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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
2297
:
解説者
:2014/02/28(金) 12:35:35 ID:???
志恩様
宇治での「大自然賛歌」読誦の件については「本流対策室」で訊け様が書かれています。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358853467/6291
>ただし『甘露の法雨』は、それ以上に読誦されている。
と云う感じです。
・・・・・まあ宇治ですが現在、宝蔵神社や流産児供養塔の前などでは、30分おきに『甘露の法雨』が読誦されている模様です。ふたつの聖経ですが、読誦頻度は大熊先生談では「99.99999%」です。(「大自然賛歌」は0.00001%くらいの意味)
上記のことは大熊先生が話してくださいました。私もその場に居ましたので間違いありません。
0.00001%でも「大自然賛歌」を読誦されていたら、それが「保身だ」となるのでしょうか?「大自然賛歌」は99.99999%読誦されている「甘露の法雨」を上回る力があるのでしょうか?
>もともとの教えだけを説いていれば、
それが、神様のみこころに叶う生き方なんでしょうか。
それが、神と調和した生き方なんでしょうか。<
もともとの教えを説いた聖典を絶版したりするから問題が起こっているのでしょう?
だから、もともとの教え、谷口雅春先生の教えを生きることが神様の御心に叶う生き方であり、神様と調和した生き方でしょう。
私は批判しているヒマがあれば人類光明化に力を尽くしたい。谷口雅春先生がご昇天なさったとき、谷口輝子先生は「悲しんでいるヒマがあったら人類光明化運動に励んでください」とおっしゃいました。
現象がどのように現れていても、その奥にあるところの實相を拝み、感謝することは「妥協」ではありません。谷口雅春先生の教えそのものです。
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