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web誌友会 板

1600復興G:2012/11/10(土) 18:53:57 ID:vWpLkCzM

さて、前に書きました 『致知』という雑誌に載っていた、荒井義雄さんという気功家と、村上和雄先生の対話で、その記事の最後にこう言っておられます。

 村上 自分が変わることで、運命もよくなっていくわけですね。
 荒井 そう思います。私は、うちに気功の修練に来ている人たちによく言うんです。気功をやっても、家庭が平和でなければダメだって。
 綺麗な花があると蝶々が飛んできて、鳥が飛んできて、あたりは平和な花園になりますね。自分の波動に共鳴、共振するものが引き寄せられてくるわけですから、周りの環境が悪いということは自分も悪い。周りが明るくて笑いに満ちているようだったら自分のやっていることは正しいんだって。
 村上 なるほど、それはまさしく真理だと思います。
 昨年の震災や、最近の領土問題などで日本は大きく揺れ動いていますが、一人ひとりが自分を高めて周りをよくしていくことで、日本もきっとよい未来を築いてゆけるし、それを世界にも発信していかなければなりませんね。

 ――同感します。
 そのような「本来の生長の家」を実現するために、私はこれからの人生を懸けたいと思います。

1601復興G:2012/11/10(土) 18:55:49 ID:vWpLkCzM

トキ様、ありがたいコメントを頂戴し、恐縮します。
ありがとうございます。

1602復興G:2012/11/10(土) 19:10:15 ID:vWpLkCzM

 最近のある誌友会で、ある講師が、こんな話をされました。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ある所に、不和なことで有名な家と、平和なことで有名な家がありました。
 そこで、ある人が、不和になるもとと、平和にくらせるもととを、調べてみようと思いたちました。
 さっそくその人は、平和な家へおじゃましました。
 その家では、ちょうどおじいさんが、大なべを買って来たところでした。おじいさんは、その大なべを土間におろして、上がりぐちにこしかけて、たばこをすい始めました。すると、下の様子を知らないむすこが、屋根うらから割木(わりき=たきぎ)を投げおろしました。これが、悪いことに大なべにあたったのです。
 大なべがくだける音に、はっと気づいたむすこは、すぐさま屋根うらからおりて、両手をついて、おじいさんにあやまります。
 するとおじいさんは、屋根うらのすぐ下に大なべを置いた、わしが悪かったと言います。
 おどろいて外からかけこんだおばあさんは、わたくしが、なべをすぐにしまわなかったから、こんなことになった。悪いのはわたくしです。かんにんしてくださいと言います。
 そこへ、おくのへやから、むすこのよめさんが出て来て、おじいさまは、あの人が、屋根うらにおられるのを、ご存じなかったのですから、そこへなべを置きなさるのも、あたりまえです。あの人が、屋根うらにおられるのを知っておりながら、早くなべを取りのけることに、気がつかなかったわたくしが、悪うごさいましたと、あやまります。
 するとおじいさんが、これは、だれの罪でもあるまい。割木がわしの頭をくだかないように、なべがやくばらいをして、割れてくれたんだろう。人にけががなくて、ほんに、めでたい、めでたい。そのように言って、この家のなべさわぎは、丸くおさまったのです。
       ○
 さて、その人、こんどは、不和の家をたずねてみました。
 この家では、おじいさんが、酒を買って来て、とっくりを、上がりぐちに置いたまま忘れておりました。
 そこへ外から帰って来たむすこが、あやまってとっくりを、けころがしたのです。むすこは、むっとして、こんな通り道へ、とっくりを置いたじいさんが悪いと言いました。
 おくから出て来たおじいさんは、お前が、足もとに気をつけないからだと、むすこを悪者にします。
 そこへおばあさんが出て来て、やっぱり、こんなとおり道に置いたじいさんが悪いと、きめつけました。
 腹を立てたおじいさんは、お前が、気をつけて、早くしまっておかないのが悪いと、やり返します。するとおばあさんはむすこのよめさんを呼んで、わたしは目がうすいのに、気をきかせて、とっくりをしまわないお前のせいだと、言います。
 よめさんも、負けてはいません。わたしは、おくのへやにおったので、何も存じませんと言いはります。
 そんな有りさまで、この家のとっくりさわぎは、大げんかになったということです。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 生長の家は、どちらですか? もちろん、前者、「平和な家」ですよね。

1603a hope:2012/11/10(土) 20:00:33 ID:8tjYhMb6
>>1589>>1600復興Gさま

わたしのぶしつけな質問に、とても貴重なご自身の体験を心をこめてお話しくださり
ありがとうございます。
今、1回通して拝見しましたが、とても感動して、涙が出そうになりました。
あとで、落ちつきましたら、何度も拝見したいと思います。


ルンルンさま

お久しぶりです!
web誌友会に参加してくださってとてもうれしいです。
本当に、復興Gさまのお話、素晴らしいですよね!
きっと、こちらを閲覧中のたくさんの「生長の家」の方々が、わたしたちと同じように感動されていると思います。


みなさま

復興Gさまは、谷口雅春先生から、直接指導を受けた素晴らしい「生長の家」の講師の先生です。
そんな、素晴らしい先生から、web上とは言え、リアルタイムで御指導していただけるわたしたちは、
本当に幸せですね。

どうぞ、ご気軽にご参加くださいね!


