも面識があり、よく彼の
実情を知る立場にあるのです。実はお母様がH田氏の中
の人なのかそうではないのか、率直に語ってくれました。
結論は著作も講演もすべてお母さんは関与してない。
H田氏自身のものだ、ということです。
続きは明日に。
-
おはようございます。
何人かで地元の大学に行きN先生とお会いして自閉症の話題に
なった時のお話をしています。なぜ自閉症の話題になったかと
いうと、同行の友人氏がお知り合いの子供さんが自閉症なので
関心を持って話題にしたのです。N先生はさまざまな社会的活
動に参加しておられますが以前お会いした時にN先生からH田
氏を知っているというお話がありました。友人氏はその話に興
味を持ったのですね。
私もそれ以降興味を持ってH田氏のサイトに目を通したり関連
情報を見ていたところ検索で学会での教育セッション中止の情
報が引っかかったのです。
-
その情報を読んだときは、「ん?なんだこれ、きな臭いぞ」と
思ったのですが詳しく経緯を調べてみるとやはりキナ臭かった
です。それでH田氏の話題に私も参戦して聞いてみたわけです
ね。
そうしますとN先生はその話はご存じなかったのですが、H田
氏についてご自分が身近で見聞したお話を色々と話して下さい
ました。
その話を聞いて、自閉症という病気(障害?)の不思議さを教
えられました。自閉症は声は出すことはできるのですが、言葉
にすることができない障害なのだそうです。そのため長い間彼
らには知能すらないのではないか、というような扱いを受けて
いたようです。
-
なぜかというと現在の知能検査という方法を使う限り彼ら自閉
症者の知能を測定することができないからなんだそうです。
検査方法が全く彼らの特性に会っていないのですね。だからH
田氏の知能も測定不能なんだ、とN先生はおっしゃいます。
自閉症者の知能を測定するためにはそのための検査方法を発明
しなければなりません。ところがここで知性の世界の不思議な
理屈が炸裂するんです。なんらか方法で彼らの能力を測定する
ことができたとして、果たしてそれが知能と言えるのか?従来
の知能検査で測定してきたものと同じ能力を測定していると言
えるのか?という難問が出てきてしまうのです。
-
そもそも知性も痴性もともに言語、ことばに深く依存してるん
です。考えてみてください。賢そうなことを言ったり書いたり
したら知性が高いって褒めてくれて、アホなことを言ったり間
違ったことばっかり言ったりしたらお前は痴性が豊かだよ、っ
て貶(けな)される仕組みじゃないですか。
ですから話せない、さらに人とミュニケーションすらも取ろう
としない自閉症者って、痴性の存在すら疑われてしまう、って
のも学問の世界にあっては自然な流れです。
-
>778 - >781
すみません、いつもと違ってPCからではなくタブレットから
送信したので名前を入れ忘れていました。
さてこのようなわからないことだらけだった自閉症者の世界が
一体どのようなものなのかは当事者であるH田氏が文章化して
くれたおかげでパッと目の前が開けたように明らかになってき
たのです。
と申しましても自閉症の意識体験の世界も相当広いと思います
のでH田氏が語る世界が全てではないでしょう。それでも私た
ちが彼の著作や講演によってその一端を窺い知れるようになっ
たのはものすごい進歩なんです。
-
H田氏が自分の考えや体験を文章化することができるようにな
ったのはお母さんがアルファベットの文字盤を作って渡して使
い方を教えたからです。彼は文字盤を使って周囲の人や、やが
て大勢の人とのコミュニケーションをとることができるように
なっていったのです。
そしてここからが不思議なのですが、彼は自分の考えを声を出
して言葉で伝えようとするとそれはできないのです。
ところが一旦文字盤を指差してその文字盤を読む方法だと声を
出して言葉にすることができるというのです。
-
なのでスピードは一般の健常者のような速いスピードではなく、
ちょっとゆっくりになるようですが普通に文字盤を自分で指さ
しつつ自分で講演もできるのだそうです。そしてN先生がした
質問にもその場で文字盤を指差しながらちゃんとしっかりした
考えを発語して返してくれた。お母さんが操り人形しているわ
けではありませんよ、と断言なさっていました。
だからもし学会のH田さんと山登医師との対談の教育セッション
が実現していたなら、多くの医師、学者がその事実を自分の目
で確認して判断し、納得できたことでしょう。
-
こんばんは。
さて、2016年の岡山で開催された日本児童青年精神医学
会で当日の教育セッションの目玉企画の一つだったH田
氏と山登医師との対談が中止された話をしております。
このセッション開催問題は医学会理事会で一ヶ月半に渡
って紛糾します。これについて理事会は一応の企画承認
はしたものの、「理事会文書を公開する」という条件を
付けることに成功します。理事会文書は事前にH田氏の
もとに送付され、それを読んだH田氏は登壇辞退を伝え
てきます。
理事会側は上手くH田氏の学会での対談を阻止できたの
ですね。
-
なんだか学者のくせにずいぶんと汚い政治的な動きを
している印象がしますね。
しかしもちろん当事者である学者の先生方は、自分達
の正義を掲げ、学会でのH田氏の対談を阻止することで
「学会の良心と正義が守られた」と安堵していたこと
でしょう。
これは歴史の中では何度も何度も繰り返されてきた事例
ですね。
例えば明治時代に当時の東京帝国大学助教授だった福来
友吉博士は熊本県の御船千鶴子氏や丸亀市の長尾郁子氏
の超能力実験をします。ところがこれは学会の強固な妨
害にあってしまいます。
-
御船氏は透視実験を、また長尾氏は透視や念写実験を
してみせるのですがそれは一部の学者の賛同を得る反
面、多くの学者や新聞に不信と疑惑を呼び起こすよう
になってしまいます。
意識が関わる現象の多くに共通することなのですが、
