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『web「生命の實相」輪読会』 板

66a hope:2016/04/23(土) 08:34:23 ID:vdNCBnG6

「生命の實相」第25巻 p140 10行目〜

「生長の家」の教えはどういう教えかといいますと、一言でいえば「人間はみんな神の子である」と、こういう教えなのであります。

『法華経』のなかに常不軽菩薩がすべての人間に向かって合掌礼拝して「あなたは仏になられる方です」といって敬礼されたということがありますが、すべての人に向かって合掌敬礼して、あなたは仏になられる方ですといって拝む働きが、「生長の家」の働きなのであります。

すべての人に向かってあなたは本来仏なのです。すでに神の子であるのです。それゆえに恨み、憎み、怒り、といったような、あらゆる罪は本来ないのです、ということを知らせる――これが生長の家が、全人類を光明化するためにやっている運動なのであります。

ところが『法華経』の中に、すべての人を仏として拝む常不軽菩薩をばあいつは何をいっているのだ、気狂い野郎奴(やろうめ)といって、杖で打擲(ちょうちゃく)したり石をなげつけたものがあったということが経文に書いてある。

しかしながら、誰が何といおうとも、すべての人を神と見、仏と見て合掌して拝んだ常不軽菩薩こそは今釈迦牟尼仏となってここにいると釈迦は説いている。

この釈迦牟尼仏の働き、常不軽菩薩の働き、―――すなわちすべての人は神であり仏であって、罪は本来ないものである。

光の出現によってすべての暗黒が消え去るごとく、すべての罪は「生長の家」の出現によって消え去った、とこう説くのが「生長の家」なのであります。

この間、読売新聞の宗教欄に、武本喜代造という牧師さんが、「贖罪信仰の実際化」と題する稿(こう)を寄せられて、その中に光明思想についてちょっと言及しておられました。

それを読んでみますと、宗教によって病気が治るということは、あるべきことだといってある程度まで肯定しておられるのでありますが、「この頃『人間本来罪も汚れもない』という説があるがそれは受け取れぬ。そんなら強姦しても、その人間は罪がないというのか。そんな馬鹿なことはありえない」といったようなことを書いておられましたが、わたしはそれを読んで、ああいう人は神様の創造ったこの世界に本当に罪がないということが分からない憐れな人だと思わされたのでありました。

われわれがその人の実相を――本来神の子であり、罪なき者でるという本当の姿を――認めた時、その人は強姦することも、泥棒することも、いかなる悪を犯すことも自然にできなくなってしまう。

三界は唯心の所現でありますから、「罪あり」と認めたなら罪が現われ、「罪無し」と認めたら罪が消える。

泥棒や、強姦をするものは、人間とはそういう罪を犯すのがあたりまえの本来「罪アル者」だと思っているものなのです。(拍手起こる)
(つづく)


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