トキさま

トキさまがこの掲示板を管理・運営してくださっているからこそ、このような貴重な学びをさせていただけるのです。
本当に、トキさまには感謝してもしきれません。
いつも、わたしたちを大きな愛で見守ってくださり、ありがとうございます。

感謝 合掌

1604復興G:2012/11/10(土) 20:16:53 ID:vWpLkCzM

ありがとうございます。

1605復興G:2012/11/10(土) 20:17:36 ID:vWpLkCzM

ありがとうございます。

さて、テキストの勉強をしましょう。

『生命の實相』第2巻第1章には、喀血は自浄作用、瀉血療法だから恐怖する必要はない。肉体は激動しても心が安静なら血は止まる、など、恐れるべきものは何もないのだから、恐怖心を持たなければ病気もおのずから治る、ということが書かれています。また、p.38の中ほどから(聖典板謹写文16の冒頭)には、次のように書かれています。

≪ われわれは飢饉にでもあい絶食せねばならぬようになって一、二週間も断食しますと、身体の衰弱がはなはだしく健康に非常に有害でありますが、健康法の一種として一、二週間断食しますと非常に身体の健康状態が改善するのであります。
 これはなぜであるかと考えてみますと、飢饉のさいには「食べなければ衰弱する」と思いながらも食物がないからやむをえず絶食しているのでその信念のとおり衰弱するのであります。
 が、断食療法のさいには「断食していれば健康になる」と信じて断食をしますからその信念のとおり健康になるのであります。同じ「断食」でもこのとおりで、信念の差異によって健康法ともなれば衰弱法ともなるのであります。≫

このご文章を読んで、ある方の体験談を思い出しました。

その方は、もう100歳に近いご高齢の方ですが、私の高校時代の恩師と同様、シベリアに抑留されて強制労働をさせられた体験をお持ちの方です。

わずかな食物しか与えられず強制労働させられ、栄養失調で沢山の日本の元兵士たちが亡くなっていくのでした。だから、労働を監督するロシアの兵士を、「ロすけ」と呼んで憎んでいた。そのとき、一人だけいつも「ありがとうございます。ありがとうございます」と唱えている奴(同胞)がいた。
「お前、何がありがたいんだ」と聞くと、「すべてがありがたい」という。「じゃあ、あのロ助どものこともありがたいと感謝するのか」ときくと、そうだと答える。
「そんな馬鹿な! だれがそんな馬鹿なことを教えているんだ」というと、生長の家だ、という。
はじめは相手にしなかったが、見ていると、栄養学を学んで人間はどのくらいのカロリーや栄養分が必要かという知識を持っている者ほど早く栄養失調になって死んで行く。
ところが、いつも「ありがとうございます」と唱えている奴は、顔つやもよく、元気である。呼吸をする毎に、「空気よ、ありがとうございます」と念じて感謝して吸うと、空気だって栄養になるんだと、その人は言う。
ばかばかしいと思ったけれども、自分もやってみようかと思って、それを実行することにした。「ありがとうございます。ありがとうございます」と一呼吸毎に感謝して空気を吸う、ということを始めた。
そうすると、ありがたいことに元気になって、思念によって人の病気を癒やす力まで出てくるようになってきた。
それで、「ドクター」と言われるようになった。

それを見たロ助、ロシア兵が、聴診器を持ってきて、「ドクター、病人がいるから診てやってくれ」と頼んでくるようになった。思念しながら手当をしてやると、病人が治っていくのだった。

あるときは、「難産で苦しんでいるのがあるからドクター、助けてくれ」と言われたこともあった。神妙に聴診器で診察するまねをして、重曹かなにかを「これはよく効く薬だから、大丈夫、必ず無事に産まれる」と断言して、逃げ帰った。その後、何も責められることはなかったから、どうやら無事に生まれたらしい。

そんなことがあって、ロシア兵からも感謝され、特別にジャガイモをくれたりして、無事に過ごし、日本に帰ってくることができた。それから『生命の實相』を読み、地方講師になって活躍し、地域の人たちから先生、先生と頼りにされて、藍綬褒章を受章され、90歳を過ぎても元気に活躍されていた方があったのです。

これは、本当の実話です。

1606トキ:2012/11/10(土) 20:21:22 ID:QTnVpw/c
>>1605

 シベリアの強制労働は、日本人のみならず多くの国の人に恐れられました。中には、ポーランド人捕虜のように
何千人もの人が処刑されたケースもあります。そういう地獄のような場所で、真理を生かして、生き抜いた人がい
るのは素晴らしい事です。感心しました。

1607如月:2012/11/10(土) 21:16:19 ID:ki/haAjk
復興Gさま、素晴らしい体験の数々をありがとうございます。

働いたらくたびれてしまう。働いたら腹が減るとの考えを人生観の大転換によって
働いたら強くなり働いても腹が減るどころかまんじゅうまでもらえてしまった。
また、シベリアに抑留されていた人は感謝して空気を吸う事によって健康になり
人を癒せるまでになった。 どれもこれも感動のお話です。

私の中にはある思い込みがあるのですが「良い人ほどガンになる」
つまり、憎まれっ子世にはばかるの逆です。
同じ考えの人が友人にもいまして、ある日彼女に「良い人ほどガンになるから
あなたも気をつけた方がいいよ」と言われてしまったのです。 真顔で

私が腹の中まで良い人かどうかは別にして、少なくとも表面上は良い人なので
この言葉を言われて以来、気になって気になって。
生長の家を知る前の私でしたから、色々な情報の中から[ストレスは万病の元]という結論を出しました。

しかし、どんなにストレスを溜めない工夫をしてもストレスは無くなりません。
それどころか意識するほどストレスが増えます。
その悪循環から抜け出せたのは[恐怖心を持たなければ病気もおのずから治る]という真理に
触れたお陰だと思っています。

先月、テレビで活躍していた流通ジャーナリストの金子 哲雄さんが肺カルチノイドのため亡くなられました。
この方はご兄弟を3人とも亡くされているので病気に対する恐怖心が大きすぎたのではないでしょうか。

1608復興G:2012/11/10(土) 21:49:23 ID:vWpLkCzM

如月さま。

コメント、ありがとうございます。

ちょっと席を外していて、お返事おそくなりました。

如月様は、「良い人ほどガンになる」という思い込み、悪循環から、もう
[恐怖心を持たなければ病気もおのずから治る]という真理に触れて、
抜け出されたのですね。よかった。おめでとうございます。
もう一歩進めば、「病気は神の造り給うたものでないから、本来無い」ということになるのでしょう。