当然ながら意識の状態に結果は大きく左右されてしま
います。自然現象や自然法則を扱う理学者から見ると
「皆さんが私を疑った目で見ると精神状態が乱れて上
手く集中できません」などと言われるとこれは詐欺師
の言い訳なり、と決めつけるのも仕方ありません。
-
そのために福来博士が公開実験した御船氏は強いストレ
スにさらされとうとう自殺してしまいます。またその後
実験した長尾氏も反対派の学者から「透視と念写は詐欺
である」と一方的に記者発表されストレスで引きこもっ
てしまい、二ヶ月後に風邪で死んでしまうのです。
さらに福来博士自身も大正3年に東京大学学長から警告
を受けたあと自説を曲げなかったため大学から追放され、
新聞から「いかさま師」「ペテン師」と攻撃されて信用
を剥奪されてしまうのです。
-
この事例を見ますと福来博士はもちろん新たなる真理を
発見した、と思って自分の信じるところを発表しており
ます。
その結果帝国大学助教授という食を失い、宗教系の大学
に移り晩年は忘れられていってしまいます。
一方で反対派学者達も学者の風上にもおけないトンでも
学者がこれ以上のさばるのを阻止し、追放した、とこれ
も正義の立場です。
能力者の御船氏と長与氏はというと自殺に病没という結
果で一番割が合いません。
-
これを勝ち負けで言うと反対派の勝ち、福来博士の負け。
能力者グループは踏んだり蹴ったりの大損であります。
また正邪で言えば正義は反対派にあり、福来博士や能力
者グループは邪な連中であるとレッテルと貼られてしま
ったのですね。
福来博士は自分の信じるところを主張できたのですから
たとえ学会から受け入れられなかったとしても自己の誇
りの中で生きることが出来るのですが能力者の人々はど
うでしょうか?人にない能力のために学者から世間のス
ポットライトを当てられ、上げられたかと思うと落とさ
れる…。
-
これは災難です。
何も悪いことはしてないのに悪人扱いされ、無実の自
分たちを貶(おとし)めた人々は栄えている…。
これでは割りが合わないですね。
これが本物の能力者がなかなか表舞台には出てこない
理由ですね。出れば上げられて落とされる、って分か
ってますから。
余談になっちゃうんですけどね、誰にも打ち明けてな
いだけで不思議な能力を持っている人々は案外多いん
ですよね。
案外皆さんの身近にもいるかもしれません。
-
さて正邪や勝ち負けという二分する思考で言えば、それ
は必ずどちらかに決着をつけないといけない、って話に
なります。ですからこう考えるわけです。
「こちらは正しいのだ。だからこれ以上調べなくてもあ
ちらは間違っていることは決まっている!」ってね。
あるいはちょっとでも怪しいところがあると感じると、
「やはり彼らはおかしい。何かをごまかしている。私達
の考えは問題ないのだからこれ以上調べる必要はないの
だ」というふうに深く考えなくて決めつけてしまいます。
-
我々はテレビや新聞や雑誌、最近だとネットで学者や偉
い先生が「これが正しいのだ」と強く主張すると、ああ
そうなのかな、と思い込んでしまいます。
しかしそれには少し落とし穴があるんです。
なぜならその学者や偉い先生がこうした二分的思考の持
ち主である場合は自分では信じ切って正しいことを言っ
ているつもりで実際は不正確な主張をする確率が高くな
るからです。
それはコロナを巡る様々な主張を冷静に見て比較してみ
るとよく分かると思うのです。
-
コロナを巡っては多くの学者や知識人が様々な言説を
表明しています。それら多くの話の内容は大きく二つ
の流れに分けられると思うんですよ。
一つはこうです。
「みんなもおかしいと思ってると思うけれども、いま
政府や行政や医学界のやっていることは本当はダメな
やり方でこんなことをしているとみんな大変なことに
なるよ」
って現場にケチをつけて危機感と不信感を煽る言説で
すね。医療崩壊論とかPCR検査増やせ論とか、政府が
コロナ死亡者隠蔽してる論とかですね。
-
もう一つはこうです。
「みんなまだ知らないと思うけれども、本当はこういう
事実があるんだよ。でも政府のご用学者は馬鹿でわかっ
てなかったり狡(ずる)くて本当のことは言わないんだ
よ。本当はね…」
ってパターンですね。これにはコロナで人口削減論とか、
某知事の主張されたようなイソジンがコロナウィルスに
効く論とか、空間除菌でコロナ対策とかイベルメクチン
でコロナ予防と治療…とか色々ありますね。
-
つまり一つ目の言説は「あいつらはダメだ」とケチを
つけ、二つ目の言説は「私が正しいことを教えてあげ
る」って代わりの考え吹き込むパターンです。
で、経験的に言うと、この二つのパターンを信じて行
動すると結果としてたいてい酷い目に遭ってるんじゃ
ないかと思うんです。
あたしは家庭教師ですから教育の例で言うと最近では
「受験詰め込み教育がダメだ」ってんで「ゆとり教育」
に代えて、「円周率が3ってふざけんな」ってまた「脱
ゆとり教育」ってんで教科書厚くして。
-
でどうなりましたか?学校良くなりましたかっていうと
良くなったと感じてる方は少ないんじゃないでしょうか
ね。
私の立場から言うと学力だけについてみると今の生徒は
読み書き計算の基本能力ができんなぁって思います。
そりゃ昔から出来ない子は出来ないんでそこは余り変わ
らないんですが、平均値が低いですね。
平均値が低いんでまともな大学受験には耐えられないん
でみんな「部活とかで頑張りました。ボランティアも
(学校から手配されて授業の一環で二、三回)ちゃんと
やりました」と。
-
それで1200文字前後の作文と面接で「私は性格もいいで
す。行動もいいです。入学したら凄く勉強します」とま
るで嘘つき大会して、だますのが上手な人が入学できる
推薦入学システムとかで大学行くようになりました、っ
て見えるんですよね。
うがち過ぎですか?日本の大学受験を貶しすぎですか?
