[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
4501-
4601-
4701-
4801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
「部室」板/4
426
:
純粋教理批判
:2015/10/14(水) 09:27:09 ID:yPuEDcac
訊けさま
じっさいにわからないのでおたずねいたします。ローマ法王はイエスの基準にしたがっているのでしょうか。
キリスト教はもともと二元論であったと聞いたことがあります。おなじ二元論のマニ教におされて危機感をいだいた、たしかアウグスティヌスであったとおもいますが、このアウグスティヌスがキリスト教を一元論に仕立て直すために三位一体説を唱え、それが会議で採用されてキリスト教は一元論に衣替えしたのではなかったでしょうか。
それが功を奏して二元論であったマニ教を駆逐することに成功した。こういう経緯があったとおもいます。イエスが三位一体説をとなえていたとはおもえません。
他にもいろいろと、現行のキリスト教はカソリック、プロテスタントを問わず、イエスの教えとはことなるところがあると聞いています。
キリスト教といったところで、多くはパウロが考えたものでしょうから、正確にはパウロ教でしょう。イエスの基準ではなくパウロの基準で打ち立てられた教えでしょう。
これが事実であればローマ法王は法王を語る資格がないということになりますが、どのようにお考えになられますでしょうか。
この質問は総裁とは関係ありません。総裁の基準をわたしは存じていないからです。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板