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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

458SAKURA:2012/09/06(木) 23:38:49 ID:jH5uEFzM
             <つづく>             NO・2

こんばんは…。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>457投稿の続きです

 再生問題について、ジュリアはこう語ります。

『再生の事実は認めますが、しかしそれは部分的再生です。自我の全部が、再び物質界
に降りて生まれ出るということは絶対ありません。自我のほんの一小部分のみの再生です。
自我は出世以前にも立派に存在し、死後も依然として存在します。たとえば、多くの輻を
もつ一つの車輪を想像して下さい。再生とは、その多くの輻の中の一本が物質界に降りる
ことで、自我の中心部は常に超物質界に留まります。つまり車輪は永遠に霊界にあり、た
だ一本の輻だけが時々物質界に移動するのです。再生とは私たちが自我を完成するために
神がはからってくださったみ心の現れです。従ってその仕事はどうしても長い年月にわた
らざるを得ません。私たちは、輻の一本ずつを仕上げて行き、最後に完全な一つの車輪に
まとめられます。時には、ただ一本の輻でも何回も再生するかもしれません。時にはま
た、それはただ一回に限られることもあるでしょう。あるいはまた、自我の本体はすでに
天国にありながら、その輻の一本だけは地獄におちていないとも限りません。更にまた、
同じ車輪に属する多くの輻が、同時に地上に降りている場合も想像できないこともありま
せん。それらの手続きは、ただ神のみが知るところで、私たち霊界の居住者や地上の人間
のあずかり知るところではありません。ただ私たちの自我が、究極において、とうてい不
可分の、たった一つの存在であることだけは確実です。……』
 
 再生問題は思想上、信仰上の重要事項の一つであるので、煩をいとわずこれに関するジ
ュリアの通信を紹介しました。私自身の研究の結果から言っても、ここに引用した部分的
再生説はとうてい動かすことのできない真理であると思います。
         (つづく)     次回は【 ウインクフィールド嬢 】に入ります。
PS:トキ様
『霊界…』は厳しいです〜〜〜ネ!今回、私は今の【お家騒動…】を考えながら、
人間の“我”は、果たして“何処〜何処〜までも続くモノ??”とわかり、それは最終的には、
■【心の法則から学びながら、“真理”を把握する事でしょうかと!!】

ここで言います【自我…】??この事が〜〜〜
■哲学で、知覚・思考・意志・行為などの自己同一的な主体として、他者や外界から区別して
意識される自分。⇔ 非我。?????
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%88%91  (参考資料)

意識を中心にした自己の意味であり……
■自我(エゴ)は意識とは異なるもので、飽くまでも【心の機能や構造から定義された概念】である。そうしますと??
果たして!今回の「社会事業団の行動…」は?どの部類に入るのでしょうか??

つまりは?“意識”?“無意識”?〜〜〜〜
『心…意識』を、完成す事が、本人しか出来ないのでは〜〜と、まだ!おぼろげな解釈論なのです。
…が?今回の“投稿文章…”どの様に、受け止められましたでしょうか???
この点は、もう少し時間をかけまして、考えてみたいモノです〰〜〜ネ!


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