早く、この真理で多くの人たちが救われるといいですね。
ありがとうございます。

1609みすはなまる:2012/11/10(土) 22:17:16 ID:c9C6QREU

>>1607 如月様

金子哲雄さんの件にて、ご参考までに…

http://blog.livedoor.jp/kinisoku/lite/archives/3573880.html

1610復興G:2012/11/10(土) 22:57:54 ID:vWpLkCzM

皆さま、ありがとうございます。

web誌友会は、まだ明日いっぱいありますから、今夜は私はこれにてやすませていただこうかと思います。

その前に、今、地域の小学校の子どもたちと一緒に大人たちも歌う「合唱フェスティバル」(私も参加します)で、歌うことになっている「みんなのハーモニー」という歌の歌詞を、世界中の大調和、大ハーモニーを祈って、ここにアップさせていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

合唱フェスティバル20周年記念
「みんなのハーモニー」
    作詞・作曲 筒井雅子

 プロローグ
  みんなで うたうと
  たのしくなるよ
  こころのてを つなごうよ

1.あなたの声 私の声
  みんなの声を合わせて
  世界でただひとつの
  花束(ブーケ)を作ろう
  子どもたちも 大人たちも
  歌おう 思いを歌に乗せ
  世界のみんなに届けよう
  ハーモニーのブーケを

    時空を越えて
    分かち合えるもの
    それはすてきな音楽
    歌う喜び

2.横糸はメロディ 縦糸はハーモニー
  みんなの心を織りこみ
  世界でただ一枚の
  ショールを作ろう
  子どもたちも 大人たちも
  歌おう 思いを歌に乗せ
  誰かの肩にそっと
  ハーモニーのショールを

    時代を越えて
    受け継がれるもの
    それはすてきな音楽
    歌う喜び

3.この胸の思い
  歌の翼に乗せて
  大空に放とう
  涙も微笑みもみんな
  七色に輝き
  子どもたちの 大人たちの
  頭上に高く広がり
  明日へと続く虹となる
  ハーモニーの架け橋に

  届けみんなのハーモニー
  歌は心のメッセージ


では、皆さま、おやすみなさい。

1611復興G:2012/11/11(日) 09:05:31 ID:vWpLkCzM

皆さま、おはようございます。

昨夜は、「みんなのハーモニー」を心で歌いながら、こころ安らかに寝ませていただきました。

この「みんなのハーモニー」という歌を作詞・作曲された筒井雅子さんというのは、現職の小学校音楽教師で、今年12月に開かれる「合唱フェスティバル」20周年記念につくられた歌です。まだ一度も公開の場で演奏されたことはなく、印刷された楽譜もなく、作曲者手書きの楽譜のコピーを見て、私も地域の合唱団で練習をしています。混声四部合唱に、ソプラノあるいはテナーの少数によるオブリガート(助奏)までついた、力作の名曲です。

ところで、その「合唱フェスティバル」では、私たちは「ひとつの朝」という歌もうたいます。これはかつて昭和50年代にNHK学校音楽コンクールで高校の部の課題曲になったことがある歌だということですから、ご存じの方もあるでしょう。朝が来ましたので、この歌の歌詞をアップさせて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

  「ひ と つ の 朝」

            片岡 輝 作詞
            平吉 毅州作曲

今 目の前に ひとつの朝
まぶしい光の洪水に
世界が しずまないうちに
さあ 方舟(はこぶね)に乗って 旅立とう
あのノア達のように 旅立とう

たとえば 涙に 別れること
たとえば 勇気と 知り合うこと
たとえば 愛を 語ること
時には 孤独と 向き合うこと
旅立ちは 旅立ちは 旅立ちは いくつもの出会い

今 目の前に ひとつの海
逆巻く怒濤の洪水に
船が くだけないうちに
さあ 両腕をつばさに 飛び立とう
あの鳥達のように 飛び立とう

はばたけ 明日へ まだ見ぬ 大地へ
新しい大地へ まだ見ぬ 新しい大地へ
生きる喜びを 生きる喜びを
広がる 自由を求めて
広がる 自由を求めて

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

<つづく>

1612復興G:2012/11/11(日) 09:06:04 ID:vWpLkCzM

上記の歌の中に、「ノアの方舟(はこぶね)」というのが出てきますが、ノアの方舟のことは『生命の實相』第11巻万教帰一篇のp.117〜119に書かれています。

≪ノアの方舟(はこぶね)とは神の教えの船ということである。仏教でも、これを船にたとえて如来の願船とか大乗とか小乗とかいいます。ノアというのはNO・Aであります。「NO」は空であり「A」は阿字であり大日如来の本体であります。諸法は空である。「空」であるといっても、何もないということではない。諸法は空(NO)であって、同時にその空の背後に無量光、無量寿の大日如来(A――阿字)が在まして、この大日如来のみが実在である。われわれの生命は大日如来より出で、大日如来の内にあり、大日如来と一体である。この真理の真教えが「ノアの方舟」であります。すなわち「生長の家」の教えはちょうどこの「ノアの方舟」に当たるのであります。≫

と。だから、
「さあ 方舟に乗って 旅立とう」
というのは、生長の家の説く万教帰一の真理の教えの船に乗って、大ハーモニーの世界へ旅立とう、ということになるんだと思って、私は嬉しくなって歌っています。

1613復興G:2012/11/11(日) 09:31:28 ID:vWpLkCzM

上記、「ひとつの朝」 の合唱、YouTube から

http://www.youtube.com/watch?v=deVbnQVOA4Y

1614a hope:2012/11/11(日) 10:15:57 ID:8tjYhMb6

みなさま おはようございます!


