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「部室」板/4

473「訊」 その1:2015/10/15(木) 07:39:41 ID:sSzsEqrI




>>470 生長の家の教えとはなに様


 少々時間が出来ましたので、アッサリバージョンの返信を掲載いたします。

 なお、記憶違いの箇所もあるかもしれません。判明した場合はすぐに訂正、致します。宜しくお願い致します。

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「今まで吾等は天之御中主神と阿弥陀仏とゴットと天地の創造主とを、同一の本源唯一神なる 【生長の家大神(うちゅうぜんたいのおおかみ)の別名】 であることを『生命の實相』で説いて来たのであり、老子の説く“道”(コトバ即ち神)は本来無名であり、神名又は仏名にとらわれて、他宗排撃の古陋に陥ってはならない、万教は互いに手を繋いで、 【唯一の神を信じ讃えようではないかと説いて来たのである」。】 (p.185) 
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 この雅宣総裁御文章ですが、素晴らしいですよね。法燈継承者として資格充分のものだと思います。雅春先生が解かれた「万教帰一」という概念ですが、御文章背景にはっきりと説かれていると思います。

 素晴らしい御文章である、その事を確認致しまして次に参ります。

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 では、この龍宮住吉本宮には、これまでなぜ天之御中主神ではなく、住吉大神が祭祀されてきたのかという疑問が生じるかもしれません。しかし、住吉大神は天之御中主神の応化神であり、別名であると言ってもいいのです。このことも、雅春先生の同じ著書に書かれています。引用しましょう--
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雅春先生の御文章も、分かり易いですね。(コピペ割愛)ただし、「幽」と「顕」のそれぞれの〝斎〟の視点がこのご文章にはありませんでした。雅春先生の御著書である『神の真義とその理解―類纂 住吉大神顕斎の意義』からも明らかですが、幽斎、つまり、「隠れている神」と顕斎、つまり、「現象界に現れる神」は区別されるものです。

 さて、貴殿御主張である「住吉大神も神話では『シホツチノカミ(水火土神)』として現れますから、ムスビの神であるのです。」という点と、「幽斎、顕斎の峻別」を念頭に次に移って参りましょうか。


(つづく)


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