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「本流対策室/4」
705
:
解説者
:2012/11/02(金) 10:13:03 ID:???
やっと教義についての議論になってきました(笑)。
>>700
>信仰的和解とは、相手があり、その相手と不和であり、それを信仰の教えに照合した上で,和解を実行し、互いが、調和することですよね。
《雅春先生のご意志》は、たとえ孫でも、見解の違うものとは、和解という名の妥協をしては、ならない。
というものだと存じます。<
>つまり,雅宣さんが、本来の生長の家の核の部分を理解し、雅春先生を尊敬し、親や、追い出したご兄弟たちに懺悔し、
本流にも自ら呼びかけ、お詫びをし、心を総取り替えして、生長の家の教えに帰依することが、信仰的和解です。<
やはり、「和解」についての認識が違うと思いました。志恩様がおっしゃるのは、やはり現象面においての「和解」だと思います。相手があり、相手が変わること。それこそ、「条件」であり、「妥協」でありましょう。志恩様はよく「個人と公人は違う」ともおっしゃいます。「谷口雅春先生は共産党と和解せよ」とはおっしゃられなかった。確かにそうかもしれません。しかし、それは現象的な「和解」であると私は考えます。
現象的な「和解」には条件や妥協が必要です。裁判もそうですよね。真実を明らかにする場ではなく、互いに妥協点を見出す場と捉えた方が良いかもしれません。実際、裁判で、とくに身内を殺されたような裁判では、いくら「無期懲役が妥当」や「死刑が妥当」との判決が出ても原告は救われないでしょう。それは殺人事件でなくても、損害賠償請求の場合も同様だと思います。つまり、条件や妥協では人は救われないのです。
「本当の和解は互いに怺え合ったり、我慢しあったりするのでは得られぬ。怺えたリ我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ」
互いに怺え合ったり、我慢しても人は救われないから、谷口雅春先生は信仰上の和解を説かれたのではないでしょうか?その観点から、「天地一切のものと和解せよ」の「天地一切」のなかには共産党も中国も北朝鮮も含まれるのではないでしょうか?もちろん、私も志恩様もトキ様も訊け様も入っています。
「感謝し合ったとき本当の和解が成立する。神に感謝しても天地万物に感謝せぬものは天地万物と和解が成立せぬ。天地万物との和解が成立せねば、神は助けとうても、争いの念波は神の救いの念波を能う受けぬ」
和解不能と思われる相手に対して「感謝」の気持ちへと昇華させる。これが生長の家の信仰だと思います。
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