復興Gさま

すばらしいお話をたくさんしていただき、本当にありがとうございます。
ただ、ただ感動の連続です。
あまりにも感動的過ぎて、みなさまお言葉が出ないのではないかと思います。
ですが、わたしは、復興Gさまの魂をこめられ一言ひとことは、みなさんの心に、魂にしっかり響いていると確信しています。

また、今朝は、素晴らしい合唱曲を、2曲紹介してくださりありがとうございます。
今、復興Gさまが紹介してくださった「ひとつの朝」を聴きながらこの投稿文を書いています。
わたしは、学生時代コーラスをしていて、歌をうたうのが大好きなのです。
そう言えば、如月さまも合唱部だったと以前うかがった気がします。

わたしはいつの日か、復興Gさまや、如月さま、またこの掲示板のみなさまと一緒にこのような素晴らしい歌を歌えたらどんなに素敵でしょうね!

1615a hope:2012/11/11(日) 10:32:01 ID:8tjYhMb6

わたしばかりが発言するのも気が引けるのですが、他の方の発言が少ないようなので、また「生長の家」の教義のことで質問させていただきます。

実は、先月聖典板に謹写した「生活読本」の内容について、ある神の子さまから質問を受けたのです。
後から神の子さまは、御自分の思い違いだったと仰っていましたが、わたしは自分でも、その聖典の文章がちょっと疑問に感じたので、
自分なりに考えた解釈を投稿させていただいたのです。
でも、あまり自信がありません。
ここで、ご指導いただけるとありがたいです。

その後、同じ神の子さまだと思いますが、うのはなさまにも、生長の家の「唯心論」と「唯神実相論」についても質問されています。
うのはなさまはお答えが今のところ見当たりませんので、そちらのご指導もしていただけると嬉しいです。

以下に、聖典板より、該当する投稿文を転写させていただきます。

1616a hope:2012/11/11(日) 10:38:23 ID:8tjYhMb6
以下、聖典板より転写

神の子さんとわたしのやり取りです。

1421 :a hope:2012/10/15(月) 08:27:27 ID:8tjYhMb6
新版 生活読本 谷口雅春先生著

第四章 明るい心を持ちましょう
♦健康を考えて健康を得よ


悪いことや詰まらぬことなど、考えないように致しましょう。
これを食べたらお腹をこわすとか、寒い風にあたったら風を引くとか、つまらぬことを思わないようにしましょう。

思うとおりにあらわれるのが、心の法則なのです。
「わたしは神の子だから常に健康で楽しくて、愉快だ」と考えるように致しましょう。
そう考えると、いつも愉快で達者でいられるのです。

乞食はゴモクの半分腐ったような食べ物をひろって食べても一向に病気にならないのです。
浮浪児は、貰ったオニギリをゴミだらけのきたない手で、鷲づかみにして食べていても一向おなかをこわしません。
布団もなしに、夜露のおりる上野公園でねていながら元気で病気にかかりません。
それは病気なんて思わないからなのです。

ところが、よい家に育った坊ちゃんや、嬢ちゃんは、病気にならせてはいかぬ、
風邪を引かせたらいかぬ、お腹をこわしたら大変だと、始終小さいことに気をつかって、
注意に注意をかさねていても始終病気になっているのが多いのです。

それは何故ですか。
それは「病気」のことを始終思っているからなのです。
「病気になったら大変だ」と始終思っているからなのです。

こう云う人はアメリカではトラブル・シーカー(trouble seeker)と云って軽蔑(みさげる)されています。
病気のない間から、病気が何処かにないかしらと、さがしまわっているようなものなのです。
それだから、病気をさがし当て、小さい病気でも、心で恐れて大きな病気にしてしまうのです。

キリストは「求めよ、さらば与えられん」と申しましたが、こう云う人は、病気を求めて病気を与えられるのです。
それよりも諸君は健康を求めて健康を得たらよいでしょう。
(つづく)


1427 :神の子さん:2012/10/15(月) 21:12:37 ID:fwBhZpmg >>1421
a hope様
いつもすばらしいご文章を謹写していただきありがとうございます。
陰ながら感動しながら拝読させていただいています。
このご文章は少し疑問に思いましたので質問させていただきます。
最後から二行目のキリストはというところです。
こう云う人はというのはキリスト様の事になりますよね?
キリスト様が病気を与えるということになってしまわないでしょうか?
私の解釈の仕方がだめなのでしょうか?



1430 :a hope:2012/10/15(月) 22:53:53 ID:8tjYhMb6 >>1427 神の子さん

うれしいお言葉をありがとうございます。
以前、謹写していた 「人生読本」や今回の「新版 生活読本」は、
谷口雅春先生の、子どもやお年寄りでも生長の家の真理が理解でき、
幸せになれるようにとの愛念から執筆された聖典だとのことが、はしがきに書いててありました。
わたしは、「これを読んでくださる人が、ひとりでも、幸せな気分になってくれたらいいな〜」
と祈りを込めて謹写させていただいています。


ですが、今回の神の子さんの質問は、言われてみれば、ちょっと考えてしまいますね。

>>キリストは「求めよ、さらば与えられん」と申しましたが、こう云う人は、病気を求めて病気を与えられるのです。
>>それよりも諸君は健康を求めて健康を得たらよいでしょう。

ここのところですよね?
わたしは、生長の家の新入生で、講師でもなんでもありません。
ですから、今回の神の子さんのご質問にお答えできるような立場ではないのですが、
これもお勉強なので、自分なりに考えてみました。

キリスト=実相=神の子である。

自分自身に完全円満な健康な姿(キリスト=実相)を求めれば、現象にも完全円満な健康な姿が与えらますよ。
でも、キリストを求めず、現象の不完全な姿(不健康)ばかりを求めていれば、
キリストは顕れることはできないので、代わりに心に思ったままの不完全な姿(病気)が与えらますよ。

こんな意味でしょうか・・・?
うーん。難しいですね。
復興Gさま、トキさま、他の先輩方、ご指導をよろしくお願いたします!

1431 :a hope:2012/10/15(月) 23:15:53 ID:8tjYhMb6 >>1472神の子さん 

>>こう云う人はというのはキリスト様の事になりますよね?

