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『web「生命の實相」輪読会』 板

153a hope:2016/07/03(日) 07:19:51 ID:vdNCBnG6
二、吾らは凡(あら)ゆる宗教が大生命より発せる救いの放射光線なることを信じ、他宗をそしらず、他人の尊崇の対象たるものに敬礼せんことを期す。

【第二条説明文抜粋】副題 各宗教に対する生長の家の立場 

「生命の實相」第27巻 p182 後から5行目〜

いろいろの宗教がこの世に出ておりますけれども、その宗教はどれもみなこの世の光となろうとする使命をもって生まれているのでありまして、電燈の光も、ガス燈の光も、ランプの光も、あるいはマッチの光もことごとくこれ照らさんがために現われているのであります。

(略)

こんなわけで、この世の宗教は、おのおのの総ての電燈は照らす光として働いているのと同じように、すべて人生の燈台となり、人の心を照らす光の働きをしているのであります。
それに、いちいち相手をけなして自分ばかり良いのであると、こういうような宗教争いをするようなことでは実にみっともないことであります。
宗教は要するに愛を説くものである。愛とは仏教でいえば慈悲と申しますが、キリスト教でいえばたいてい愛という。愛とは何であるかというと自他一体の実相の働きです。

(略)

すべての生きとし生けるもの、すべての人間を愛によって結びつけ自他一体であるという実相を知らせ本当の相(すがた)を悟らせるために現われたところのこの宗教が、宗教同士仲がわるくて、互いに欠点をあばいて石を投げ合いして、あいつはわるい、あいつは撲滅しなければならない、あいつが栄えたらわたしの方の宗教は栄えなくなるというふうな利己的な観念をもって、争いあうというふうでは本当に宗教がこの世を照らすために現われ他という目的に反(そむ)くわけであります。

かく、宗教というものはこの世を照らす光でありますから、どれだけ他にあってもよいのであります。自分は自分で光ればよいのであって、他は他でまた光ればよい。人類も多種多様であるからその対象たる人類に適するように多種多様の宗教が現われてこれを照らす、五百燭光(しょっこう)の電燈がありさえすれば、懐中電灯は要らぬというわけではない、太陽が出ている時でも、活動写真を映すときには電燈の光が要るのであります。

生長の家では決して他の宗教を悪くいわないのであります。みんな結構である――。


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