でも来年から本格的な入試改革で正規の学力試験による
受験(大学入学共通テスト)が一層難しくなるようなの
で困ったものだと思います。
-
このようにそれぞれの立場にある人々が一生懸命に自分
が正しいと信じて仕事したり活動したりしてるのは分か
るんですが、それが全然報われない。
超能力実験の例で言えば善意の研究者や能力者を追い込
んで失脚させたり自殺させたりしている。
コロナと菅首相の例で言えば公約したとおりワクチンを
必要量確保して絶対出来ないとまで言われた一日百万回
接種を実現して、コロナ禍で東京五輪を問題なく実施し
て、今また第五波を驚くほど沈静化してしまった、客観
的に言ってコロナ対策半端ない総理がなぜかダメ総理と
いうことにされていますね。
-
教育の例で言うと子供のためにってんでマスコミや偉い
人が騒いで文部省や文科省が一生懸命対策したのになぜ
か子供の学力がだんだんやばいことになり、イジメが増
え…って方向になっていっている。
N田氏の例で言うと、自閉症児が文字盤で他者とコミュ
ニケーションをとれるようになり、その事実を専門家に
知ってもらおうとすると対談を辞退させられる。
これどれも当事者達は批判する人もされる人も、勝者も
敗者も一生懸命自分は正しいことをしている、って思っ
てやっていて、結果として良くなっていないんですね。
いったいどこに原因が在るのか。
-
私はこれ、物事を善悪正邪に二分してゆくような考え方
に根本的な原因があるんじゃないか?って疑っているん
です。だってみんな自分が可愛いですから、基本「自分
が正しい」って思っているものなんです。
それが学者の先生などになりますともっと大変です。
だって現代は知性がリードしている社会です。世の中に
は何事に対してもどんな場合でも「正しい答え」という
ものが存在して頭の良い人だけがその正しい答えが分か
るんだ、っていう風に日本人は義務教育と高校教育の
12年間でたたき込まれてるんですよ。
-
みんな「自分が正しい」なんです。
なかでも学者の先生は日本人の中で一番頭の良いグルー
プ(と自分たちは思ってますものね)なんですから、学
者の先生達の考えることが一番正しくないといけないん
です。
まぁそうなっちゃいますね。
そうなっちゃいますと、学者の先生方が一度「これが正
しい」と思ったことはなかなか変えることが難しくなっ
てしまうのです。
だって「一番正しい私達と違う考え方をする人は、そち
らの方が間違っている」って問答無用に切り捨てられや
すいんです。
-
アラサーさん、おはようございます。
ちょうど、似たようなことを考えていました。
最近『デマ』という言葉をよく見かけますね。
あんな言葉を誰もが気軽に選び、相手に投げつける風潮がたまらなく悲しくて涙が出てきます。私が変なのかな、考えすぎかな。
-
こんばんは。
>803
「デマ」ですか。
言葉には言霊があると言われておりますね。それだけ聞
くと何のことだろうと思うのですが、実は意識エネルギ
ーを体験しますとなるほどとわかって参ります。
一つ一つの言葉にはイメージがあり、言葉を思ったり使
ったりするとたった一語であっても話者やその言葉を向
けられた相手、そして周囲でその言葉を聞いている人た
ちの意識の設定をしてしまうんです。
これがナイフによらずに言葉で人を殺す原理であり、メ
スによらずに言葉で人を生かす原理ですね。
-
ですから803氏が他人が発するたった一つの言葉が涙が出
るほど悲しい、と仰るのは803氏が言葉のエネルギーに大
変敏感であるからだろうと思います。
敏感であるとはよく分かるということであり、やがて使い
こなすことが可能である、ということでもあります。従っ
て803氏にその意志があるなら、やがて氏は言葉のエネル
ギーを解放して駆使し、また意識エネルギーをも広く駆使
するようになってゆくことでしょう。
なお「気」と呼ばずに意識エネルギーと呼ぶのはその方が
広い概念として使える言葉だからです。
-
( >802 の続き)
物事を善悪や正邪に二分してゆくような考え方には根本
的に限界点というか、おかしいところがあるんじゃない
か?私はそう思うわけなんですね。
ところが学者の仕事はその善悪だったり正邪に物事を二
分してゆくところにあるじゃないですか。
「君たちこれは間違っていて正しいのはこっちの方だよ」
とか、「いやアレをやると大変なことになるのでみんな
こうすべきなんだ」って間違いを指摘して正解を教える
のがお仕事ですよね。でもこれをやってるから学問が幾
ら発達しても人間の心がなかなか発達してゆかないのじ
ゃなかろうか?
