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Web誌友会 板/2

5885a hope:2015/10/07(水) 08:47:01 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p172 7行目〜

実相としてのわれわれに神人と本源唯一の神との関係はちょうど、日光と日光を発する太陽とのような関係である。

光のない光の源はあるはずがないと同時に光があればそれには、必ず源があるのであって、源のない光もあるはずがない。

要するに光と光の源とは離すことのできない一つのものであって、神という源を知れば、それからでた人間も光であり光源である神と、光である人間とは本来一つであって、決して別々なものではないことが分かるのであります。

その光は物質的光ではない。

太陽の光線を例に引いたのは喩(たとえ)であります。

で、「神は霊なるが故に人間も亦霊なるなり、神は愛なるが故に人間もまた愛なるなり。神は智慧なるが故に人間も亦智慧なるなり」とありますように、われわれが神から出でた物質的光ではなく、霊の光、愛の光、智慧の光であります。

5886a hope:2015/10/07(水) 08:49:33 ID:cEpBaIdo

>>5885 a hope所感)

<<光のない光の源はあるはずがないと同時に光があればそれには、必ず源があるのであって、源のない光もあるはずがない。
要するに光と光の源とは離すことのできない一つのものであって、神という源を知れば、それからでた人間も光であり光源である神と、光である人間とは本来一つであって、決して別々なものではないことが分かるのであります。>>

わたしは、ここの場所を拝読するたびに、何度でも感極まって涙が流れてしまいます。
どんなに悪人に見える人でも、どんなにミジメに見える人でも、どんなに意地悪をする人でも、
すべての「人間は神より出でた、光そのもの」なんですね・・・。

この「甘露の法雨」の『人間』の項目の解説である第四章には、人間の実相とは何なのかがとても詳しく説明されているので、
読み飛ばしができません。

この後、「愛」についての説明が続きます。
神の愛である『法愛』と肉体人間の『執愛』の違いがよく解ります。

じっくり何度でも拝読したいと思います。

5887トキ:2015/10/07(水) 21:38:30 ID:2YkAhnD.
 臨死体験をした人の多くが、死後の世界で、大いなる「光」を見た、という
報告をされています。その光は、慈愛に満ちており、どの人も安心して受け入
れられるとも言われています。

 臨死体験をした人が見た「光」と、谷口雅春先生が説かれた「光」が同じ
か、違うか、それはわかりません。しかし、近い存在のような印象は持って
います。

 ネイティヴ・アメリカンの人たちが「人類が忘れたもののために、祈れ」
と言っていますが、私たちの祈りは、人間が神の子であることを思い出す
ことが大事なのだと感じます。

5888a hope:2015/10/08(木) 10:34:28 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第21巻 p173 後から3行目〜

・・・この「法愛」が要するに本当の神の愛、実相の愛ということであって、実相の愛とは、すなわち自他一体の愛であります。

愛というのはすべて他と自分とが本来一つであると観ずることです。

たとえば、親が子供を愛するというのでも、子供とわれとは一体であると自覚することから起こるのでありますし、あるいはある男性が女性を愛するというのでも、わたしはあの人と一体である。

あるいは一体になりたいという念を持つことなのであります。

ところがこの愛が一人一人というように、少ない範囲に凝り固まってししまったときに、それは「執愛」になってしまって「法愛」にはならない。

ではどういうのが「法愛」であるかといえば、何にも執しないで、天地の流れそのままに、自由自在に愛すること、これすなわち「法愛」でありまして、何かに執する愛は自在ではないから「法愛」ではないのであります。

5889a hope:2015/10/08(木) 10:35:47 ID:cEpBaIdo

(.>5888 a hope所感)

肉体をもった人間としてこの現象世界に投影されているわたしたちの中に、この「執愛」を少しも持たない人間が果たして存在するのでしょうか?

母親であれば自分の子供と他人の子供がいれば、自分の子供をより愛してしまうのが当然の本能だと思いますし、
また、男性であれば戦場で窮地に陥れば相手を攻撃してしまうというのも、自分を護るという自然の本能ですよね?

肉体人間の持って生まれた「本能」を手放したときに、神の「法愛」が実現するというのでしょうか・・・?

5891a hope:2015/10/08(木) 14:06:08 ID:cEpBaIdo
>>5890

それでは、今日はお仕事がお休みなのでお返事させていただきます。

あの夜、返事をしなかったのは、>>5810の投稿の後に今月のweb誌友会のテキストの内容からかけ離れた
内容の投稿がずっと続いてたためにこの板の混乱を避けるためにお返事をしなかったのです。


わたしは、今まで雅宣先生や純子先生個人の生き様を批判したことなど一度もありません。

ただし、「生長の家」の法灯継承者としての「教義」内容の変更や、
その変更に伴う「森での生活」やソーラーパネル等の物質的手段に頼った環境保護運動への批判はさせていただきました。

ですが前にも一度言いましたが、今は「おかしい(虚説である)」とは思っていますが批判していません。

ここはweb誌友会板ですので、これ以上のお返事は控えさせてただきます。

5893a hope:2015/10/08(木) 14:55:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p174 7行目〜

