[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
『web「生命の實相」輪読会』 板
166
:
a hope
:2016/07/09(土) 08:18:34 ID:vdNCBnG6
(
>>161
つづき)
「生命の實相」第28巻 p6 4行目〜
蓮如常人(れんにょじょうにん)は「一枚の紙もすべて仏物(ぶつもつ)である」と言われたそうでありますが、その心持こそ大切である。
「生長の家の経済学」には「物質は無限供給であるから使うほど殖える」ということが書いてあります。
「使うほど殖える」から、紙でも無暗に一字くらい書いて紙屑籠に捨てると、これは大変経済循環をよくしていいことだろう、こう考える人もあるかもしれない。
しかし、それは嘘である。
本当に使えば使うほど殖えるけれども、それは破って捨てるのは使うのじゃないのです。
われわれは一枚の紙にも、その背後に神の生命を見、神の無限の光を見、神の無限の愛を見、これを拝まずにはおれない。
これを礼拝して使わずにはおられない。
今までは「もったいない」ということは棚の上に上げて蔵(しま)って置くとこういうふうな考え方が多かった。
それで「もったいない、もったいない、食べたらもったいない。着たらもったいない」と戸棚や箪笥に入れて置くという、これじゃいけないのです。
神の生命は、使ったら減るというふうなものでない。
実に立派なものであるから、この立派なものを、その顕われている生命の働きを十二分に発現させて使えば使うほど増えるということになるのであります。
無限供給であるから破って捨てるというのじゃないのであって、用途に従ってそこに顕れている神の生命を使えば使うほど、神の生命がはっきり顕わされてくる、それが無限供給である。
「物質は無い」ということは、そこに何も無いということではない。
みんな仏物である、みんな神の生かす力の顕現(あらわれ)である。
その奥には物質ならぬ実相があるということであります。
これを履き違えると大変なまちがいになるのであります。
生命は生きる、生きるから生活であります。
我れ神の子なりと知ったら、神の子を今生きるということ、これが神の子を知るということであると申しました。
それを客観界のものにしましたならば、紙が一枚ここにある。
この紙一枚が、その奥にある実相を見れば、それが仏様であり、神様であって、ここに神の生命が現れているということを知れば、それを生きるということは、ことごとく与えられたる生命を完全に発揮させるということです。
この「生命を発揮させる」ということが紙を使うということです。
すると使えば使うほど殖えるのであります。
この一枚の紙の使命を完全に発揮させたならば、そこに神の生命が生きてきて無限供給ということが出てくるのであります。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板