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哲学らしいことなど

1名無しさん:2011/08/04(木) 13:58:31
いろいろ書いていきます

2名無しさん:2011/08/04(木) 14:06:38
ヒトを始めとする生物というものは平衡、バランスをとって生活をしている。
呼吸、体温、血圧や代謝やホルモンなど。恒常性の維持、ホメオスタシスと言われている。
これは自然界の、バランスをとろうとする力を継承したものだと思う。生物は自然から派生した。その自然の要素が
体内に取り込まれているのだ。
自然がバランスをとろうとするからこそ、様々な気象が現れる。晴れの日や曇り、雨。時には嵐になることさえある。
これらは全て、自然が平衡にしようとする力からくるのだ。

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4名無しさん:2011/08/05(金) 14:41:01
生物の肉体にも様々な変化が現れる。元気になったり風邪を引いたり、時には重い病に罹ることさえある。
悪い状態になるのは生物にとっては好ましくはないが、巨視的な目で見ればそれらも一つの自然現象でしか無いのだ。
そしてそのような平衡する力は精神面でも現れている。ヒトの心も常にバランスを取ろうとしているのだ。

5名無しさん:2011/08/05(金) 16:55:25
ある一定の善という価値観を持つヒトは、同じ位の悪という価値観を持っている。
善だけ、悪だけという価値観はありえない。善を知っているから悪を知る事ができ、逆もまた然りとなる。
もし周囲に善しかないのなら、善と言う価値観は消滅する。光だけの世界では光を認識できない。影が無いからだ。
暗闇だけの世界でも、光が無いために暗闇と言う認識も無いだろう。暗闇という価値観が持つ事が出来なくなる。
同じように善だけ、悪だけという認識を持つ事はできない。これは善悪に関わらず、全ての二元的な価値観にも同様の事が言える。

6名無しさん:2011/08/05(金) 17:03:51
ある価値観が突出して高くなっても、同じ程度、真逆の価値観も高くなる。
絶対的に正しいという事は、絶対的に間違っているというのと同じ意味になる。観点が違うだけだ。

7名無しさん:2011/08/05(金) 17:11:21
ヒト単体での精神的なバランスを説いたが、社会全体でも同じ事が言える。
社会は様々な価値観で溢れている。しかしそれら全てを相殺すれば、やはりバランスがとれているだろう。

何かの価値観があれば別の反発する価値観が現れる。これも自然の平衡にする力なのだと思う。
なぜこうなるかと言うと、多様化して生息域を広げようとする生物の本能によるのだと思う。

8rioz ◆4APX9vpvb2:2011/08/06(土) 16:03:42
生物は生息域を広げる事で種を保存しようとする。
ある地域でその種が全滅しても、他の地域で種を残す事ができるからだ。

精神的な世界でも同じ事が言える。
ある思想が生まれるとそれに反する思想も必ず生じる。どんなに素晴らしく見える思想でも、種が危ぶまれる事も充分にあるからだ。
なので全く別の思想が発生し、バランスを保とうと働き出す。どちらかが間違っていても、種は保たれる事になる。

全世界のヒトが一つの思想に統一される事はありえないだろう。

9rioz ◆yJyV0By3AI:2011/08/06(土) 16:11:29
仮にある思想に染まると、その思想は消滅するとも言える。
対比するものがあって初めてそれが認識されるからだ。これは>>5の理屈がそのまま当てはまる。

空気のように当たり前のものはいちいち認識しない。海の魚は水という認識も無いのだろう。

10rioz ◆yJyV0By3AI:2011/08/08(月) 14:05:42
ヒトの精神モデルは宇宙儀のようなものだと思う。
外に行くほどエネルギー、つまり思い入れも強くなる。
感受性が高いヒトほど幅も増える。その分、感情も激しく動く。
ある価値観が出現すると、それに対する価値観も真逆の方向に同じように出現する。
そしてヒトはこの間をシーソーのように揺れながら生きている。

11rioz ◆yJyV0By3AI:2011/08/08(月) 14:12:28
北半球を正とし、愛や成長などの価値観が伸びているのだろう。
そして南半球では負の感情として、憎や衰退などの価値観が同じくらい伸びている。

そしてヒトはその時々の状態で、この中の空間に身を置く事になる。ポジティブになったりネガティブになるのも
この間を揺らいでいるからだ。

12rioz ◆yJyV0By3AI:2011/08/11(木) 12:08:12
球体の半径が大きければ感情が豊かであり、小さければ感情の動きの少ない人としている。
球体の形や大きさが、そのままその人の器の形となる。
球形に近いほど偏りがなく、幅が大きいほど器が大きいと言える。
ヒトはこの球体の中をふわふわと泳いでいる点のようなものだと思う。

13rioz ◆yJyV0By3AI:2011/08/11(木) 12:11:00
しかしながら球体の中心に向かうのは非常に困難で、あらゆる感情、価値観を消さなければ到達できない。
辿りつけたヒトはいわゆる悟りを開くことができるだろう。どのような感情や価値観にも左右されず、冷徹に物事を見据える事が出来る。
ヒトとしての理想は大きな球体を持ち、かつ、中心もしくは近い所に安定して行けることだ。
そのヒトは非常に公正であり、激しい感情を持ちながらも様々な人格を冷静に見つつ統合できるひとだろう。

