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「部室」板/4
2404
:
転載
:2017/02/09(木) 19:48:45 ID:/unfzjeo
http://nipponkakuryoukai.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-c130.html
支那事変の際、「国民精神総動員運動」と称してこの「海ゆかば」が「準国歌」的な扱いとなった。
「敗戦の歌」を戦意高揚に使うとは、その神経は尋常ではない。「戦死の歌」を大々的に歌って兵士を戦場に送った為政者は、一体、どういう神経をしていたのだろうか?
当時の為政者は、潜在意識で兵士のいのちの重みなど、軽いものと考えていたのかもしれない。
丁度、「戦争参加法制」を通す際に、安倍首相が戦場に出る自衛官のリスクについて「今までも1800人の隊員が殉職している」と、言い放ったように。
国民の多くも、潜在意識で敗戦を感じていたのだろうか?生長の家の教義だと、「物事は減少に現われる前に、心の世界でその原型ができている」というが、「海ゆかば」を歌っていた政府・国民の内心では、もう、敗戦が決まっていたのかもしれない。
皮肉にも、白村江の戦で中国に敗れた日本は、支那事変で一時期は中国を追い詰めたものの、戦線を拡大して大東亜戦争へと発展し、再び敗戦の憂き目にあった。
その頃、生長の家創始者・谷口雅春先生は「海ゆかば」への反対運動を行っていたところ、特高・憲兵による激しい抑圧を受けていた。
龍野高校の大先輩で、宮城事件を鎮圧し大東亜戦争を終戦に導いた「平和の軍神」田中静壱大将は、中島与一先生の導きで生長の家に入信したのだが、この中島先生も憲兵による厳しい取り調べを受けていて、最初田中大将の奥様である操夫人が来られた際に「私は軍人が嫌いです」と言い放ったという。
そして、大東亜戦争も終わり、戦後70年が過ぎている。
皮肉は重なるものだ。「海ゆかば」に反対して軍国主義者らと対立していた谷口雅春先生、この雅春先生に「学ぶ」と主張する生長の家原理主義者らが、「海ゆかば」の曲を広めている。
「谷口雅春先生を学ぶ会」という生長の家原理主義者の団体の幹部が運営する「塚本幼稚園」では、幼稚園児に「海ゆかば」を歌わせている。尋常では、ない。
そして、「戦争参加法制」を強行採決した安倍政権の防衛大臣に、生長の家原理主義者として知られる稲田朋美が、就任した。
「歴史は2度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」という言葉がある。
「海ゆかば」の歴史を、我が国は再び繰り返し、後世の笑い者となるのだろうか?
それだけは、避けたい、と強く思う。
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