-
この二分法的考え方は学問の方法としては大変成功を納
めてきたといえるんですね。しかし人の心が関わる分野
についてはどうなのか。果たしてこの方法論が適用でき
るものなのかどうか。この方法論のおかげで実は息苦し
く住みにくい世の中に変わってきたところがあるんじゃ
ないか?
人の心が関わる分野って広いんですよ。
教育もそうですし。社会の在り方や法制度、政治経済も
人の心の動きが直接影響してきます。
ところがこうしたものの考え方に真っ正面から戦ったグ
ループがあるんです。
-
それは1970年代に川崎市を中心に活動したグループで
「青い芝の会」といいます。彼らはなんと脳性麻痺の
障害を持つ人たちだったんです。当時その中心人物だ
った横田弘さんは行動綱領を発表してこう宣言しまし
た。
「われらは愛と正義を否定する われらは愛と正義の
持つエゴイズムを鋭く告発し、それを否定することに
よって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉で
あると信じ、且、行動する」
なかなかかっこ良かったと私は思うんですが、もちろ
ん世間的には大ブーイングを巻き起こしました。
-
「愛」といえば善の極みでしょ?「正義」はもちろん
正邪の「正」ですよね。ですからこれは善悪正邪の二
分的な思想をバッサリと否定してるんです。
その理由は宣言の二行目に書いてある通りなんですが
世間様のいう「愛と正義」にはエゴイズムのエネルギ
ーが込められてるぞと感じ取っていたわけですね。
803氏はなかなか言葉のエネルギーに敏感な方ですか
ら「デマ」って言葉に涙が出るほど悲しくなった。そ
んな803氏ですから803氏も「愛と正義」という言葉を
改めて聞くと横田氏に共感できるかもしれませんね。
-
これをもう少し分かりやすく申しますと、「おっちゃん
おっちゃんあんたあの娘を愛してるというけどな、それ
はあの娘(こ)が美人さんだからなんか?そんなら事故
か何かで見られん顔になったら好かんようになるんか?」
愛する理由は?ってことですね。
「おばはんおばはんあんたあの娘(こ)にやさしゅうせ
いというけどな、それはあの娘が事故で見られん顔にな
ったからなんか?初めから不細工やったらやさしくせん
でもええのんか」
愛さなくては許されない理由は?ってことですよ。
-
いやぁ「これが愛なんです。私は貴方を愛してますよ。」
って言われたら、そりゃ私も「けっこうです。貴方の愛
は要りません」って言いますね。
横田氏は世間がいう「愛」の言霊はこんな低いバイブレ
ーションでしかないことを見抜いたと思うんですよ。
だから「愛」を否定したんですね。愛という言葉で飾っ
た憐憫とそこに隠された差別意識を拒否したんですよ。
てことで続きは又明日。
-
アラサーさん、おはようございます。
親バカ話で恐縮ですが、私は第一子が生まれた日、腰を抜かしそうになったんですね。
つい力み過ぎた、というのは冗談で
自分の子どもが体外に出た瞬間、それこそバイブレーションのように、私を大きく震わすものがありました。
自分より大切な存在がこの世にある、という実感。
育児雑誌にも書いてなかったし、愛情が希薄な家庭で育った私には衝撃でした。
あのときばかりは、見えない世界と繋がって「しっかり頼んだぞ」と言われた気がしました。
嬉しかったけれど、キャパのない私には責任重大過ぎて、いまだ毎日のように狼狽えております。
横田氏に世間様が押し付けてきた『愛』は、そういうのではないなあ。
『正義』という言葉は、そういえばじっくり考えたことないなあ。
-
『ナイフによらずに言葉で人を殺す原理であり、メスによらずに言葉で人を生かす原理』
↑
こちらはどなたかの格言ですか?アラサーさんのお言葉ですか?
