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実相哲学を論じる部屋
53
:
身分いやしきもの
:2014/01/12(日) 22:48:20 ID:iei0MD3c
トキ様
どこまでいっても「私」がついてまわる生長の家の考え方で到達できるのは、二義的世界である実相世界までであって、一義的な世界である無相世界には到達できまいと、曳馬野さまはいっておられるようです。
ところが雅春先生は「一念不生のところに真実生命の動くを見たるが盤珪なり」ともいっておられます。盤珪禅師といえども、主観客観未分離の無相の世界で「真実生命の動くを見たり」というわけにはまいりません。ではいったい、盤珪禅師はどこでなにをご覧になられたのでありましょうか。
「一念だにあらば仏心かくくる也」とは、道元のいう「自己をはこびて」です。であるなら、「一念不生」とは「万法すすみて」となるよりほかはありません。
「万法すすみて」とはどういうことなのでしょう。万法すすみきたりて、盤珪禅師はどこでなにをご覧になられたのでしょう。
「何もしないことに全力を尽くす」とは只管打坐についてもいえます。「只管」でありながら、何もしないことに全力を尽くす。そうすることで万法がすすみいでるとはどういうことでありましょう。
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