ここの、「こう云う人」とは、トラブル・シーカー(trouble seeker)つまり、
「病気になったら大変だ」と始終思っている人のことだと思います。

(つづく)

1617a hope:2012/11/11(日) 10:41:59 ID:8tjYhMb6
(つづき)

1438 :神の子さん:2012/10/16(火) 06:24:58 ID:YfMozNg. >>1431
a hope様 ありがとうございます。
本当ですね、二回目よく読みましたらトラブル•シーカーである事がわかりました。
よく読んでから質問をするべきでした。拙い質問にお時間をとっていただき申し訳ございませんでした。今後ともよろしくお願いいたします。



1440 :a hope:2012/10/16(火) 07:37:28 ID:8tjYhMb6 >>1438 神の子さん

>>よく読んでから質問をするべきでした。拙い質問にお時間をとっていただき申し訳ございませんでした。

とんでもありません。 
わたし自身も、たとえ、「こう云う人」がトラブル・シ―カ―であっても、
ちょっと疑問の残る文章だと思ったので、考えてみてよかったです。
 ただ、解釈が正しいかは、不明です(笑)
先輩方のご指導を待ちたいと思います。

神の子さま、こちらこそ、こらからもどうぞよろしくお願い致します。

――――――――――――――――――――――――――――――

以上が、わたしと神の子さんのやり取りです。

1618a hope:2012/11/11(日) 10:48:14 ID:8tjYhMb6
次に、うのはなさまへの質問の箇所を上げさせていただきます。
(うのはなさま、神の子さん、勝手をして申し訳ありません)

―――――――――――――――――――――――――――

1422 :うのはな:2012/10/15(月) 12:05:53 ID:JsVayk8A    自壊作用は魂を磨かれる機会

  先生の御本に“自壊作用がこなくて、全てが整うというような甘い考えを持つな”
というお言葉を拝見したことがございます。私宅にも、「神想観をやり、『甘露の法雨』
を誦げているが何か調子が良くゆかない」という誌友さんがいらっしゃったのでございます。

 長いこと生長の家の本をお読みになっておられるそうですけれども、実はどこを読んでいるのか
分らないような読み方だろうと思います。その場合、その人にそれだけの自壊作用があるということは、
その人の魂を、今ここですばらしく研かれる機会が与えられたのだということを、先生は口がすっぱく
なるほど、私達におっしゃっていただいております。

 私たちはややもすると、目の前の現象が整うことが何よりも良いことかの如く、考えがちでございます。
けれども目の前に良いことが現われたのを良いと思うときは、すでに峠を越したときじゃないかと私は思って
おります。常に私達は、失敗とみえることに直面することによって、すばらしく研かれてゆくんじゃないかと、
“自壊作用”に自分ながら感謝させていただいております。

『實相研鑽』第三集 川野岩五郎氏 P88 谷口雅春 先生監修

1423 :うのはな:2012/10/15(月) 15:38:25 ID:r.C5sfeA     生長の家は単なる唯心論ではない

 唯物論を抛棄すると言いますと、その対蹠的な唯心論ということを考える人が
多いのですが、生長の家では「唯神実相論」と言っていまして、「人間の心」が何でも
創造すると云うのではないのであります。

 唯神のみ、実相のみ、実在であって、人間の妄心などみとめないと云うのが、生長の家の
説いている唯神実相論の哲学であります。現象世界というのは、これは神様の造ったものじゃないの
であって、神様の創った“実在の世界”のその表面を、雲の漂うように“心の迷い”をもって蔽いかくして、
もやもやと現している“虚の世界”にしか過ぎないと云うことを、説いているのであります。
実在は満月のように円満完全であるのに、心の曇りがもやんもやとしているから、ハッキリと明るい円満な月が
あらわれないで、薄暗い、斑点のある汚い月が現象として見えている。

その、もやもやっと縺れ紛糾しているこぐらかった心を、さっぱりと、ほどいてしまったら、それが即ち“解脱”であります。
解脱とは一切の束縛から、ほどかれ、脱することで、そうすると、自由自在の本来の実相、実際の状態が現れて来るのです。
これが仏の状態であります。

『涅槃経』には「解脱をもって仏となす」と書かれていますが、私たちは本来の自由自在を奪還して一切の苦厄から解き脱した状態に
なって終うのです。そして人間の「いのちの実相」の円満完全な姿がそこに現れて来るのです。それがエデンの楽園の奪還であります。
楽園を地上に奪い還して、もう一ぺんこの世界を、地上天国的な状態にしようとする運動が、
この生長の家の人類光明化運動であります。

『日常生活の中の真理』 無門関・聖書篇  谷口雅春 先生P167-168

(つづく)

1619a hope:2012/11/11(日) 10:57:04 ID:8tjYhMb6
(つづき)

1428 :神の子さん:2012/10/15(月) 21:26:04 ID:fwBhZpmg >>1422
うのはな様
すばらしいご文章を謹写していただきありがとうございます。
生長の家は「唯神実相論」であると書いてありますが、「現象は自分の心の写しである」と書かれたご文章も他のところで拝読した記憶があるのですが、これは唯心論で、これも生長の家の教えとは言わないのでしょうか?

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

以上が、うのはなさまの謹写された文章と、神の子さんからうのはなさまへの質問です。

神の子さんは、  上の質問で、「>>1422うのはな様 」 と呼びかけていらっしゃいますが、
唯心論のことを書かれた文章は、>>1423の方なので、そちらの方も転写させていただきました。

復興さま、御指導よろしくお願いいたします。
みなさまも、是非一緒に考えてくださいね。

1620復興G:2012/11/11(日) 11:43:56 ID:vWpLkCzM

a hope 様、ありがとうございます。

上記の、聖典板での質疑応答は、今回の誌友会テーマにとても関係の深い内容で、ここに転写していただいたのはよかったと思います。聖典板を見ていなかったので、私は初めて知りました。

それで、前段の、
>>キリストは「求めよ、さらば与えられん」と申しましたが、こう云う人は、病気を求めて病気を与えられるのです。それよりも諸君は健康を求めて健康を得たらよいでしょう。<<
の「こう云う人」とは、キリストのことではなく、トラブル・シーカー(trouble seeker)つまり、「病気になったら大変だ」と始終思っている人のこと、というのはその通りですね。