心が動かされました。胸にしっかと刻みます。
そうか、太陽やお星さまと繋がるのはまだ難しそうだけれど
言葉なら私にも使えます。素敵な大ヒントを有難うございます。
激しい世の動きを検索したり読んだり嘆いたり憂いたりするばかりで
自分自身で書くことを忘れていました。
アラサーさん、後ろの方、いつも有難うございます。
-
こんばんは。
日付が変わってしまいましたけど、まぁまだ寝る前なの
でセーフということでお願いします。
>812 「私を大きく震わすもの」
意識エネルギーを体験して見ますと本当にそのとおりで
大きくエネルギーが流入しますと震えるような体感があ
るんです。それも大変精妙な震え方という感じがします
ね。
812さんの場合は第四チャクラと第七チャクラが強いエ
ネルギーに感応しているようですのであなたの受け取っ
た感覚、感想は正確なものなのだと思います。
-
第四チャクラは通常愛のチャクラと呼ばれてると思うん
ですが、実際に第四チャクラが機能すると胸の波動体験
にビックリします。第四チャクラは胸のチャクラです。
いやこんなん聞いてないよ。世間ではこんなにも愛だと
か恋だとかの話題ばかり想念ばかり溢れているっていう
のにどうしてこの現象のことを誰も語らないの?語って
る人がいないのよ?って不思議になりますね。
実際は語っている人もいるんでしょうが、声が小さくて
ちっとも世間には流れてきませんね。愛の波動と好きの
興奮状態とを完全に混同していると思います。
-
私の愛の波動体験は割と最近のことなんですよ。といっ
てももう七、八年前のことなんですが。
私は前にも説明したと思うのですが、子供の頃から「慈
悲」という言葉は理解できるのですが、どうしても「愛」
と言う言葉の意味がわからなかったのです。永年謎でし
た。もちろん世間でいう愛は分かるんですが、それには
強烈な違和感とそれは全然違うじゃないかという確信し
かないんです。
かといって「愛」って何か?と自分に問うても何も答え
が出てきません。
ですから「愛」とは何か?という問いは永年私の中で大
きな課題になっていたのです。
-
実はもう一つ分からない言葉がありました。
それは「こころ」とは何か?ってことです。
人はよく人間は「こころ」が大切だ、って言いますし、
いろいろな本を読んでもそう書いてることが多いです
ね。
ところがこれがまた私には幾ら考えても「愛」の時と
おんなじで分かったようでわからない。幾ら考えて自
分なりの答えを出したように思っても分かったという
感じがしない。つまり分かってないんです。
-
そしてこころが大切だと説く様々な本を読んでみても、
大切だというのはわかるがではこころとは何ぞ?という
一番肝心な問いには、私が納得できるような答えを示し
てくれた本が無いんですね。
いやぁこれはもう私の人生における2大謎になってしま
ってずっと心の片隅を占めてきた疑問だったんです。
それが意識エネルギーの体感を追求し始めて、まず「愛」
について、なるほどと思える理論的考察というか理論的
な「愛の定義」を得たのですね。そしてまた「愛の体感」
を得ることが出来たのです。
-
七、八年前に得た愛の体感というのは次のような体験で
す。
私はそのときある掲示板を読んでおりまして、とある発
言者に注目しました。大変知的なだけでなく、澄み切っ
た感じの存在に思えたからです。そこでその発言者の発
言に対して私も感想を述べてみたのです。
ところがそこから不思議な体感が始まりました。なんと
胸のチャクラが開く感覚がするのです。胸が温かくなり
ぐっと中で何かが膨れ上がったような感じで胸を中心に
身体に微細で精妙な振動を感じるのです。暖かいバイブ
レーションですね。
突然そんな体感が始まったのです。
-
ビックリしましたけど、冷静に投稿しました。すると
なんとその方からもすぐに返しの投稿があって、暫く
の間チャット状態のやりとりになってしまいました。
私は理論的に「愛とは存在同士のエネルギーの交流で
ある」という定義を得ました。これは私が思うような
「愛」を知的に説明するための言葉です。
しかしこの胸のバイブレーション体験は単なる言葉で
はなく実際に二人のエネルギーの交流を体験です。
二人のエネルギーが繋がり合って共鳴する。それは頭
で考えるよりずっと感動的なエネルギー体験でした。
-
そしてこの体験によって、エネルギーの交流は相手によ
っては互いに認識しただけでも自動的に始まってしまう
ことがあるのだ、という点にも気がついたのです。
二人は顔も名前も知りません。しかしお互いに認識し、
意識を向け合うだけでもエネルギーの交流が起こる場合
がある、とは凄いことではないでしょうか?
この話、もう少し掘り下げてみたいんですが、今日は時
間も遅いのでまた明日に。
では失礼します。
-
こんにちは。
昨晩は友人から妹さんについてチャネリングをしてアド
バイスして欲しいと頼まれたので彼女について様々な角
度から聞き倒していたら朝になってしましました。
その方は事業所の責任者が代わってそれ以来何をしても
悪い方向にとられて責められ、手足となっている部下を
「役立たず」と決めつけられて次々人を減らされている
状況で、それでも休日返上で仕事をこなしていてるので
す。しかしさすがに精神的に疲れてもう辞めようかとい
う気になっているみたいです。
-
世の中あるあるの一つですね。テンプレみたいなお話で
す。
>822 4行目 「聞き倒して」→「訊き倒して」
そこでこの方について訊いてみたところどうもそれは彼
女の運命が職場を離れるべく後押ししているようでした。
彼女の職場の責任者が何年か前に代わったのですが、責
任者が代わることでその職場の運命も波動も責任者に従
って下降局面に入ってしまったのです。そのために彼女