「執愛」でも愛には違いはないのですけれど、それは捉われている愛でありますから、それでは、あらゆる時にすべての人を生かす力は出て来ないのであります。

自由自在にあらゆる物を千変万化しながら、その実相を生かす。

これが法愛であり、神の愛であります。

施しをするのでも執着の施しと法施とがある。

執着の施しは誰々には何々をやりたいが、誰々には何々をやりたくないというような、人に物を凝り固まった偏寄った愛であります。

人に物に偏寄らないで一様に実相を生かすのが法施であります。

先刻、「道の道たるは道に非ず」ということを申しましたが、ここでは「愛の愛たるは愛に非ず」ということも言えるのであります。

ただ子供がかわいいからいたわるというのは盲目的な親の愛で、かえって愛するがゆえに愛するわが子を害している場合も多々あるのであります。

なせ愛するがゆえにかえって愛する者を害するなどということになるかといえばその愛が執愛であるからで、愛とはやたらにいたわりかわいがるということだという一本のレールの上に乗ってしまっているからで、その一本道のほか融通がきかない、そのためにせっかく愛しながらかえって愛する者を生かすことができないということになるのであって、それは法愛ではない。

法愛というのは無軌道電車みたいなもので、レールははずれても決してひっくり返らないで平気で走って行けるような自由自在な愛になって、はじめて相手を生かすこともできるようになるのであります。

5894a hope:2015/10/08(木) 14:57:19 ID:cEpBaIdo

>>5893 a hope所感)

きっとわたしたち現象人間は、『「自由自在な愛」仕方』を学ぶためにこの人生で色々な人間関係の経験を積むのですね。

子供が自分の思い通りにいうことを聞かないだけでパニックをおこしてしまうようでは、
わたしなんてまだまだなのでしょうね (;´∀`)

ですが、すべての経験は魂を向上させるためにあるのですから、その様な経験も決して無駄ではありませんね!

「自他一体の愛」「自由自在の愛」「相手を生かす愛」=法愛

わたしたちが目的とすべく、究極の「愛」ですね!

5897a hope:2015/10/08(木) 16:02:14 ID:cEpBaIdo
>>5859

<<ホープさんは「教えを広めさえすれば環境問題は解結する」といっておられるが>>

↑のような発言はわたし a hopeはしていません。


トキさま

>>5895>>5896は、わたしの正しい発言をもとにした投稿ではありませんので、削除、または別板への移動をお願いします。

5899a hope:2015/10/08(木) 16:49:08 ID:cEpBaIdo

ここでのわたしの所感は、あくまでも、テキストである「生命の實相」の真理を学んだうえでのわたしなりの解釈です。

その解釈に間違いがあるのなら、どうぞご遠慮なく聖典「生命の實相」の真理をもとにご批判ください。

ここは、「生命の實相」の真理を学ぶ誌友会です。

「生命の實相」の真理をご批判する投稿は、トキさまにすべて削除していただきます。

5901a hope:2015/10/08(木) 16:59:56 ID:cEpBaIdo

>>5900

わたしの解釈(考え方)が間違っていれば、聖典「生命の實相」の真理でぜひご批判ください。

聖典「生命の實相」の真理の研鑽こそが、このweb誌友会を開催している一つの大きな目的なのですから・・・

どうぞよろしくお願いいたします。

5902通りすがり:2015/10/08(木) 18:01:11 ID:eRL0Pjck

生命の實相は、相手の間違いを批判するために、あらせられるのではない。

生命の實相は、神殿であり、その他のなにものでもない。

私達は神そのものである。

生命の實相は、私達の實相そのものである。

生命の實相の学びは、まさに私達の内にそのものに宿る神の叡智と、神殿なる生命の實相の饗宴のように感じる今日この頃である。

5903a hope:2015/10/08(木) 18:10:59 ID:cEpBaIdo
>>5902 通りすがりさま

すばらしい真理のお言葉をありがとうございます!

通りすがりさまのおっしゃる通りなので、自分の浅はかな発言を取り消します。

×『わたしの解釈(考え方)が間違っていれば、聖典「生命の實相」の真理でぜひご批判ください。』
               ↓
○『わたしの解釈(考え方)が間違っていれば、聖典「生命の實相」の真理の言葉(光)でわたしの「迷い」を消してください。』

みなさま どうぞよろしくお願いいたします!!

5904通りすがり:2015/10/08(木) 19:07:53 ID:FF/vzSxM
a hopeさん

あなたはとても素直な方ですね。時折、こちらを通りすがり拝見致しておりますが、あなたの学びの探求心には、感心致しております。

子供が思うようにならないのは、ある意味当然ですね。

親とは言え、親子ともに人格は別ですから、我が子は人生の師と観を転換したら面白いですよ。

しかし、あなたの生命の實相、あなたが神様そのものであらせられるからこその、素晴らしい探求心だと思います。これからも頑張ってください。

5906a hope:2015/10/08(木) 22:55:52 ID:cEpBaIdo

通りすがりさま

あたたかい励ましのお言葉をありがとうございます。

このweb誌友会板は参加者は多くありませんが、トキさまはいつもあたたかくわたしを応援してくださっていますし、
通りすがりさまのような生長の家の大先輩方がたくさん見守ってくださっているとわたしは信じているので安心して発言ができるのです。

>>5902のご忠告には本当に感謝しています。


また>>5904

<<子供が思うようにならないのは、ある意味当然ですね。
親とは言え、親子ともに人格は別ですから、我が子は人生の師と観を転換したら面白いですよ。>>

とのアドバイスには、目から鱗が落ちたような気分になりました。

「立ち向かう人はすべて自分にとって何かを教えてくれる人生の師である」という真理はわかっていた筈なのに、
なぜか、自分の子供たちだけは自分の責任でなんとか育て上げなければいけないんだという自分自身の我執(執愛?)に気がつくことができました。

わたしの子供たちはすばらし「神の子」でした。
これからは自分の子供たちもわたしの人生の師であると尊敬したいと思います。
そう観の転換をしてみると、不思議ですがなんだかとても気持ちが楽になりました!