14rioz ◆yJyV0By3AI:2011/08/11(木) 12:29:42
自然から派生したヒト(生物全てとも言える)は自然そのままのメカニズムを内に格納しており、
サーカデアンリズムやホメオスタシスなどがその代表と言える。
自然のメカニズムは肉体だけでなく精神世界にもがっちり組み込まれている。
内分泌系は体内の無機質やPHなどが偏らないように、常に相反する作用を持ったホルモンをバランスよく
分泌して一定の値を保つようになっている。
同じように感情も、一方的に偏らないようにバランスを保つ働きを持っている。
喜怒哀楽で例を出すために簡単なイメージで喜⇔怒 哀⇔楽とする。
ある一定まで喜びすぎるとバランスを保つために怒りたくなってくる。
その為ちょっとした事にでもむしゃくしゃしたり、また、怒りすぎると急に優しくなったりするのだ。
哀⇔楽の例だと、哀しくてさめざめ泣いていても、落ち着いたころにちょっと面白いことがあると
ゲラゲラ笑ったりするのだ。
この時、先に書いた球体が大きければ激しく感情が動くことになるだろうし、小さければ感情がほとんど
動かなかったりする。
大きいほうがヒトとして楽しいだろうが、小さいヒトはより中心に近いという意味があり、いわゆる悟りに近しいと言える。
この感情のバランスをとる働きが悪くなると心身疾患になる。
簡単な説明だと、プラスの感情ばかりになれば躁になり、
マイナスばかりになれば鬱になり中心に近づけなければ躁鬱になるだろう。
また、自律神経も作用するので内臓の病変なども引き起こしかねない。
なんでも一方的に働きすぎるのはよくないことであり、常にバランスをとっていられるのが理想だろう。

15rioz ◆yJyV0By3AI:2011/08/11(木) 13:00:18
仮に、球体の上下をプラスとマイナスに分けてみる。上部にはプラスの感情や価値観を、下部にはマイナスの感情や価値観を、それぞれ対極の位置に置いてみる。
ヒトの意識は常に一つ。二つ以上の思考が出来ても、高速で往復しているだけだ。そしてその一つの意識は球体を漂っている。
楽しい人は楽しい所に、悲しい人は悲しい所に移っている。中心から離れれば離れるほど、その感情は大きくなる。
感情が大きく動く分、それはある意味では楽な状態とも言える。思考が働きにくく夢を見ているのと同じだからだ。
多くの場合、ヒトは考えずに行動できる。食事や通勤など習慣化されたものなら尚更だ。いちいちその行為について考えない。
大抵は昨日の楽しかった事や今日の予定に感情を揺らしながら生活している。これが夢を見ている状態なのだ。
未来や過去のイメージであり、現実を見向いていない。
それはそれで幸せな状態とも言える。一生を夢見て幸せならそれも一つの人生だろう。
このようなヒトは哲学とは無縁なのだろう。哲学とは精神的な苦痛を無くすものだと考えている。
苦しい時や困難な時に、哲学は道を示してくれるのだ。

16rioz ◆yJyV0By3AI:2011/08/12(金) 17:36:27
さて、大抵のヒトは夢の中で生きている。幻想の中で生きる事は楽しいからだ。
ある人はお金、ある人は異性、ある人は食べ物の夢を見ている。
常に頭に棲みつき、思い入れが強いほど離れる事が困難になる。
しかし時には苦痛になる事もある。この状態は心の平衡する力が働き、楽が苦になったと言えよう。

精神世界でいう覚醒した状態とは、この夢から覚めている状態に他ならない。

17rioz ◆yJyV0By3AI:2011/08/12(金) 18:04:24
覚醒するとどうなるか。夢を見ることがなくなり、常に現実を意識するようになる。
普段、気づかなかった事にも気づく事が出来る。雑音とも言える無駄な感情も無くなるので、あらゆる作業が
はかどるだろう。
精神的な苦痛も無くなる。その代わり、楽も無くなる。あらゆる価値観が消滅するので苦や楽といった基準も無くなるからだ。

無感情な人になるだけかと思われるかもしれないがそうではない。むしろあらゆる感情が制御され、感情によって自身が左右されることが無くなる。
楽しんだり苦しむ事は出来るが、決してそれによってぶれる事は無いだろう。
ただ、心底から楽しみ、苦しむ事は無いだろう。

18rioz ◆yJyV0By3AI:2011/08/14(日) 12:14:59
宇宙儀のモデルをイメージしているが、ある一部が突出すると強力な個性となりうる。
そのような個性がいくつかあると、あたかも人格が多数あるように見えるだろう。
多重人格とはこのような状態なのかもしれない。

19rioz ◆yJyV0By3AI:2011/08/14(日) 12:34:35
苦を取り除くには楽も取り除かなければならない。
苦だけを取り除く事は、楽が存在する限りは不可能なのだ。

20rioz ◆yJyV0By3AI:2011/08/14(日) 12:43:00
中心地点は、あらゆる感情や価値観からも干渉されずに物事に気づき、見ることが出来る、悟りの場であると書いた。
日常でも、ふと、その場に入る事がある。いわゆる我に返るという状態だ。誰でも経験はあるだろう。
現実の空間に気づき、冷静に自分の位置や状態を見つめられる。特に感情も動かず、在るものを在ると感じられる、
いわゆる覚醒した状態だ。
哲学とはこのような状態でないと体感できないらしい。頭だけの理解でわかったような気になるよりかは一つの実感が勝るだろう。
夢を見ている状態が悪いというわけではないが、生きている実感が沸かないのではないかと思う。未来や過去のことばかりのイメージで
現実を見ていないとすれば、長く生きていたとしても実際に生きたと意識できた時間はそう多くはないのではないかという意味だ。


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