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『web「生命の實相」輪読会』 板

189a hope:2016/07/24(日) 07:16:41 ID:vdNCBnG6
(>>187 つづき)
p37 8行目〜
ある場合には物質で扶(たす)けてあげることもよろしい。しかし物質で扶けることは一時的の救助になっても永遠の救いとはならないことが多いです。

物質で扶けてもらう習慣性がつきますと、その人の他に頼る依頼心が増大し、かえってその人の永久の救いとならないことが多いものです。

ですから隣人を救うには、心に光明を点ずる方法を教えてあげる方がいっそうよろしいのであります。

といって、全然「物質」で隣人を扶けるのが悪いというわけではありません。「物質」で人を扶けてよい場合は、……

(略)
p38 後から6行目〜
いつも物質を与えるばかりで人を助けるのは、年中消化剤を与えて胃腸を丈夫にしようとするのと同じことです。そんなことをすれば本人自身の自活能力は減ってしまうのです。これでは人を助けたことにならないのです。

本当に助けることは本人の力を強め、価値を高め、その人格を向上さし、神の子そのままの自主的完全さにまで生長せしめてあげることでなくてはなりません。

(略)
p39 8行目〜
「物質では短期間助けよ。温かい愛では常に助けよ」とは生長の家の標語であります。

温かい愛はいくら常に与えても与え過ぎるということはありません。

明るい希望に満ちた深切な言葉、優しい眼光(まなざし)、愛情のこもった手紙、好意に満ちた握手、愛嬌ある微笑、「何、大丈夫だよ」という激励、「愛する兄弟姉妹!」と呼びかわす言葉――これこそ永久に癖にならない魂の強壮剤であります。

かかる光明を降らすような交わりこそ生命の泉であります。その生命の泉に触れるときわれわれの衰えた活力は蘇生(よみがえ)るのです。

これは外のものに頼るところの依頼心ではありません。われわれの愛が、相手の内に埋蔵(かく)されていた無限の力を喚び起こすのです。

これこそ本当に隣人への助けです。

生長の家の誌友は互いに兄弟なのですから、ただひとり聖典を読んで高慢に他(ひと)を批評するようなのは本当ではありません。

本当の悟りは人間互いに兄弟であることを悟って、互いに好意の花葩(はなびら)を投げかけ合うことです。

好意ある微笑、希望に満ちた光明の掛声こそ失意のドン底にある人々にとってどんな物質的扶助(たすけ)よりも、大きなる助けになるのです。

悟りとは、人を審判(さば)くところの鋭い知識のメスを研ぎすますことではありません。

悟りとは広く大いなる明るい人物になることです。

悟りとは山に籠って行いを澄ましていることではありません。

市(まち)に下って誰にてもあれ、魂の光明を打ち開いてその光で相手を包んでしまう人のことです。
(つづく)


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