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「本流対策室/4」

1202復興G:2012/11/28(水) 19:35:13 ID:vWpLkCzM

 ご参考までに、>>1197でいんようさせていただいた<恋愛と心中の倫理>という御文章の前に書かれている御文章を、謹写掲載させて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

『幸福の原理』(新選谷口雅春法話集③)より

  第一章 恋愛と本来一つのもの

   希臘(ギリシャ)神話に於ける「本来の一」

 人間は本来一つのいのちから生まれているのでありますから、本来一つであるという實相を認めるとき初めて生活を本当の根拠に打ち立てたということになります。
 「本来一つ」の自覚が愛、即ち自他一体の再認識であります。「自分」と「他」とが本来一つのものであるという自覚を完全に得たとき、その時、その人は初めて悟りを得たのであります。この自覚は人間が青春期に近づいたとき、先ず恋愛を通して髄験するのであります。皆さんが或る異性を恋して、私は彼を愛する、というのは「彼」という半分と、それから「自分」という半分とが本来一つであるということを自覚して、元の一つに還ろうという衝動であり、それが愛であります。古代ギリシャの神話では本来人間は男女が「一つ」であった。男女が「一つ」に密着したままで四本の手と四本の足とを備えていた。そしてそれは一つの「生命」であったけれども、ジュピターの神様がそれに嫉妬心を起してそれを両人(ふたつ)に切り離してしまった。本来一つであった生命が、形の上では二つに分れて二本の手、二本の足の現在のような姿になったというのであります。これは現象界は差別の相であり、實相界では「本来一体」ということを象徴的に言いあらわしたものであります。差別にいて實相の「一」を忘れず實相の「一」を悟って差別を真面目に誠を以て行じなければならないのであります。肉体を見ますと吾々は個々別々だと思われますけれども、本来は一つなのであります。「本来一つ」だから互いに「半分」を見出そうとして、そして人生の航路をさまよい歩いて、やがて相手を見つけて一つになろうとする、それが愛であります。人間はこの差別で同時に「一体」を生きるその自覚を青春期に恋愛によって体験し、それから恋愛以外にも、他のものとの一体感を味うようにまで自覚が進歩してまいります。創世記の神話もやはり同じことで、アダムが眠っている間に肋(あばら)の骨を取って、そしてその半身を拵(こしら)えた。それは「男から出たものだから女と謂(い)う」というように書かれているのは、男女は「本来一つ」であったということを象徴的に説いているのであります。

    日本神話における「本来の一」

 日本神話にこんなのがあります。「本来一つ」の生命――本来「一」なるもののそのいのちが二つに岐(わか)れて、神漏岐(かむろぎ)・神漏美(かむろみ)となった――それが伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)の両神にあらわれられた。「那美(なみ)」というのは「波(ナミ)」であります。一定のところに固定していないで漂うている姿であります。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の「那岐(なぎ)」というのは「凪(ナギ)」であります。漂いさすろうて一定の帰趨(きすう)なき現象の姿を一定の理念の相(すがた)に常立(とこたち)させる働き、一定の相象(すがたかたち)に修理固成(しゅうりこせい)する働きであります。
 理念の形に修めるのを「修理」といい、常立(とこた)たせることを固成するというのであります。

 そこで天津神(あまつかみ)即ち宇宙本元の神様が伊邪那岐・伊邪那美の二神に「この漂える国を修理固(つくりかため)成せ」と仰せられた。これは天津神即ち宇宙の大神の勅(みことのり)でありますから、宇宙に満ちているので、宇宙的なことにも、社会的なことにも、家庭的なことにも、陰陽のムスビにも当て嵌まるのであります。「イザ」という言葉は呼びかけの言葉で、互いに陰陽が相呼応する、「漂えるもの」と「理念の一定の姿に修理固成する力」とが互いに相呼応する。それが相呼応することによって「本来の一」にかえる。「本来一」のものが相呼応して「一」に還るときそこに新たなる「生み出し」が生ずる。電気が火花を散らして電燈となり、動力となり、電気化学工業品となるように、「本来一」なるものが互いに仮りにわかれていたのが、一つに仲よく相合すれば萬物が生成化育され、よきものが生まれ出るのであります。
<つづく>


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