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「部室」板/4

3130トンチンカン:2017/07/20(木) 10:02:14 ID:IIMV1pVY

(つづき)

因みに、この“新バージョン”を発表した際のブログ記事を「唐松模様」から一部、引
いておきます。

《2010年1月 1日

四無量心を現すために

(略)

人間が自然界に接する時の心に置き換えてみると、どうなるでしょうか?

それは「自然界を人間の意のままに利用しようとは思わない」ということです。

つまり、人間が自然界を征服して、自分だけが繁栄しようという心を捨てよということ
です。

これは、近代の産業革命以降の人間の考え方とは大いに異なるものです。

しかし反面、私たちはペットや家畜の飼育や農業を通して、そういう自然との自他一体
の心を経験している。

だから、「できない」のではなく「しない」のです。

私たちのような宗教運動は、そういう“心の持ち方”を広めていくところに重要な意味
があるのではないでしょうか。
 
そこで今日は、環境運動ではできない、宗教にしかできない方法で、この高度な自他一
体感の醸成と拡大とを行うことを皆さんに提案したい。

それは「神想観」を行うということです。

ご存じのとおり、生長の家には「四無量心を行ずる神想観」というのがあります。

これの“新バージョン”を作りましたので、ここにご紹介いたします。》

つまり、総裁は、ここでも、「人間が自然界を征服して、自分だけが繁栄しようという
心を捨てよ」との観点から、あくまでも“現象人間”にこだわり、「自然界を征服して」
いる人間はいけないとの思いを露わにして、この“新バージョン”をつくっているのです。

しかし、そもそも、「神想観」とは、「実相観」であって、「五官の世界を去る」ところ
から始まるのではないでしょうか。

ところが、総裁は、その中に、〝現象人間〟を想起させる文言を入れ込むのです。

これでは、〝人間は神の最高実現〟であるという自覚は生まれ得ないように私は思いま
す。

違和感の正体とは、まさにそれだったのだと改めて思い知らされた次第です。
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