それから、後段の、
≪生長の家は単なる唯心論ではない
 唯物論を抛棄すると言いますと、その対蹠的な唯心論ということを考える人が多いのですが、生長の家では「唯神実相論」と言っていまして、「人間の心」が何でも創造すると云うのではないのであります。≫
≪「現象は自分の心の写しである」と書かれたご文章も他のところで拝読した記憶があるのですが、これは唯心論で、これも生長の家の教えとは言わないのでしょうか?≫
という、うのはな様のご質問ですか、これについて考えてみましょう。ちょっとお時間をください。

1621復興G:2012/11/11(日) 11:45:24 ID:vWpLkCzM

どうぞ皆さま、どなたでも、ご意見を書き込んでくださいね。
ありがとうございます。

1622トキ:2012/11/11(日) 11:59:08 ID:UIcvZp4E
 なかなか難しい、しかし重要なご投稿ですね。思案中です。

 私個人は、「久遠生命の神示」が参考になると思っています。ただ、自信はありません。

1623a hope:2012/11/11(日) 11:59:17 ID:8tjYhMb6
>>1620 復興Gさま

>>≪「現象は自分の心の写しである」と書かれたご文章も他のところで拝読した記憶があるのですが、これは唯心論で、これも生長の家の教えとは言わないのでしょうか?≫
>>という、うのはな様のご質問ですか、これについて考えてみましょう。ちょっとお時間をください。

とありますが、これは、神の子さんからうのはなさまへの質問です。

すみません。貼り付け方がうまくいかなくて、わかりにくかったかも知れません。

1624復興G:2012/11/11(日) 12:48:13 ID:vWpLkCzM

>>1623 :a hope様

了解しました。取り違えて、ごめんなさい。

1625復興G:2012/11/11(日) 13:00:42 ID:vWpLkCzM

ともかく出題は、要約すると
   〜〜〜〜〜〜〜
≪生長の家は単なる唯心論ではなく、「唯神実相論」である≫
というのが、生長の家の究極の御教えですが、それでは
≪現象は自分の心の写しである≫
というのは、生長の家の教えとは言わないのですか?
   〜〜〜〜〜〜〜
ということですね。

トキ様が、「久遠生命の神示」が参考になると思っています、と書かれているのは、
「本来生、不滅の神示」のことでしょうか。たしかにそこに、大切なヒントはありますよね。

1626るんるん:2012/11/11(日) 14:08:25 ID:NS71OwS.
あほな私ですが、少し いいですか?

『唯神実相論』これが生長の家の最も大切な『根本真理』で ただ神のみ在る(現象は無い)『唯神実相』ですね。これを雅春先生は「根本真理」

別の言い方で「縦の真理」とおっしゃってます。

で、>>現象は自分の心の写しである≫というのは、生長の家の教えとは言わないのですか?<<
      ↑
雅春先生はこのことを「縦の真理」と区別して「横の真理」とおっしゃってますね。『唯心論』は横の真理ですね。

それにしても「縦の真理」つまり「根本真理」唯神実相論。すごいです。誰も教えてくれなかったすごい真理ですから。

 心の法則くらい、他でも説いてますし・・・でも、唯神実相をこの現象世界に表すにはつまり心の法則(横の真理)が必要ですから・・・

うまく書けてません。下手な文章のうえに、偉そうな書き方になってしまって申し訳ございません。

1627復興G:2012/11/11(日) 15:42:23 ID:vWpLkCzM

るんるん様
書き込み、ありがとうございます。
その通りですね。

それについて(「縦の真理」と「横の真理」について)私は、こう思っています。
「横の真理」(心の法則)というのは、現象は影に過ぎず、「本来無」なのですから、「現象無し」「神のみ実在」を自覚したとき初めて、人間の幸福のために有効に働く真理である。「縦の真理」なしに「横の真理」(心の法則)を知っても、運命を支配することはできない。だから、必ずしも幸福にはならない。

『人生は心で支配せよ』というご本もありますが、それは「神の心で支配せよ」ということであって、「人間の心で支配しよう」と思っても、それは無理なことだと思われます。

だから、如月様も>>1607で、生長の家を知る前には
>>[ストレスは万病の元]という結論を出しました。
しかし、どんなにストレスを溜めない工夫をしてもストレスは無くなりません。それどころか意識するほどストレスが増えます。<<

ということでしたね。 a hope 様も >>1572

>>自分の心から、恐怖心や憎悪心を取り除き、常に平和な気持ちでいれば、それだけで病気が治ってしまう、という真理を知った時には、ものすごいよろこびを感じました! ですが、感情のコントロールというのはそう簡単に出来るものではない、ということも身にしみて感じています。<<

と書かれていました。

ところで、お釈迦様は、お悟りになったとき、「山川草木国土悉皆成仏、有情非情同時成道」つまり、今此処がそのまま大調和し生かし合っている仏の浄土だ、とおっしゃったのです。生老病死の四苦があり弱肉強食の悲惨な世界だと思っていたのは、夢幻のごとく「無」だった、「色即是空」だ、とお悟りになって、それを説かれた。

「本来生、不滅の神示」には
≪釈迦は『人間』の生老病死の四苦を見て出家したと言えども、釈迦はそのときまだ『人間』を見ていたのではない。念の影を見て『人間』と思い違いしていたに過ぎない。釈迦が此の世を見て無常と観じたのも『真の人間』の世を観たのではない。それは無明の投影の世を観て無常としたのである。真の人間は無常の中にあらず、肉体の中にあらず、人間は永遠不死、金剛身、実相身、清浄身である。≫
とあります。

さて、釈迦は、悟りの境地をそのまま説かれたけれども、衆生にはその境地がわかる者がいなかった。それで「三界は唯心の所現」つまり、現象は自分の心の写しであるということを、まず説かれた。
それは釈尊の教えではないかというと、それも釈尊の教えに違いはない。

