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「部室」板/4

124曳馬野:2015/09/22(火) 09:48:23 ID:JPiKJZkg
(続き)かようの時、退屈の心なくして、いよいよ志深くなり極まる時、深き疑の念、底に通りて破るる時自心の仏なること疑なくして、生死を厭うべきもなく、法の求むべきもなし。虚空世界ただわが一心なり。

たとえば夢の中に外に迷い出て、わが故郷へ帰るべき道を失いて、或いは人に問い、或いは神に祈り、仏に祈れども未だ帰り得ざるものの、其の夢うち覚めぬれば、ただわがもとの寝屋の中にあり。此の時自ら夢の中の旅より帰ることは、覚めるより他に別の道はなかりけりと知るが如し、是れを本に還るとも云い、安楽世界に生るるとも云えり。

是れは少し修業の力を得たる会(え)かたなり。坐禅をたしなみ、工夫をなす人は、在家も出家も是れ程のしるしは有ることなり。是れもはや工夫をなさざる人の知るべきにあらず。是れははや真の悟りなり、わが法に於いて疑なしと思わば大なる誤りなり。

ただ銅を見つけて金の望みを止めんが如し、もしかようの趣のあらん時は、勇をなしていよいよ深く工夫をなすべき様は、我が身を見るに幻の如く、水の泡、影の如し。自ら心を見るに虚空の如し、形もなし。

此の中に耳に声を聞き響きを知る主は、さて是れ何物ぞと少しもゆるさずして深く疑うばかりにして、更に知らるる理、一もなくなりはてて、我が身のあることを忘れはつる時、先の見解は絶えはてて、疑十分になりぬれば悟りの十分なること、桶の底の出づる時、入りたる水の残らざるが如し。朽ちはてたる木に忽ちに花の開けるが如し。

もしかくの如くならば法に於いて自在を得て大解脱の人なるべし。たとえかようの悟りあるとも、ただ幾度も悟らるる悟りをば打ち捨てて悟る主に還り根本に帰りて、かたく守らば情識の尽きるに従いて、自性の朗らかになること玉の磨くに従うて光を増すが如くにして、終いには必ず十方世界を照らすべし、是れを疑うべからず。

もし志深からずんば、今生にかように悟ることなくとも、工夫の中にて臨終したらん人は、来生には必ず安く悟らんことを昨日企てたることの今日はたやすく道行くが如し。


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