のエネルギーとは合わなくなってエネルギー的な反発現
象が起こっているようです。
-
そんな職場はさっさとおさらばして、暫く休養して次の
職場を探したら?と思ったのですが、更に訊いてみると
「次の職場を探す必要は無い。もう働かなくて良い」と
の通信なんですね。
どういうことなんですかと思いますと、どうも運命自体
が彼女が職場を離れるように促しているのですね。
もう働く時期は過ぎた。これからは内面の充実に全力を
尽くせ、みたいなね。
それで内面の充実とはと探ってみるとどうもめちゃくち
ゃ要求が高いのですよ。
-
まるで地上に降りた菩薩様に「おい、地上生活の精算に
かかれよ。ちゃんとレポートまとめて提出な」って言っ
てるみたいな要求度なんです。
これはおかしいな?と思ってさらに彼女の寿命を探って
みますともう10年は残されていないようです。
ですからもう働いてこの地上の厳しい体験をする時間は
過ぎたので、これからはそれを糧に体験を知恵に変える
取り組みをしなさい。そして残された時間はギスギスし
た辛さしんどさではなくて、丸くて暖かく楽しい感情で
満たしていきなさい、という感じなんですね。
-
そして彼女の人と為(な)りを姉である友人に確認して
みました。そうすると本当に菩薩様のような人なんだそ
うです。
彼女自身は最初妹のことをぼんやりした何も出来ない子
のように認識していたそうなのですが、学校にあがると
頭角を現してきて学業もスポーツもトップを取っていた
ようです。
そこでその学校は外国系列の学校だったので本国政府か
ら目を付けられて本国政府の支援で外国系の大学校に進
学するよう話があったそうなんですが両親の猛反対で思
い止まったそうです。
-
そのように能力も非凡なものがあったようですが結局
大学には行かずに高卒で働き始めます。彼女の非凡な
のは能力だけではありません。彼女は絶対人の愚痴も
批判も言わないのだそうです。だから女性が多く集ま
って揉(も)めやすいようなところでも彼女がいると
揉め事にならないそうなんです。
道理の通らない人が自己主張しても「仕方がない」と
受け流せ聞き流せる人なのだといいます。
いやこれ絶対に本物の菩薩天使やん。
そして設定したこの世の時間の終わりが近づいている
ので早く帰り支度しろってことか。
-
この方は真面目に与えられた職責をどこまでも果たそう
としてしまうので、放っておくと死期が来るまで働いて
しまいます。
それでは困るので早めに仕事を辞めさせようという運命
の采配があったということでしょう。
いやぁこんなことがあるんだな、って思いながらチャネ
リングしていました。
この方の場合、なぜ死ぬまで働くより早めに仕事を辞め
て人生レポートのほうに専念しないといけないかという
と二つの理由があるようです。
-
一つは生きているうちに人生の意味や価値に気づく体験
をすることですね。
人生っていろいろ理不尽な事に出くわすじゃないですか。
少々の理不尽ならばしょうがないなで許すことも出来る
のですが、とんでもない理不尽に出会うこともあり得る
し、また環境によったら理不尽なことに毎日会い続けて
逃げ出せないことだってあり得るわけですよ。
いいことばかり続く人生なんてなかなかないものですし、
そもそも魂としてはそんな退屈な人生はあまり望んでい
ない、ということもあります。
-
このように自ら望んだとはいえ理不尽な苦しみに遭うと
なかなか生きている内にはその理由もその体験の価値も
分からないものです。
死んで初めて様々な霊的指導者に教え諭(さと)されて
永年かかってやっとこさ苦しみの意味を理解してゆく、
って流れになりますね。
でもこの過程を生きているうちに着手できるって凄くな
いですか?霊界での学習と浄化に必要な時間と修行を、
ある程度地上で済ませて帰るってことですよね。
-
生きている内に自分の人生の意味や価値に気づく体験が
できるようになると、それは能力として次以降の人生で
生かすことも可能になってくるでしょう。これが一つ目
の意味ですね。
そして二つ目の意味は先ほども申し上げたように霊界に
帰ってからの過程を短縮できるという効果があります。
何か目的を持って早く生まれ変わりたい、と言うような
ときには便利です。
-
ですからこの妹さんの場合には、できるだけ早い時期に
生まれ変わる計画があるのかもしれません。
まず一度生まれてみて現代社会の様子を身をもって体験
してその仕組みや人々の考え方と問題点を理解する。
次に社会の仕組みや考え方に大きな変化が起きない間に
時間を置かずに生まれ変わってきて今度はしかるべき影
響力を発揮することを狙うってシナリオですね。
なかなか興味深かったので投稿しました。
次回は >821 の続きです。
では失礼。
-
おはようございます。 >821 の続きです。
相手を認識しただけで胸のチャクラの共鳴体験をした、
という経験のお話をしました。
このように意識のエネルギーは私達の想定外の動きを
することがあり、様々な現象を引き起こして参ります。
私達が気がつかないうちに意識のエネルギーの働きに
よって心や体に影響を与えてゆく事があるわけです。
では一般的には意識のエネルギーはどのような伝わり
方をしているのかを考えて見ましょう。
-
これについては以前詳しく通信で確認してみたことがあ
るのでそれに従ってご説明します。
まず意識エネルギーは接近や接触によって伝達が可能で
す。
次に意識エネルギーは相手に想念を向けることで伝達が
可能です。
また意識エネルギーは言葉や文章により伝達が可能です。
最後に意識エネルギーはセックスにより伝達が可能です。
これは接近や接触の一種と考えられるのですが、やはり
特殊な形態なので別カテゴリーで考えるのが良いと思わ