通ろすがりさま

わたしは、これからも今までどおりトキ掲示板で「生命の實相」を学び続けていきますので、
これからもあたたかく見守ってくだささり、また、時には今回のようにご忠告やアドバイスをいただけるととれも嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。 合掌。

5907a hope:2015/10/08(木) 23:16:12 ID:cEpBaIdo
>>5905

<<わたしの正しい発言をもとにした投稿ではありませんので、削除、または別板への移動をお願いします。>>

の発言を撤回するつもりはありません。

「教えを広めさえすれば環境問題は解結する」という内容と、

わたしの正しい発言である、

<<人類が聖典「生命の實相」の拝読をして唯神実相の考え方になれば環境問題の解決につながりますよ。
環境問題なんて本来無い現象なんですから・・・。>>

の二つの内容は全く違いますから。

5908通りすがり:2015/10/08(木) 23:21:15 ID:hhzAW3mE
a hopeさんへ

5902は、忠告ということではなく、書かざるを得ない不思議な感覚で、入力した次第です。

時折、思い出したように通りすがりますので、また拝見にまいります。
その時は、1言何やら残すこともあるやも知れません。
ただ、私は講師でも何でもありませんので、気軽に接してやって下さい。

こちらこそ、よろしくお願い致します。

5914a hope:2015/10/09(金) 10:03:57 ID:cEpBaIdo

ここでのわたしの所感は、あくまでも、テキストである「生命の實相」の真理を学んだうえでのわたしなりの解釈です。

その解釈に間違いがあるのなら、どうぞご遠慮なく聖典「生命の實相」のお言葉(光)でその「迷い」を消してくださいね。

ここは、真剣に「生命の實相」の真理を学ぶ誌友会です。

この板の秩序を保つため、テキストの内容と無関係な投稿は、今後トキさまにすべて削除もしくは別板への移動をお願いするつもりです。

5918a hope:2015/10/09(金) 10:46:00 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p180後から4行目〜

生命の霊性、愛、智慧というものは、いかなる大科学者がいかなる装置で物質を捏ね合わしても発現するものではない。

生命は霊なる愛なる智慧なる神からのみ来るのであります。

この神から来た生命の霊性が現象世界に投影したのが、現象生命である。

この現象生命はどういう状態で現象界に存在に入るかというと一つのバイブレーションとして存在するのであります。

このバイブレーションを客観的に観察すると一つの念体である。

霊魂または霊体というのはこれであります。

物質は実相宇宙の投影が認識作用によってその霊妙性を捨象されて生じたバイブレーションの体でありますが、この物質の体に、現象生命の体が複合して、肉体人間としてあらわれているのであります。

だから人間は大別すると二種の体が重複しているのであります。

われわれは体が一つしかないと思っていますが、肉体と霊体とが重なり合って一つに見えているのであります。

5919a hope:2015/10/09(金) 10:47:32 ID:cEpBaIdo

>>5918 a hope所感)

この後には現象(肉体)人間が現象界に現われてくる仕組みがとても詳しく述べられています。
その時に、よく混乱してしまうのが、「霊体(霊魂)」と「霊」の違いですが、その説明は、p173にあります。

<<仏教では「霊」という言葉を使いませんが、神道やキリスト教では「霊」という字をよく使います。仏教では「霊魂」というものを否定してしまっていますので、「霊」という字を特に嫌う方があります。しかしこの「霊」というのは「物質を超越した」「物質に障礙せられぬ」「自由自在な」「不可思議な」「無礙な」というような意味をもっているので、必ずしも霊魂のことではありません。幽霊などでも、閉め切っておいても、無礙に不思議に室内へ闖入(ちんにゅう)して来るというので、霊妙不可思議なので幽霊と言うのです。「霊の光」という言葉が嫌いならば、不可思議光とか無礙光とか言えば仏教徒に喜ばれるでありましょう。同じことを指しながら、言葉で争うのはみっともよいことではありません。>>

つまり、谷口雅春先生は『霊魂・霊体・幽霊』という言葉は主に物質的現象で使われて、
『霊』という言葉は「物質を超越した」「物質に障礙せられぬ」「自由自在な」「不可思議な」「無礙な」というような意味でつかわれているようです。

ここのところは、霊魂の存在(スピリチャル)を否定する唯物論者にはとても理解しがたい箇所なのではないかと思います。

5950「訊」:2015/10/22(木) 10:04:53 ID:XHjRyBkA

 誌友会に無関係な投稿は、削除でよいのではないでしょうか。




5951トキ:2015/10/22(木) 10:17:39 ID:wrjEtJjs
>>5960

 ご提案、ありがとうございました。
近く、適当な時期に削除をさせていただきます。

合掌ありがとうございます

管理人敬白

5952「訊」:2015/10/22(木) 17:11:14 ID:pyt3hUfk


a hopeさんですが「かなり可哀相」です。このスレは例えば、雅春先生のファンが集う場ですよね。AKBファンクラブでAKB批判はナシですよ。どうしても批判したければ、「谷口雅春アンチ」なスレでも(一時的に)開始され、そこでされればよろしいと思います。(但し「論拠不在」のキリッ系投稿は「かなり笑えます」のでご注意!)

