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『web「生命の實相」輪読会』 板

154a hope:2016/07/03(日) 07:20:55 ID:vdNCBnG6

>>153 a hope所感)

<<それに、いちいち相手をけなして自分ばかり良いのであると、こういうような宗教争いをするようなことでは実にみっともないことであります。>>

<<すべての生きとし生けるもの、すべての人間を愛によって結びつけ自他一体であるという実相を知らせ本当の相(すがた)を悟らせるために現われたところのこの宗教が、宗教同士仲がわるくて、互いに欠点をあばいて石を投げ合いして、あいつはわるい、あいつは撲滅しなければならない、あいつが栄えたらわたしの方の宗教は栄えなくなるというふうな利己的な観念をもって、争いあうというふうでは本当に宗教がこの世を照らすために現われ他という目的に反(そむ)くわけであります。>>

ほんとに、そうですよねぇ(;´∀`)

でも、きっと宗教争い真っ最中の方々は、ご自分自身が「虚説」だと感じるもの(違和感を覚えるもの)に和解しないために、
一生懸命戦っておられるんだと拝察いたします。

わたし自身、現教団の運動や雅宣先生の教義内容、そして、本流関係の掲示板で見られる教団や雅宣先生への執拗な批判文等には、とても違和感を覚えます。

違和感を覚えれば、排斥したくなるのは当然ですよね。

でも、でも、ですよ・・・ それって、本当に、「虚説」なんでしょうか・・・?

以前、復興Gさまに『「虚説」とは無いものである。』と教わりました。
「本来無いもの」をありとして見て、批判し続ければ、それは当然現象となり現れてきてしまう・・・、
それが、「心の法則」なのではなかったのでしょうか?


ですがだからと言って、
<<生長の家では決して他の宗教を悪くいわないのであります。みんな結構である――。>>

この、聖典のお言葉の意味を軽く考えていると、本当に「虚説」に和解することになってしまいます。


自分が違和感を覚えることには従わず、「自己内在の神」を信じて、自分が正しいと思う信仰をし続ければいいのだと思います。

「自己内在の神」を信仰すること、それが、本来の「生長の家」の信仰だとわたしは信じています。


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