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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

1193「訊け」管理人:2013/03/21(木) 12:53:00 ID:???

>>1192元青年会員さま


 同感です。いつも素晴らしいお話しを、ありがとうございます。なお、「ちなみに」な話を致します。その話は、「楠本先生」に関するお話しです。

 最近、ある方が私へ『理想世界』のバックナンバーを大量に、お贈りくださいました。その中で楠本先生が、実に素晴らしいお話を披露してくださっておられます。以下一例のみ、『理想世界』誌より引用致します。 ――

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 また、父母に欺かれた私はすべての人を信ずることができなくなった。その時『生命の實相』を真剣に読み、あらゆる人生問題解決の道を見出した、それは最高の生き方であった。あの時、すべての人を信じられなくなった事を心から感謝しています。熱心に生長の家をやっている私に父は反対した。父に従うか、神に従うかとなやんだとき、真剣に神想観をして〝神よ御心のままに為し給え〟と祈った。そのとき、〝父の声は神の声〟との神の言葉を聞き、父に無条件に従うことを決心したとき、父の反対はなくなった。その時から道場生活がはじまって、今日の私がある。あの時、父が反対してくれたことに心から感謝しています。

<全文>
○「汝自らを知れ」楠本先生
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65722277.html

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 私は「凄み」を覚えました。このご姿勢に「ああ」と感動し、反省致しました。ところでこの、楠本先生ですが父親の反対に「従った」わけです。従ったら事態が「好転した」わけです。この点が実に、素晴らしい話だと思いました。

 さてこの場面ですが、仮に「反抗していたら」どうなっていたでありましょうか。反抗するのは〝御教えの入ってイナイ〟方と、変りません。そして一般社会なら、許容されることでしょう。でも、意味はあるのかどうか。
 この「従う」ことの意味 ―― 重要だと思います。そして現在、余談ながら楠本先生は、総裁に「従って」おられます。少なくともそんな情報が、他掲示板にも載っております。中には、心ない意見までも飛び出してますが「そうではない!」ですよね。

 「従う」ことで事態が、良化するのですからね。

 先生の信仰ですが、なかなか出来ることでは「ない」と思います。でも凄みを覚えました。




追伸

 「武士は死して名を遺し、虎は死して皮を残すというが、ひとり純正愛国陣営の徒のみは、名さえ残さぬのみか、汚名さえ着せられて逝く覚悟に徹さねばならぬ。」(渥美勝) ―― こんなコトバがあります。楠本先生の信仰は、「まさにこれ」だと思います。ところでその、楠本先生ですが「総裁に日和見している」かのような批判、ありますが「この心情はわかるまい」というところではないでしょうか。そんな汚名を着せられても、信仰一筋にいかれる先生に尊敬の念を持ちます。もう、物凄く「苦しい」はずです。あくまでも現象面での、楠本先生ですが・・・・・


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