それと同様に、≪現象は自分の心の写しである≫というのも、もちろん生長の家の教えです。
しかし、それは、「現象あり」と思っている人には、いきなり「現象は本来無いのです」と説いても、「この通りアルではないか」と言って受け入れられないから、まずは方便説法として「心の法則」を咲きに説かれることもある。

しかし、「現象は影に過ぎない、それは本来ナイのである。神と神の創造し給うた完全な世界のみが実在する。今此処が神の国であり、すでに大調和している」というのが、生長の家の究極の教え(唯神実相論)であり、それを自覚したときはじめて、ただ喜び、ただ感謝する生き方ができて、「現象は自分の心の写しである」という「心の法則」が有効に働き、幸福になれる。

1628復興G:2012/11/11(日) 15:45:27 ID:vWpLkCzM

咲きに→先に(訂正です)

1629復興G:2012/11/11(日) 16:10:30 ID:vWpLkCzM

≪現象は自分の心の写しである≫というのも、もちろん生長の家の教えです。しかし――

「懺悔」について、「小懺悔」と「大懺悔」があり、現象の自分の心を反省して、「申し訳ございませんでした」と悔いるのは「小懺悔」なのですね。

昨夜、>>1602で紹介しました「不和の家と平和な家」の話で、「平和な家」では

>> その家では、ちょうどおじいさんが、大なべを買って来たところでした。おじいさんは、その大なべを土間におろして、上がりぐちにこしかけて、たばこをすい始めました。すると、下の様子を知らないむすこが、屋根うらから割木(わりき=たきぎ)を投げおろしました。これが、悪いことに大なべにあたったのです。

 大なべがくだける音に、はっと気づいたむすこは、すぐさま屋根うらからおりて、両手をついて、おじいさんにあやまります。

 するとおじいさんは、屋根うらのすぐ下に大なべを置いた、わしが悪かったと言います。

 おどろいて外からかけこんだおばあさんは、わたくしが、なべをすぐにしまわなかったから、こんなことになった。悪いのはわたくしです。かんにんしてくださいと言います。

 そこへ、おくのへやから、むすこのよめさんが出て来て、おじいさまは、あの人が、屋根うらにおられるのを、ご存じなかったのですから、そこへなべを置きなさるのも、あたりまえです。あの人が、屋根うらにおられるのを知っておりながら、早くなべを取りのけることに、気がつかなかったわたくしが、悪うごさいましたと、あやまります。<<

というところまでは、家族の各人が、「私のせいで、悪うございました」と「小懺悔」をしているのです。
ただ、ここまででは、その家庭は暗い雰囲気になってしまって、平和かも知れないけれども、幸福な家にはならない。最後におじいさんが、

>>これは、だれの罪でもあるまい。割木がわしの頭をくだかないように、なべがやくばらいをして、割れてくれたんだろう。人にけががなくて、ほんに、めでたい、めでたい。<<
そのように言って、この家のなべさわぎは、丸くおさまったのです。――ということになるのです。

この、「すべてよし」と見て喜ぶのが、「大懺悔」に近いと言ってよいのかも知れません。
<つづく>

1630復興G:2012/11/11(日) 16:47:27 ID:vWpLkCzM

「大懺悔」について。

『仏説観普賢菩薩行法経』には、次のようにあります。(「新編聖光録」より)

≪……昼夜六時に十方の仏を礼して懺悔の法を行ぜよ。大乗経を誦し……一切の人を視ること猶(ことごと)く仏の想の如くし、諸の衆生に於て父母の想の如くせよ。……心を観ずるに心無し、顛倒の想より想(おこ)る。此の如き想の心は妄想より起る。空中の風の依止(えし)する処なきが如し、……是の如き懺悔は心を観ずるに心無し。法、法の中に住せず、諸法は解脱なり、滅諦なり、寂静なり、是の如き想をば大懺悔と名(なづ)け、荘厳懺悔(しょうごんざんげ)と名け、無罪相懺悔と名け、破壊心識(はえしんしき)と名く。此の懺悔を行ずる者は、身心清浄にして法の中に住せざること、猶し流るる水の如し。……
 無量の勝方便(しょうほうべん)は実相を思うより得。……
 一切の業障海(ごっしょうかい)は、皆妄想より生ず。
 若(も)し懺悔せんと欲せば端坐(たんざ)して実相を念(おも)え。
 衆罪(しゅうざい)は霜露(そうろ)の如し、慧日(えにち)能(よ)く消除す。(仏説観普賢菩薩行法経)≫

――この最後のところ、
「若(も)し懺悔せんと欲せば端坐(たんざ)して実相を念(おも)え。衆罪は霜露(そうろ)の如し、慧日(えにち)能(よ)く消除す。」
これですね。これが大懺悔です。「一切の業障海(ごっしょうかい)は、皆妄想より生ず。」――一切のゴタゴタは、皆妄想から生じたのであるから、

「端坐(たんざ)して実相を念(おも)え。」
正座して、「完全円満なる神のみ実在で、悪はないのである」という実相を念(おも)うことが、大懺悔なのですね。

そうすると、「衆罪(しゅうざい)は霜露(そうろ)の如し、慧日(えにち)能(よ)く消除す。」

もろもろの罪(完全な実相を隠蔽していた包み)は、太陽の前の霜や露のように、たちまち消え去ってしまうというのであります。

そうして、
「無量の勝方便(しょうほうべん)は実相を思うより得」
というのは、無限に勝(すぐ)れた智慧ある方便、方策は、神(実相)を思うところからわき出てくる、というのであります。

「神想観をして実相を祈るばかりで、何もしない」なんていうことはあり得ない。実相を思えば、「無量の勝方便(しょうほうべん)」がわき出て、適切な行動がとれるわけであります。それは、『真理の吟唱』の「天地一切と和解する祈り」に、