 と、まあ、雅春先生ファンが、雅春先生の御思想を「是」としてやり取りを進めるスレッドです。「非」から雅春先生にアプローチされる方は、他スレでやって頂きたいです。ムズカシイんですよ、司会って(笑)。妨害珍文を注意すると、「あなたは和解してない」とか言われるんですからね(笑)。「ウンコは食卓の上ではなくトイレで、それが和解です」「珍文は珍文掲載場へ。人地処の三相応を得るのが和解なんですからね」・・・・・・・・そんな説明をしても、読んでおりませんからまあ、いずれにせよ司会者のa hopeさんですが、「かなり可哀相」です。




5953a hope:2015/10/23(金) 10:15:20 ID:cEpBaIdo

>>5952「訊」さま

あたたかいご助言をありがとうございます。

このweb誌友会板は、谷口雅春先生の教えでもある聖典「生命の實相」の真理を学び合い、研鑽し合うための板だと認識しています。

ですから、わたしの所感や解釈がその「生命の実相の真理」を基準に考えて、間違っている場合はいくらでもご批判くださってかまわないのですが、
ここのところわたしの人格や言動への批判や、本来の「生長の家の教え(谷口雅春先生の教え)」とはかけ離れた投稿内容が続いていました。
(今はトキさまが削除してくださってありますが・・・)

ですから、再びわたしがこのweb誌友会で書き込みを始めることにより、またそのような板の目的とは違う投稿が開始されるのではないかと危惧しております。

わたしからみれば、一連のそのような内容の投稿は「生長の家の教え(谷口雅春先生の教え)」への反逆であり、その勉強会への妨害行為としか思えません。

5954「訊」:2015/10/23(金) 11:02:39 ID:Ug2XjY8s




 まあ、司会者批判が来るってことはそれだけ、「雅春先生のご思想には問題がないため」なんですよ(笑)雅春先生の御思想自体に問題あらば、反対者はそっちに向かうんですがデキナイんだもの(笑)で、それじゃ虚しいから「司会者を攻撃する」んです(笑)。

 「あ、この方は今、私を注意した!」

 と言って、そしてつづけて「和解してない!」

 と来ます。さらには和解してない(=自分基準の和解なんだけどw)を以て今度は「教えに潜む二項対立(キリッ)」と来ますから、虚しさがさらに加速します。

 まあホント、高級用語で粉飾してるからわかりにくいダケでして、反対者の論法カラクリは笑えるくらいに単純です。ところで「オズの魔法使い」?だったと思うけど、人々を脅してた魔女の裏側にいたのは「ちっちゃいおじちゃん」だったですよね?(笑)雅春先生の反対者って、あれです(笑)あの、「ちっちゃいおじちゃん」(笑)

 用語粉飾してるからオッ!ってなるだけでして内容精査すれば・・・・・・「ちっちゃいおじちゃん」(笑)雅春先生の思想そのものには反論できないから、司会者を攻撃して悦に入っているダケなんです(笑)





5956シャンソン:2015/10/23(金) 21:50:13 ID:U14Q8fEE

  掲示板でドロドロとした詮索と喧嘩の嵐
 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&mode=res&log=4013

5957シャンソン:2015/10/23(金) 23:14:58 ID:OmuqqVZI
 誌友会関連者様へ

見ている人たちも、ここが何の版なのか、現在のテキスト・司会などが
どうなっているのか判然としないと思うので、誌友会のお知らせの再掲示をお願いします。

5958a hope:2015/10/24(土) 00:12:35 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第37回 web誌友会 案内

期間   10月1日〜10月31日まで

テキスト 「生命の實相」第21巻 第4章
      「生命の實相」第22巻  聖語篇/精神分析篇

内容   『人間の実相および仮相』
       『智慧の言葉』 『精神分析による心の研究』
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆


>>5957 シャンソンさま

ご指摘くださり、ありがとうございます。

5959a hope:2015/10/24(土) 09:08:25 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻  精神分析篇 「精神分析による心の研究」より

p112

「生長の家」は近代の精神分析をその教えの中にとり入れている。

精神分析が人間に与えた功績は、病気という象徴を通して、人の心の奥深く潜んでいる「迷い」に穿ち入り、その「迷い」(いろいろの欲望の紛糾)を掘り出して白日下にその正体を暴露し、その「迷い」を去り、欲望を正しくしたとき、ひとりでに病気の癒える事実により、病気とは「迷いの影」であり、「欲望の紛糾」の投影にすぎないことを科学的に明らかにしたことである。

諸君はここに語られたる病者の心理描写をただ興味本位に読んでしまうだけでなく、読みながら自分の心のうちに、この話のうちにある患者と同じ種類の「迷い」が潜んでいないかを反省し、反省し、「迷い」があればその「迷い」を捨て去り、懺悔の生活の上にあらわし、いろいろの虚偽や仮面や口実で修飾しなくともそのままで完全円満な「神の子」たる自己生命の実相を自覚せられたく希(こいねが)う。

