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実相哲学を論じる部屋

61トキ:2014/01/13(月) 11:39:46 ID:5JgYOXqc
>>53

身分いやしき者様

 夏目漱石が『則天去私」を座右の銘にしていたのは有名
です。もっとも彼は死ぬ時に『死ぬと困るから」と言い残した
ので、確か正宗白鳥だったかが笑ったみたいです。夏目漱石
の次男によれば、『則天去私」とは、夏目漱石がありたいと
願う姿を表現したもので、決して今、自分の全てを無にした
というのではないみたいです。

 それで思い出したのですが、私の大学時代の恩師がガン
になり、余命の宣告を受けていたので、お見舞いにうかが
った時の事です。『今迄自分の力で何とかしようと思って
いたから苦しかったが、自分というものをなくしたら、た
いへん楽になったよ。」と話されていたのを覚えています。

 こういう事を考えると、『私」を去る、というのは人間
のあるべき理想の一つかもしれません。確かに、人間が生き
てきて、為すべき事をやり遂げ、その上で、静かな境遇で
『私」を去る、というのは素晴らしい事かもしれません。が、
最初からいきなり、無私だとか言われても人間のあるべき姿
だとは思わないし、それを強制するのは危険な事だとも感じ
ます。

 今月号の文芸春秋にオウムの井上嘉浩(死刑囚)の手記が
掲載されていましたが、オウムでは『考えるな」という指導
を徹底されたと回顧しています。それは楽な生き方だったが、
同時に人間としての成長も無くした事を意味したとも書いて
います。

 無念無想でいると、いわゆるおかしな霊入り込むという
危険性も言われます。『私」をなくすという目標を否定す
る訳ではないですが、この人間界にいる限りは、それを過大
に強調するのは危険かと感じます。

 本題とは少し違いますが、こういう事も感じております。


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