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「部室」板/4

1306神の子さん:2016/04/23(土) 18:30:12 ID:gdHwgN/Y

谷口雅春先生のご著書で『 善と福の再建 』というご本は あったかな ?『 善と福との実現 』、『 生活と人間の再建 』ならありますが・・。

無いことが分かりきっているのに、『 善と福の再建 』というご本は あったかな ?という書き方をするのが恥ずかしい事なのです。普通であれば、『 善と福の再建 』という著書はないと思います。『 善と福との実現 』、『 生活と人間の再建 』のどちらかの間違いだと思いますがどちらに載っているのでしょうか?と問うのが普通だと思います。

「嘘や誤魔化しは いけません。」その通りです。では以下に引用したものをあなたはご存知でしょう。

『多くの人々は自分の為に神様を信じて居るのではないかと言う反省だったのであります。自分が健康になる為に、自分が幸福になる為に、或は総てのことが自分にとって都合よくなるなるように神様を信じているのじゃないか。こいつはいかんぞと云う反省の念が神様から天降って来たような気がしたのであります。

こんな信仰は全く利己主義でありまして、神様を自分の道具に使っているに過ぎないと云うことは事実であると思うのです。神様とどうぞ私の病気を癒して下さい。私の不幸を取り除いて下さい。自分にとって何事も都合よく行きますように。自分の家が調和して参りますように・・などと祈ることは、結局利己主義にすぎない。そう云う人は随分沢山『生長の家』の誌友の中にも居るんじゃないかと思うのです。

・・・尤もそういう状態から信仰に入ってくる人も随分沢山あります。しかしそれは入門の一段階としてのみ許されるのであります。』

ここに言われているような個人の救いを与えようとしないのが教団であり、昔ながらの個人の救いを与えているのがあなた方と云っていませんか?「しかしそれは入門の一段階としてのみ許されるのであります」といわれる「入門の一段階」にいつまでも信者を置いていることではないのか?私には個人の救いにあくせくする心を忘れて全てと一体という真理に生きようとしているのが教団だと映るんですが。


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