ただしい生活は心を正しくし、正しい心は病を癒やすのである。

5960a hope:2015/10/25(日) 16:55:51 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻 p119〜

「病気でありたい意志」

患者の有する「暴露の抵抗」の性質について説明しておこう。

簡単に言えば神経症患者はその神経症に執着があるのである。

不思議とはいえ、患者の潜在意識は、自身のもっている病気を生活の必要品としていたわっているのである。

患者は悪の世界へ現実的に堕落するのを防ぐ防御癖として、その病気をこしられたのであり、同時に自分の病的な欲望を象徴的にその病気によって満足させているのである。

彼はこの病気なしには生活に耐えられないのである。

彼の隠れたる迷いの心は健康になることを恐れて、病気でいたいことを欲しているのである。

精神分析によって人間の心を研究したものでなければ、この不思議な「病気でありたい意志」を患者がもっているということは解しがたいであろう。

しかし多くの精神分析の結果によると、神経症患者は病気によって、周囲の人に対して暴力をふるい、勝利感を味わい、不快な仕事を避けようとしているのである。

このことは読んでいるうちに諸君にわかってくるであろう。・・・

5961a hope:2015/10/25(日) 16:57:24 ID:cEpBaIdo

>>5960 a hope所感)

わたしも、過去に神経痛を経験したことがあります。

とても痛くて、大変な思いをしていたので、まさか自分の潜在意識に「病気でありたい意志」が存在したとは信じられませんが、
思い当たることがあるのです。

それは、ちょうどその神経痛を患っていたときが、仕事で必要な資格試験の直前で、
その試験が、わたしにとってはかなり難しい試験だったので、そのことを相当なストレスに感じていたのです。

そして、当時のわたしの主治医の先生は診察の度に、「その神経痛は、その試験が終われば治るよ」と言っていました。

そして、本当に、試験が終わるとその神経痛は治ってしまいました。

優秀な医師というのは、病気が心(ストレス)から来るということをちゃんとわかっているのですね。

5962山川海:2015/10/26(月) 13:19:08 ID:AmFLWX.o

「ただもうありがたい!」という感謝の念はいっさいの「内心の錯綜」を溶かし去る力があるのである。だから、心の悩みを暴露された人が「天地一切のものと和解せよ」との聖典巻頭の神示に触れるならば、分析によって抉(えぐ)り出された自己内心の葛藤の傷が、ただちに温かい神愛の被覆を受けて、痕型(あとかた)もないように癒えてしまうのである。 ( P180 〜 181 )


頭痛なんかも、心の葛藤のケースがありますね。レントゲン検査、血液検査などをしても異常がない。医師から、どういう時に頭痛があるのか、問診で医師が“ 大笑い ” 、本人は大真面目ですが、医師からそれをやめたら治りますと言われて、本当にそれが終わったら治りましたね。


今でこそ、何か、震災や事故、事件があるごとに、精神分析やカウンセリングの大切さがクローズアップされますが、谷口雅春先生は、当時から 取り入れ、説かれておりました。

そして、心の傷を、神の愛に包まれた、感謝の念にまで導いて、当時の各界の指導的立場にある方々にまで、多大な影響を与えてきました。

5963a hope:2015/10/27(火) 08:04:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻 p140 後から4行目〜

神経的に現われる慢性病患者は、それが胃病でも、心臓病でも神経痛でも、ないし如何なる病気でも、自分の病気を世界にまたとない複雑精巧な病気であると思っていたいのである。

誰も自分の病気をなおすことができない――自分の病気は誰よりも偉いぞ――こう思うだけで彼は自分が誰よりも偉い気がするのである。

いろいろの治療を取り替え引き替えやってみたけれども治らなかったといって自慢そうに話している病人にはよくこんなのがあるのである。

彼は非常に自尊心が強いのである。

しかし、裸(はだか)では実力がその自尊心に伴わないので、病気の鎧を着て周囲を、家人を、医者を征服し、至る所に凱歌をあげようとするのである。

しかし彼が『生長の家』を読む。

最初は彼の迷いが『生長の家』の語る真理を反発し、抵抗し、ついに『生長の家』を捨てて読むまいとする。

しかし彼が強いて『生長の家』を読めば、彼の生命はついに真理を自覚する。

自分の本質は神の子であって、外から病気の鎧を装わないでもそのままで勝利者であることを自覚する。

この時、彼は「病気の鎧」を装う必要はなくなって脱いで捨てる。

この時忽然彼の病気は癒えるのである。

5964a hope:2015/10/27(火) 08:05:34 ID:cEpBaIdo

>>5963 a hope 所感)

『生長の家』(生命の實相)を拝読すれば、病気が癒える・・・。
それは、「人間神の子」の真理を自覚するからなんですね。

「人間神の子」の自覚とその真理の伝道、「生長の家」の信徒にとってそれ以外に重要なことが他にあるのでしょうか?

5965a hope:2015/10/27(火) 08:09:05 ID:cEpBaIdo

>>5963 山川海さま

Web誌友会ご参加、ありがとうございます!

