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「部室」板/4

2トキ:2013/01/10(木) 19:04:16 ID:bq3gVEgA
 「カーネル サンダースの教え」 朝日新聞出版 中野明著を読みました。
カーネルサンダースは、あの「ケンタッキー フライド チキン」の創業者です。
 この本を読んではじめて知ったのですが、彼は、あの事業を65歳の時に始めています。
それまでの彼の経歴は以下の通りです。

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小学校中退
農場の手伝いからペンキ塗り。
ペンキ塗りから再び農場の手伝い、さらに路面電車の車掌。
路面電車の車掌から軍隊入隊、除隊後に鍛冶屋見習いに。
鍛冶屋見習いから機関車の灰さらい、さらには機関士へ。
機関士からなぜか弁護士実習生に転身。
弁護士実習生から保線作業具、さらにプルデンシャル保険のセールスマン。
保険セールスマンからフェリー運航会社を設立。さらに商工会議所の秘書。
秘書を辞めフェリー運航会社からも手を引きアセチレン・ライト製造販売会社を役立。
アセチレン・ライト製造販売会社が倒産し破産。ミシュラン・タイヤのセールスマンに。
大けがのあとスタンダード石油のサービス・ステーション(ガソリンスタンド)を経営。
世界恐慌の影響でサービス・ステーションが破綻。
シェル石油のサービス・ステーションを経営。
サービス・ステーションにレストランを設置。この頃助産士の仕事もする。
サービス・ステーションにモーテルを併設し事業は大成功。
と思いきや、レストランとモーテルが全焼。それでも必死の覚悟で再建する。
第二次世界大戦中はテネシー州にある軍のカフェテリアで運営責任者に。
巨額な税金の支払いで実質破産する。
モーテル事業が再び軌道に乗ると州議会議員に出馬。しかし落選。
事業不振でレストランとモーテルを売却。65歳で無一文になる。

(同書 P14)

この90年の人生の中でカーネルには死に至るかもしれない危機が少なくとも4度あった。
最初はカーネルが36歳のときである。愛車マックスウェルを運転していたカーネルは、吊
り橋のロープが切れて約13m下の崖に転落している。頭部に重傷を負ったものの幸い命に
別状はなかった。
また、サービス・ステーションを経営しているとき、商売敵と銃の撃ち合いを演じてい
る。当時のアメリカは禁酒法が施行されマフィアが横行していた時代だ。この争いでカー
ネルの仲間が撃ち殺されている。ただカーネル自身にはけがもなく危機を逃れている。
さらに大の自動車好きでスピード狂でもあったカーネルは、居眠り運転で2度事故を起
こすかいずれも奇跡的に命拾いしている。これらに加えて度重なる破産である。
 やがてカーネルは、これら人生の危機をくぐり抜けて生きてこられた理由を次のように
考えるようになる。

「神様は何か特別なことをワシにさせるために命を救ったのではないか」

というように。
仮にカーネルの考え方が正しいとすると、絶体絶命の場面をくぐり抜けたのも、また65
歳で無一文になったのも、カーネルがフライドチキンのフランチャイズというまったく新
しいビジネスをこの世に創造するためだったことになる。
 もちろんその真偽はわからない。
 しかし彼が生きた激動の90年間を目撃すると、カーネルの考えもあながち間違いではな
いような気がしてくる。

(p19)

 サンダースは、65歳のときに破産し、その上、奥さんとも離婚をしています。
散々な人生だったのですが、破産がきっかけで再起し、ついに大金持ちになります。
90歳で亡くなりますが、前半の人生を見る限り、彼は不遇だったと言えるでしょう。

(つづく)


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