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「本流対策室/4」
1138
:
復興G
:2012/11/26(月) 21:28:02 ID:vWpLkCzM
>>1137
のつづき
≪生長の家教団 戦後60年の運動 その光と影(24)≫
かつての青年会の『理想世界』百万運動は、
>>1089
〜
>>1100
に書きましたように、谷口雅春先生の愛国、憂国の雄叫びに応えて起ち上がった青年たちの、燃える青春を賭けた運動でありました。
では、そこにはいささかの曇りもなく、
>>1137
で書いたような“暴走”というようなものが皆無であったかと言えば、現象の運動では、そうはいかない。左翼が暴走して日本を破壊しようとしているのに対して、それと戦って阻止するには、こちらも“暴走”するくらいのエネルギーを要したからであります。
それは、日本が大東亜戦争を戦ったのは西欧諸国に植民地化されていたアジア民族の解放、大東亜共栄圏の建設という理想がありましたが、現実の日本軍には「皇軍」らしからぬこともあった。だから「戦争は迷いと迷いと相搏(う)って自壊する」と神示にあるように、敗戦というすがたになった。しかし、聖なる戦争目的は達成されて、アジア・アフリカの民族は解放され次々に独立をかちとったのでした。
で、『理想世界』百万運動にも“暴走”はあったと、私は振り返って思います。当時の青年会は生長の家の紅衛兵(こうえいへい)みたいだ、などという評を聞いたこともあります。今、「谷口雅春先生を学ぶ会」の代表をしておられるN氏も、当時はそれに同調して百万運動を批判しておられたと思います。
紅衛兵というのは、もう40年以上も前の中国のことですから、ご存じない方のために説明すると――
中国共産党指導者だった毛沢東が、「大躍進政策」の大失敗により2000万〜4000万人の餓死者を出して失脚した後、権力回復の為に起こした「文化大革命」闘争(1965年から約10年間続く)で使われた過激な若者軍団です。毛沢東語録を手に、旧思想の打破を叫んで街頭へ繰り出し、「理想の実現のためなら何しても構わない」「古い物は全て悪」として、劉少奇や訒小平に代表される実権派、反革命分子を攻撃したほか、「造反有理(反逆することに理がある)」という毛沢東のスローガンの下、既成の秩序を徹底的に破壊しようとした。
学校においては、教師がつるし上げの対象となり、生徒が校長を追放し、授業の内容はもっぱら毛沢東の著作の研究以外は行われず、出身階級が悪い生徒をつるし上げ、殴打し、悪罵を投げつけるという凄惨な場であったという。
仏教寺院やキリスト教の教会は破壊され、凄まじい数の仏像と経典、文化的価値のある建築物が灰燼に帰した。僧侶やシスターたちは侮辱をうけ、暴行され、時には殺された。儒教と孔子も徹底的に攻撃された。
ある女性が集団でリンチを加えられているので、殴打されている理由を尋ねると、「この女は地主の娘だからだ」という答えが帰ってきた、とか……
そうして文化大革命期間中に出た死亡者、行方不明者(数百万人とも数千万人ともいわれる)の一部の虐殺に加担したとも言われています。
笑い話みたいですが、交差点の信号を紅(赤)を進行、緑(青)信号を停止にしようとしたとか、藍い目をした外国人旅行客の寝てる隙に、目にケチャップをそそいだとか、キンタマが右に寄っている人を反革命分子と勝手に決め付けて右のタマをつぶしたりしたとか、「左折禁止」の場所でも構わず左折(中国は右側通行)。逆に「右折禁止」の標識を勝手に作りまくったとかいうエピソードも伝わっています。
以上は中国の紅衛兵のことであって、生長の家青年会がそのようなことをするわけはありません。しかしそれまでのおとなしい伝道活動からみれば、まるで紅衛兵のような恐ろしいほどの雰囲気が感じられるくらい、猛烈な運動を展開していたということかも知れません。が、それによって、『理想世界』誌百万部はついに達成した――。
<つづく>
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