P180 〜 181 のご紹介部分は、わたしの聖典にもしっかりと赤線が引いてありました。

<<今でこそ、何か、震災や事故、事件があるごとに、精神分析やカウンセリングの大切さがクローズアップされますが、
谷口雅春先生は、当時から 取り入れ、説かれておりました。
そして、心の傷を、神の愛に包まれた、感謝の念にまで導いて、当時の各界の指導的立場にある方々にまで、多大な影響を与えてきました。>>

わたしは、心の底から湧き上がってくるような「本当の感謝の気持ち」を体験できたとき、
人は癒されるのではないかと感じています。

聖典を拝読するだけで人々をそこまで導くことができる教えって、「生長の家の教え」しかありませんね!

5966a hope:2015/10/30(金) 08:28:19 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻 p154 5行目〜

・・・では、この婦人の公衆恐怖症が癒されたあとを、もう一度たどってみよう。

彼女は彼女自身が神によって選ばれた特に聖別された人間であるということを信じていた。

それは実に他に打ち勝って他を見おろしたい欲望の転化であった。

この神聖な自身を外界の誘惑によって汚してはならない。

そのためには自身をひとりで外出させないように公衆恐怖症をこしらえ上げる必要があった。

そのため潜在意識が罪の防御癖としてこの公衆恐怖症を造っているのである。

実に彼女の病気が治り始めたのは自身が特に聖別された人間であるという考えを捨てて「普通の人間」になろうと決心したときにおいてである。

すなわち周囲を見下そうとする驕慢の王座を捨てて、常人の間に下ろうと決心できたときである。
(つづく)

5967a hope:2015/10/30(金) 09:04:45 ID:cEpBaIdo
>>5966つつき)

なぜ彼女が驕慢の王座を下りて「普通の人間」になろうと決心することによって病気が治るかというと、人間が尊いのは、そんな驕慢の王座にいることによって貴いのではないということが解ってきたからである。

「生命」は「神の子」であるから、外界から誘惑されても常人同様生活を送ってもそんなことでは決して汚されることがないということが解ったからである。

だからこういう場合は、患者の「生命の実相」は何か特殊な生活をしなれば貴くなれないというようなものではなく、常人生活そのままで「生命」は限りなく尊く価値あるという真理を自覚させ患者自身をして「普通の人間」になろうと決心せしめたならば精神分析家の仕事は終わったも同然なのである。

そのためには、患者が実は医者の治療に対して治るまいとして抵抗している事実を精神内容の分析によって暴露すること、なんのために彼が治ることを欲しないのかその奥底の夢を暴露して彼を納得せしめるにあるのである。

すなわち患者をして「このままで実在は調和している。あなたの生命はいろいろの艶つけしないでも貴い、普通人のままで生命は貴いのだ」という最後の確信に到着せしむることによって自分だけが神に聖別されているという夢を捨てさし、普通人として普通の生活をしようと決心せしむるにあるのである。

誤れる理想主義は一種の虚栄である。

この虚栄の感情は、人を自己欺瞞に導いて行き、本当の真実なもの人間的なものを軽蔑し見下(みおろ)するようにならせる。

ここにこの種の患者の心の底を暴露すべき心理的鍵があるのである。

5968a hope:2015/10/30(金) 09:09:35 ID:cEpBaIdo

>>5966 >>5967 a hope所感)

<<誤れる理想主義は一種の虚栄である。
この虚栄の感情は、人を自己欺瞞に導いて行き、本当の真実なもの人間的なものを軽蔑し見下(みおろ)するようにならせる。>>

ここのところは、わたし自身が特に自戒すべきところだと感じました。

ですが、ふつうに生活していると、「普通の生活のありがた」さってなかなか分からないのも事実だと思います。


この前、TVのトーク番組に「ホリエモン」こと、堀江貴文氏が出演されていましたが、
彼の、「刑務所内の食事は美味しかったです」という発言に驚きました。

以前の贅沢すぎるような生活が続いていたのでは、「普通の食事のおいしさ」を彼が実感することはなかったかもしれませんね。


御飯がおいしく食べられる幸せ! 家族が側にいてくれる幸せ! 仕事に行ける幸せ! ここで真理のお勉強ができる幸せ! 普通であることの幸せ!

あー、わたしは本当に幸せだ!!

5969a hope:2015/11/01(日) 00:41:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻 p177 3行目〜

現在(いま)わたしはこんなに複雑な精神分析のやり方は用いていない。

こういう複雑面倒な実例を挙げたのは「肉体は心の影」であるという真理を明らかにして読者がみずから自己を省みる資料としたいためである。

上京後は毎日百数十人の人が仮道場へ押しかけて来るのであるから、フロイト博士やステケル博士のように一人当たりに長時間または長日月を費やして精神分析を行っていては間に合わないのである。

また一人一人密室で対談するのでなくて、多勢(おおぜい)の面前でなんの隠しもなしに対談するのであるから、いくら丁寧に質問したとて若い婦人が発表して恥ずかしいような心の秘密を打ち明けるわけもないのである。

だからわたしの精神分析方法は直感で相手の「心の障(さわ)り」に鋭いメスで穿ったような一語または数語を投げかけて、その内心の錯綜を隠蔽する余地を与えないで追撃する。

しかも具体的な心境を指摘すると満座の中で恥をかかせるようになるから、具体的なことを言わないで、「あなたはこういう心を持っているでしょう。その心を顧みて捨てなさい」と、知らぬ人から聞けば抽象的な、そして本人がきけば具体的にひしひしと自分の心の秘密に触れて、そういうまちがいの心を捨てずにはいられない心に達せしめるのである。