れます。
-
いまのところ私には原理的にはこれだけと考えられるの
ですが、この四つの原理を応用するだけで様々な技術を
使うことができます。事実古来から様々なテクニックが
開発されているようです。
さてそうしますとこれによって様々な意識現象、肉体反
応を説明することが可能になります。
例えば人酔いという現象があります。
私が四国の田舎を出て初めて京都の四条河原町に行った
とき人酔いしました。当時は人酔いという言葉すら知ら
なくて、一体どうしたのかしらと思ったものでした。
-
その場にいるだけで違和感を感じて体調が悪くなるんで
すね。これは自分に馴染まないエネルギーが飽和してい
る空間や人と、接近や接触したから説明することが出来
ます。
もちろん霊的な影響、意識エネルギーの存在を認めない
立場からは視覚情報などの情報過剰による脳の処理能力
オーバーによって体調変化が起こった等と説明は可能で
すね。
霊的な存在を実証しようとしてもなかなか難しいのは、
霊的現象や存在を否定する立場であっても肯定する立場
からであっても、どちらからでも同じように説明が可能
な点です。決め手がないんです。
-
ですから、ときどき「魂が実在する、意識が実在する、
あの世があるということを、疑いようがないように確実
に証明して欲しい」って方がいらっしゃいます。
でもね、だけどね、ですけどねー、…ですよ。
これは実は証明すべき問題ではなくて選択の問題なので
はないのか?「魂なんて無くて人間は単なる物質の集合
なんだ」、という見方を選択するか、それとも「永遠に
実在する魂意識が存在して肉体は魂の仮の物容れ物だ」
って見方を採用するのか、どちらを選択して生きるかは
自由に任されているのだ、というのがこの要求に対する
私の回答です。
-
そうしますと、現代文明は一応物質的な世界が絶対で
あるとの考え方にたっております。まぁ物質とは何か
と深く追求を始めるとそれは魂や精神の世界に行き着
くのだというような考え方もできるようですが。
とりあえずは魂や意識が実在するのではないのだ、と
いう立場ですね。魂とか意識といっているのはそれは
脳内の物質的作用の結果に過ぎないのだ、というわけ
です。
この考え方はこの考え方で成り立つのですが、ところ
がそれもここまででこのまま進んでもその先はあまり
芳しくないことになりますよ、てのが私の立場です。
-
>838 名前入れ忘れです。
だから文明転換を進めて、この先物質的文明と精神的
文明が調和するように持っていきましょう、という提
案ですね。
そこで一番の鍵になるのは実は魂があるのかどうか、
意識があるのかどうかが問題じゃないんだ、いや本当
の問題は価値観の転換にあるんだ、ってことを示し訴
えたいんです。
そこのところが変わんなきゃ、過去の幾つも崩壊した
り駆逐されたりした精神文明と変わらなくなってしま
います。
-
では現代文明の価値観はどんなもので、どこに問題が
あるんだ?って話になるんですが、それが >768 辺り
から話している問題、平等とは何かってことでもある
んです。
私は現代文明を支配する価値観は序列意識だと思うん
ですよ。
誰が一番か、二番は誰で三番はだれか。最下位は誰な
んだ?って順番付けることに熱心すぎるって思うんで
すね。
時々順番を付けるのはケシカラン!!なんてご主張で
運動会の徒競走を全員一緒にゴールさせた学校があっ
たなんて笑い話があります。しかしそんなことが理想
だって言ってるわけではありませんよ。
-
私が言うのはこういうことです。
はいはい、君が100人中1番だというのはよく分かっ
た。それから僕が100人中100位だってのも間違い
ないよ。
だからなに?
-
そう言うと一位の人はなぜかすごく不満になるらしいの
です。
「俺は一位なの。凄いの。偉いの。ほめて!ほめて!私
よりずっと下の、最低の100位の君や順番の下の人た
ちは僕の言うことを聞いて当然なの!最低のくせに僕の
言うことを聞かない君は悪いやつなの。罰せられて当然
なの。虐められて泣くのがいいの。君は下なんだから僕
の所に貢ぎ物を持ってくるのが良いの。君の持ってる良
いものはみんな一番の僕が持ってるべきなの」
こんなところですかね。これがDQNというものですね。
-
私は順位をつけることそのものがいけないとは思いませ
ん。
しかし順位が上であることを良しとする現代の思想・価
値観の根底には上のような想いが潜んでいるじゃまいか、
これはアカンでしょう…っていう。
実際よく考えて世の中の有り様を観察してみますと、現
代の文明の矛盾の根底にはぶっちゃけ上のような暴れの
ガキんちょのような想いが根底にありませんか?学校の
成績で一番を取るのが偉い。お金儲けで一番になるのが
偉い。おまいら一番を目指せ。一番になれないやつはク
ズ。
そうするとなんと人々は色々な一番を作り始めるのです
よ。
-
どういうことかと言いますとね、分かりやすいのがやは
り学校ですね。学校ではまず成績で一番、二番、三番、
その他…って厳然たるテストの点数という数字で順番が
決まってしまいますね。
そうすると面白くないのが余り成績の良くない人たちで
すよ。でも彼らも自分が可愛いですからね。お前は100
番。最低。人間のクズ。存在価値なし。などと決めつけ
られてはやってられません。
そこで全く別のジャンルで自分たちが一番になれるカテ
ゴリーを作っちゃうわけです。つまり喧嘩(けんか)の
順位です。そして番長とかその配下の幹部に納まるわけ
です。
-
覚えてますか?155スレで私がヤクザ屋さんの親分
のお家に遊びに行って「なんでヤクザ屋さんやってん
ですか」みたいな質問をした時のことを書いたと思い
ます。
そしたらその親分さんこんな趣旨のことを言いました
