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「部室」板/4
660
:
純粋教理批判
:2015/10/16(金) 22:32:17 ID:yPuEDcac
>訊けさんが「身近なたとえを示せ」といわれましたので、たとえ話でいきましょう。
「総裁の考えはすべて虚説」ということを言っている人がいるとします(あくまでも「たとえ」です)。この人は何を根拠にこのようなことを言っているのでしょうか。いうまでもなく教えを根拠にです。教えを根拠にこの人はこのようなことをいっているわけです。
ごくごくふつうの人が「虚説」といって相手を否定するような事態は、世間一般にはない特殊な事例におもわれます。生長の家の中でしかおこりえない特殊な事態であるという気がいたします。
世間一般にはなくて生長の家にだけあるとするなら、ごくふつうの人にこのようなことを言わせてしまう何かが教えにあると考えるよりほかはありません。その「何か」とは「教理にひそむ排他性」ではないかと考えております。
論理に飛躍がありますでしょうか。
教理で説かれているような、実相と現象の二項対立を立てて片方を排除するというやり方になじんでしまった人だからこそ、真説と虚説の二項対立を立てて片方を排除するというようなことをやってしまうのではないでしょうか。
二項対立を立てて片方を排除する仕方こそが教理にひそむ排他性と考えます。こういう仕方を学んだ人が同じ仕方で人を排除する、ということがおきているようにおもいます。
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