一例をあげれば・・・ (略)

p179〜
「肉体は心の象徴(かげ)である」この法則より分析してゆくときは、フロイト博士や、ステケル博士のように長い間の対談が要らないで、しかも、神経症状が治るだけでなく、このような具体的症状さえも治ってしまうのである。

(略)

p180 後から5行目〜
げに、三界は唯心の所現、この婦人の心が分析されてその不純物が除き去られると、肉体の病気のみならず環境まで変わってしまうのであった。

フロイト博士や、ステケル博士流の回りくどい誘導的質問に比べて、この精神分析がかくのごとく短期間に効を奏したのはなぜであろうか。

それは相手の打ち明け話を導き出すように誘導する代わりに単刀直入その婦人の心の秘密に貫き入ったことと、いっさいの「内心の障り(インナー・コンプレックス)を溶かし去るのに聖典を読んで得る「ただもうありがたい」という感謝の念をもってしたからである。

5970a hope:2015/11/01(日) 00:43:46 ID:cEpBaIdo

>>5969 a hope所感)

谷口雅春先生は「生長の家」をはじめられた当初は、一人一人に時間をかけて対応されるという精神分析の方法を用いられ、
それでも解決しなければ知り合いの霊媒師を紹介したりもされていたようです。

ですが、徐々に信徒が増えてくると、その方法では間に合わず、上に謹写したような「生長の家」独特の方法で個人救済をされていたのですね。

この「精神分析篇」を拝読していると、「生長の家の教え」が単なる、神さま任せの宗教でなく、
精神分析的方面からもきちんと研究された「教え」であることがわかります。

本当に「生長の家の教え」って奥が深くて、お勉強すればするほどおもしろくなってきますね!

ところで、もう日にちが変わり 11月になってしまいました(笑)
11月からは、第38回 web誌友会 を開会させていただきます。
テキストは第23巻になります。

今夜はもう遅いので、明朝、開会のお祈りをさせていただきます。

それではみなさま、おやすみなさい。

5971a hope:2015/11/01(日) 09:00:41 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。
11月に入りましたので第38回 web誌友会を開会させていただきます。
それでは、開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の「今の教え」と「本流復活」を考える WEB誌友会板/2 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5972a hope:2015/11/01(日) 09:01:53 ID:cEpBaIdo

つづきまして、テキストである「生命の實相」第23巻 p2より、謹写させていただきます。


○われらにとっては毎朝が新生である。

われらは朝ごとに新しく生まれかわる。

一日の務めを終わって振り返るとき、そこにどんな過ちがあろうとも、われらは夜ごとにそのすべてを大生命にあずけて新生の準備をするのである。

かの大海原が地上のすべての塵芥(じんかい)を呑吐(どんと)しても、すべてを浄化して澄みきっていると同様に、われらがすべての過ちを大生命にあずけて眠るとき、大生命はわれらの罪すべてを浄化して下さるのである。

この偉大な大海原の浄化力よ、この不思議な大生命の罪の消去力よ!

過去がいつまでもその呪いをもって、われらに追い迫っていると思うのは誤れる見解である。

過去はすでに過ぎ去ったものである。

涙はすでに流されたのだ。

過去を捉えて離さないものはただ自分の心でしかない。

過去の過ちを消す極意はただ過去からの心を放つにある。

毎日の朝は一日の過去から心を放って新しく生まれかわる好機である。

「生長の家」は新年の朝において半生の過去から心を放って新生する。

5973a hope:2015/11/01(日) 09:14:53 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第38回 web誌友会 案内

期間   11月1日〜11月30日まで
テキスト 「生命の實相」第23巻 【常楽篇/経典篇二/宗教問答篇】
内容   久遠常楽の生活/聖経『天使の言葉』講義 /人生の悩みに答う

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5975a hope:2015/11/01(日) 21:41:47 ID:cEpBaIdo
>>5974さま

お返事を別板に書きました。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11788/1346745644/4687

5976トキ:2015/11/01(日) 22:14:00 ID:IdEbqKhQ
a hope様の誌友会でのご文章は評判がよく、管理人宛にも賞賛のメールが届きます。
他の掲示版でも、賞賛の文章が掲載されています。

 管理人としても、a hope様を支持します。

妨害に屈せずに頑張って下さい。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5978山川海:2015/11/02(月) 17:00:57 ID:RM7MmwUQ


夜、就寝前 と 朝、起床後に

「 お父さん、ありがとうございます。 お母さん、ありがとうございます。 」

と、20回以上、小声で唱え、30日間、実践してみて下さい。

運命が、“ バッ ” と 変わりますよ。

5979a hope:2015/11/03(火) 00:25:46 ID:cEpBaIdo

>>5978 山川海さま

はじめて生長の家の練成に参加した時、「お父さんありがとうございます。お母さんありがとうございます。」
と言いながら畳を拭くと言う「感謝行?」を経験させていただきました。

