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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
1192
:
元青年会員です
:2013/03/21(木) 12:20:24 ID:NMTz8OPs
前回のつづき
「信仰や運動とは何であるか、という事を再検討する好機であります。」
「その意味で、ネットや掲示板で何ができるか、信徒の一人一人が考える時期である」
このトキさまのご意見に、おおむね賛成いたします。
ただ、志恩さまなどがおっしゃることも、私はよく分かるのです。
私もまた、「信仰はひとりである」と言いましたが、それを万人に押し付けるのは違うでしょうし、厳し過ぎるようにも思うのです。
ほとんどの方々は、救いの力が来たるを待ち望んでいます。
それは、今も昔も変わりません。
私には、そのことが長年の大問題でした。
そして今なお、その問題を問い続けています。
ある程度の答えと言いうるものは見出していますが、まだ十分とは言えません。
現時点での回答は、こうです。
「あらゆるものを手放せば手放すほど、人は純粋になる」
「全人類の救済が完成するとすれば、それは全人類の救済を完全に手放した時である」
これは絵空事ではありません。
執着のない人間ほど、純粋で愛に満ちているのは、間違いないのです。
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