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『web「生命の實相」輪読会』 板

161a hope:2016/07/07(木) 16:14:31 ID:xVBwxesw
四、吾らは野を、野の花を、み空を、み空の星を、蒼海(あおうみ)を、大地を、火を、水を、一切の大自然と生物とを観るに、その背後に神の生命の円相を観、その生命を敬し、礼し、愛し、苟(いやし)くも浪費せざらんことを期す。


【第四条 説明文抜粋】 副題 「いっさいのものを拝め」

生命の實相 27巻 p199 後から4行目〜
そこで、自分自身が神の子であると自覚した時に、次いでこの神の自覚が発動し動き出した場合に神の子が活動する環境はどういう世界であるかというと、これは第一ヶ条のところでいったとおり、無限創造の宇宙すなわち「生長の家」であります。

仏教でいうと寂光土である。

寂光土というとちょっと平和すぎるので、活気溌剌たる「生長の家」すなわち無限創造の宇宙だとわれわれはいうのですが、この無限創造の宇宙たるやどういうものであるかというと、聖経『甘露の法雨』の講義の時に申しましたように、それは無限次元の世界である。

われわれの住んでいるこの三次元(縦・横・厚みの三つの広がり)の世界だけでもこんなに美しい世界があるのに、それが無限次元の妙なる世界である。

その妙なる世界が、この五官にはその全体の貌(すがた)は見えないけれども、妙なる世界のうつしとし、写真として見える。【たとえば写真ですが、実際のわれわれ人間の相(すがた)は写真に比べると、もっと複雑な相(すがた)をし、もっと複雑な次元を備え、もっと複雑な色彩を備えているのであるけれども、写真にはただ一色の平面の姿に写っている。】

それと同じに、われわれの五官で認識(みと)める三次元の世界では実相の世界の複雑微妙な無限次元の妙なる美しい世界が平凡な世界に見えているのであります。

けれどもわれわれはこの肉眼で見るところの野を、野の花や、み空の星や、蒼海(あおうみ)や、大地や、火や、水や、いっさいの大自然や、生物や、味の少ない世界とは見ないで、その奥の奥を観て、もっと無限に美しい円満な、完全な神の生命というものを観る、そうしてそれを敬し、礼し、愛し、いやしくも浪費せざらんことを念願とするのが生長の家の生き方であります。

「生長の家」は、ここに明らかに生命礼拝の宗教でありますが、原始人の生命礼拝の宗教とはちがう。

原始人は物の奥の奥にある実相などというものを知らない。

だから生命礼拝といっても浅薄な現象生命の礼拝であったので、現象そのものを不思議がって礼拝していたのであります。

(略)

「生命の實相」第28巻 p6 1行目〜
ともかく、われわれは現象を見ても現象だけを見てそれを全部だと思ってはいけないのです。

その現象の奥にある実相を見、そこに十全なる神の相(すがた)、実相の円満な相を観て、そうしてそれに対して敬礼をするという気持ちにならなければならないのであります。

(つづく)

※十全・・・少しも欠けたところがなく、すべて完全なこと。頭注より


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