当時はまだ「教え」がよくわかっていなかったので、ドン引きしてしまいましたが・・・💦。


わたしの両親は健在ですが、友人のなかにはご両親のどちらかを亡くされたり、
もしくは両方を亡くされてしまった人もいます。

その友人たちは口をそろえたように、両親が健在のわたしがうらやましいと言います。

本当に、両親が生きているうちに感謝できることほど幸せなことはないかもしれません。

今夜から、さっそく「お父さんありがとうございます。お母さんありがとうございます。」
と20回唱えたいと思います。

今なら、感謝の気持ちが真っ直ぐに伝わるようなきまします。

5980a hope:2015/11/03(火) 11:45:12 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p6後から3行目〜

四、神は自己の内面に潜在している

われわれが苦悩の底から、また悲しみの深淵から、神を呼ぶのは一見「外」にある神を読んでいるかのように見えますけれども本当はそうではないのであります。

われわれが「苦しい時の神頼み」をしたく感じますのは苦悩というものは、神を呼べば消えるということを本能的に知っているからであります。

換言すれば神無きことが苦悩であることを先見的に知っているからであります。

誰が先見的に知っているかといいますと、彼自身が知っている。

彼自身が神を先見的に知っているのは、彼自身のうちに神が本来宿っているからであります。


苦悩がそんなに感じられず、五官の歓びが人間を、誘惑している間は心は五官の方へ気をとられていますので、実相(かみ)を心に見ない空虚感を感じないのであります。

空虚はあれど空虚感は伴わないのであります。

幾年も幾十年も、移り変わる年月のあいだ、人生の表層表皮の快楽に気をとられて、神を呼ばなかった心が、一朝事変(いっちょうじへん)が起って絶体絶命、人力のいかんともすべからざる苦境に立つとき、彼は「神こそ全ての全て」「神こそ最後の幸福の源泉」であることを思い出してはじめて神を呼ぶことになるのであります。

5981a hope:2015/11/03(火) 11:53:12 ID:cEpBaIdo

>>5980 a hope所感)

<<われわれが苦悩の底から、また悲しみの深淵から、神を呼ぶのは一見「外」にある神を読んでいるかのように見えますけれども本当はそうではないのであります。>>

誰でも、一度は「神さま、助けて!」という『神頼み』をした経験があるのではないでしょうか?

さらに、英語圏の人たちは、日本人よりもっと頻繁に「Oh my God!」 と叫びますが、
それも、無意識に自己内在の神を呼び出しているということになるのでしょうか・・・?

なんか、興味深いですね。

5982a hope:2015/11/04(水) 09:18:18 ID:cEpBaIdo

「お父さん、ありがとうございます。お母さん、ありがとうございます。」の効果なのかどうかわかりませんが、
さっそく運命が変わり始めたような予感がしています。

具体的な報告ができないのがもどかしいですが、今までずっと足踏み状態だったある問題が昨日から解決に向かい始めたのです。

信仰とは「信じて仰ずる」と書きますから、どれだけその「教え」を信じられるかで運命も決まるのではないでしょうか?


ですが、世の中には、真理からかけ離れたような「暗黒思想の教え」も存在します。

谷口雅春先生はそのような間違った教えのことを「虚説」といって、徹底的に排撃されました。

わたしたちも、その虚説に惑わされたいけませんね。



その教えが「真説」か「虚説」か、見分けるのは以外に簡単なのではないでしょうか?


信仰していて幸せを感じて、運命も好転してくるのであればその人は「真説」を信仰しているのでしょうし、
信仰すればするほどストレスを感じ、運命もよくない方に進んでいるようであればその人はもしかして「虚説」を信仰しているのかもしれません。

そんな時は、ちょっと立ち止まって自分の信仰してる「教え」が本当に正しい教え(真説)なのかどうか考えてみてもいいかもしれませんね。


わたしたち、生長の家の信徒は、「聖典」に書かれてある通りに「教え」を信仰していけば必ず幸せになれるのですから、
こんなに嬉しいことはありませんね!

5983a hope:2015/11/05(木) 23:06:08 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p9 後から5行目〜

人間知でなんとかやれると思えるような日常の仕事の場合には人は往々にして神を呼ばない。

しかし、人間智でどうにもできないギリギリのところまでいったとき、どうしても人間は神を呼びたくなるのであります。

「神」という言葉を使わないにしてもなんとなしに漠然とした人力以外の「大いなる救いの御手」を呼ばずにはいられなくなるのです。

これは決して今まで軽蔑していた宗教的偏見に屈従したからではありません。

われわれは平常は小知才覚で理屈をつけて自己が本能的にすでに知っている神を否定していますけれども、人間的小知才覚が役に立たなくなった時、そのすでに知れる神を呼ばずにいられなくなるのです。

戦争、大事変、危機一髪の重大事に際して、いかに多くの平常の「無神論者」が神を読んだことでありましょう。

だから、無神論は理論的には存在しえても本能的には存在しえないのであります。

5984a hope:2015/11/05(木) 23:08:15 ID:cEpBaIdo

>>5983 a hope所感)

ほとんどの人間は(それがたとえ無神論者であったとしても)、人間知ではどうにもならないような危機的状況に陥ると、
「神」もしくは「大いなる救いの御手」を呼ばずにはいれなくなるのですね。

<<だから、無神論は理論的には存在しえても本能的には存在しえないのであります。>>

どんなに凶悪人であっても、どんなに無慈悲極まりない人であっても、本能的には人間はみんな神を信じているということですね。

それって、「人間はみんな神の子だ」という真理の証明みたいな気もしますね。


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