ね。
「アラサーさん、あのね世の中はね官僚とか警察とか
企業とかもみんな東大を出たような頭の良い人間達が
回して支配している。だけどね、俺たちだってやれる
んだ、凄いんだって世の中に示したいんだよ」
ああ、なるほどねって納得しました。
-
さて頭の良さの順位、力の強さの順位という二つのカテ
ゴリーが出来てそれぞれ自分の学校というテリトリーで
棲み分けるわけですよ。
ところがこのどちらのカテゴリーにも嵌まらない人たち
はどうも面白くないわけですよ。大体ね、大多数の人た
ちは頭は良くないです。それに腕力もへなちょこなんで
す。
そうすると今度はこうした大多数の人が参加して覇権を
争えるようなカテゴリーが作られてきて、その中の一番
を争うようになってくるのです。イケてる度のカテゴリ
ーです。ファッションカテゴリーですね。
-
歴史的に見ると成績カテゴリーが中心だったのが明治中
期まで。
腕力カテゴリーが加わってきたのが明治後期から昭和後
期まで。昭和の時代に腕力カテゴリーは部活の場を舞台
にするようになります。
ファッションカテゴリーが学校の中で勃興してきたのが
昭和後期から。平成中期に至るもうファッションカテゴ
リーがはばを効かせます。
これが一番はっきりしている舞台はもちろん中学・高校
です。つまり中学・高校は勉強を競う場所ではなく、部
活とファッションを競う場になっているといえそうです。
-
もちろん学校は学習を基盤として設立運営されている組
織ですから成績カテゴリー自体は無くならず、また進学
校と呼ばれる学校では相変わらず一番幅をきかせるカテ
ゴリーなのです。しかしそれ以外の一般校ではなんとい
っても一番参加者の多いカテゴリーであるファッション
カテゴリーが優位性を持っています。
こうしてカテゴリー間の競争によってスクールカースト
が作られてゆきます。カーストは参加者の大小で優劣が
決まることが多いのではないでしょうか。
そうするとオタクカーストは最下位カーストになります
ね。
-
アラサーさん、こんばんは。
夢に初めてアラサーさんが出てきて下さって
「Do it if you want to ! 」と励まして頂きました。
エイゴデキナクテ マチガッテタラゴメンナサイ。
なぜ英語だったのだろう。
私の勘違いでなければ、アラサーさんが文明について語るときは、何か危機を感じているとき。
いま逃げ場はありませんが、まだこの国に住んでいて大丈夫でしょうか。大学受験とか言ってる場合じゃなさそうな気が。考え過ぎなら良いのですが。
-
こんばんは。
一昨日、昨日(20日夜)と元教え子の超長電話相談
に乗っていて、投稿できませんでした。
なぜ長くなったかというと、もともとは携帯の機種交
換の相談だったのです(電子モノに弱い子でしたので)
が、まぁ本当の悩みがぽろぽろぽろとこぼれてきまし
て。
性器の形が変だ。ビラビラが伸びすぎて彼氏が出来た
ときにとても見せられない、どうしようっ、て相談は
この子ではありません。別の人です。この子の相談は
もう少し深刻な女の子あるあるの話でした。
-
それはなにかというと「自分は一生彼氏なんて出来ない
んじゃないか。」って悩みでした。
彼氏いない歴年齢で、これからもとても彼氏ができそう
な気がしない。しかし自分の周りの従兄弟や姉妹や友人
も次々と彼氏が出来て、妹に先にイケメンの彼氏ができ
たのが、先を越されるとは思っていたけれどいざ実際に
イケメンの彼氏の写真を見ると嫉妬で辛い……。
まぁ、そうだよね、って話です。
そりゃ終わる話も終わらずに長電話になってしまいまし
た。
-
「そこはあなたそんなこと考えてちゃダメですよ」な
んて野暮(やぼ)は話は、私はいたしません。だって
彼女がそう感じ、そう考えるのは仕方ないことだから
ね。Youtubeの高橋洋一先生じゃないけどね、訓(く
ん)垂(た)れてたって仕方ない。誰も人の訓聞きた
くて電話してるわけじゃないですからね。
だから素直に、一切お節介な私の正義の判断を押しつ
けようという気持ちは持たずにただ彼女の気持ちに寄
り添って「ああ、そう。」と話を聞いていきました。
そうすると段々彼女の本当の相談が声になって出てき
ます。
-
それで彼女の相談を要約しますと、このままでは一生
彼氏なんて出来そうにない。かといって妹や従姉妹や
に先を越され、差が付けられる感じがするのも辛い。
体験だけしてみるのもアリかな。
何の体験かな?
意地悪ですね。ちょっと楽しんでませんか?もちろん
いつもアレとかあれでぼかされてしまうアレですよね。
-
いや、それもアリだと思うよ。
「良いんかい!」ってビシッと突っ込みが入りそうです
が、私はまぁそれもアリだと思っています。
私の理論と体験から言えば、セックスは男女のエネルギ
ーの循環交流、つまりエネルギー現象です。それは存在
にとっての本質的なエネルギー現象の一つですからそれ
をあれやこれやと理屈を付けて封じ込めようとしたり弾
圧するのは根本的に問題があります。
かといって行き過ぎて無秩序になってしまうと破壊と混
乱を招いてしまうようですからバランスの感覚は必要で
すね。
-
それにそもそもですね、青少年のセックスにああでな
いといかん、こうでないといかんって言ってるご本人
さん達は、それなら自分たちはいけないことは何もし
てません?ん、ん、んーん?じゃないんですか?
どうも自分たちはやってはいけないことは何もしてま
せん、子供達青少年の皆さんも、もっと自分たちを大
事にして運鱈間鱈と訓垂れる資格のある善男女は、実
は全大人の5%?くらいしかいないんじゃないか?っ
て疑いを私は持っています。
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