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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
744
:
「訊け」管理人
:2012/10/12(金) 07:25:22 ID:???
>>743
スターダストさま
唯物論に対しての唯心論、これが貴殿のテーマだと理解しました。そして別にそれは、その方向で議論を開始されるのは構わないと考えます。ですが以下の箇所は、補足説明を要するものと思います。その箇所とは、
>>恐らく、唯物論的な考え方が唯心論的な考え方に入れ替わらない限り、生長の家は
完全には理解できないと思います。<<
になります。ところで以下は、貴殿ご意見を全部拝読してから言うべきことかもしれません。ですが貴殿ご主張はやや(私が把握したところの)、御繁えとは趣を異にしております。以下、説明致します。
雅春先生はその、「唯心論」に悩まれたのではございませんでしたか。一例を挙げれば『生命の實相』20巻です。
同書にて雅春先生は、「心が環境を変える、これは解る」(唯心論)と申されてのち、「でもその〝心〟という暴れ馬を、どうすることも出来ない私である」ことに気づかれます。慟哭にも似た叫びが描写されておりますがその後、雅春先生が気づかれたのは「唯神実相」と称するものでは、ございませんでしたか。
いやつまり、米国系クリスチャンサイエンスで説かれるところの「唯心論」ですがそんな、無慈悲な神では〝ない〟ことに気づかれたのが、雅春先生ではございませんでしたか。「心を自由に操れ、そうすりゃ救ってやる」という神は神ではなく、むしろ「どうしようもない(心も操れない)自分でも、救ってくださる神」――これが雅春先生説かれたところの「神」では、なかったでしょうか。
ですので貴殿ご主張の「>>恐らく、唯物論的な考え方が唯心論的な考え方に入れ替わらない限り、生長の家は完全には理解できないと思います。<<」ですが、私はやや理解に苦しむところであります。
まあ、間違いあらばぜひ、ご指摘をお願い致します。よろしくお願い致します。
拝
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