 「すべての人と事と物とは、今ここに渾然と調和しており、たがいに争い立つということはないのである。

 現象の世界に、如何なる対立の関係があろうとも、如何なる闘争の関係があろうとも、それは妄想の顕わすところであり、妄想はやがて消えるべき運命にあるのであるから、私はそれを恐れることもないし、それに愕(おどろ)くこともないのである。

 妖雲羃々(よううんべきべき)と空を覆うことがあっても、その上には常に蒼空(あおぞら)があるのと同じように、如何に暗澹たる状態が現象的にあらわれてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。

 心を動ずることがないから、何らの対策をも講じないのかというと、決してそうではないのである。心を動ずることがないから、最も適切なる智慧が泉の如く湧き出でて暗を消してしまう処置ができるのである。」

とある通りなのであります。

1631復興G:2012/11/11(日) 16:56:06 ID:vWpLkCzM

つづいて、「天地一切と和解する祈り」には、次のようにあります。

 ≪光の進軍に対して暗は逆らうことも、抵抗することもできないのである。事に応じてわが為すところの行為は、神の子として大神の智慧の炬火(たいまつ)をとぼして進軍するのであるから、誰もそれを遮ることはできないのである。

 神は「暗(やみ)に対しては光を以て相対せよ」と仰せられているのである。光は進む、暗は消える。神はわれらに「常に心を明るくもて」と仰せられているのである。一時(いっとき)といえども私は心を曇らすことをしないのである。神は勇気の本源であり、神の子たる私は、勇気そのものである。神の智慧われに来りて、迅速果敢に適当なる決意と断行をなさしめ給うのである。

 ああ、感謝すべきかな、天地万物は、ことごとく神の子として兄弟姉妹であり、われを常に祝福し、われを常に援助し、わが希望を必ず成就せしめ給うのである。≫

と。ありがとうございます。
感謝 合掌

1632復興G:2012/11/11(日) 19:09:04 ID:vWpLkCzM

――『新編聖光録』で、前に引用させて頂いた「大懺悔」についての項に続いて掲載されているのは、「法華経 安楽行品」からの抜粋です。それは――

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

○如来の滅後、末法の中に於て、是の経を説かんと欲せば、応(まさ)に安楽行に住すべし。
若しは口に宣説し、若しは経を読まん時、楽(ねが)いて人及び経典の過(とが)を説かざれ。亦諸余の法師を軽慢(きょうまん)せざれ。他人の好悪長短を説かざれ。声聞の人に於ても亦、名を称して其の過悪を説かざれ。亦名を称して其の美しきを讃歎せざれ。又亦怨嫌の心を生ぜざれ。善く是の如き安楽の心を修するが故に、諸々の聴くこと有らん者、其の意に逆わじ。難問する所有らば、小乗の法を以て答えざれ。但(ただ)大乗を以て為に解説(げせつ)して、一切種智を得しめよ。(法華経、安楽行品)

というのであります。その意味は、

≪ 如来の滅後に末法の時代においてこの経を説こうと思うならば、安楽の行をなすべきである。

 もしこの経を口に説き、また経を読む時には、他の人や他の経典の悪口を言ってはならぬ。

 また他の法師を軽んじたり、慢(あなど)ったりしてはならぬ。

 また他人の好悪(よしあし)や長所・短所を説いてはならぬ。

 また声聞の人の名をあげて、その過悪(あやまち)を説いてはならぬ。

 また名をあげてその人の美(よ)き事をほめ讃えてもならぬ。

 また人を怨み嫌う心を生じてはならぬ。

 よくかくの如き安楽の心を修めるが故に、すべての聴衆は菩薩の意にさからわないであろう。

 また難しいことをいろいろ問いかけてきても、小乗の法をもって答えてはならぬ。

 ただ大乗の教えのみを説いてその人に一切種智(いっさいしゅち)を得させよ。≫

 ――私たちが今、尊師の滅後に、いかに行ずべきかにういて、具体的に教えられているような気がします。
<つづく>

1633復興G:2012/11/11(日) 19:09:43 ID:vWpLkCzM

 その「安楽行品」の続きを、経典の原文は省いて解釈文のみ掲載しますと――

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

≪後の世の佛法がまさに滅びようとする時に、この経典を受持(たも)ち読講する者は、嫉妬や諂(へつら)い・誑(あざむ)きの心を懐いてはならぬ。

 また佛道を学ぶ者を軽んじ罵り、その短所をさがし求めてはならぬ。

 もし比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の中で声聞を求める者、縁覚を求める者、菩薩の道を求める者があれば、この人を悩ましたり、疑いや後悔の心をおこさせたりして、その人に『お前達は佛道から遠く離れている。とても佛の一切智を得ることができないだろう。何故なら汝は放逸(きまま)で佛道の修行をおこたり怠けているからだ』などと言ってはならぬ。

 またいろいろな教えを戯れに論じたり、教えに関して争ったり競ったりしてはならぬ。

 常に一切衆生に対して慈父のごとき想いを起こし、もろもろの菩薩に対しては大師であるという想いを起こすべきである。

 十方世界のもろもろの大菩薩に対して、常に心から敬い礼拝せよ。

 一切の衆生に対しても平等に法を説け。

 法に順(したが)って多くもせず少なくもせず、また深く法を愛する者のために、特に多く説くというようなことをしてはならない。

 この菩薩が後の世の佛法がまさに滅びようとする時において、この第三の安楽の行をまもって法を説くならば、決してこの人を悩ましたり乱したりする者はないであろう。

 志を同じくする好(よ)き人々が、共にこの経を読誦するであろう。

 また多くの衆が来てこの経を聴き、聴き終ってよく持(たも)ち、読誦し、説き、また書き、もしくは人にも書かせ、経巻を供養し、敬い、尊び讃めたたえるであろう。≫

 ――と、説かれているのであります。

1634復興G:2012/11/11(日) 20:36:08 ID:vWpLkCzM

――上記、法華経「安楽行品」の解釈文は、法華経研究家で生長の家地方講師(教務)でもあられた、藤村義彰様(故人)の遺著『新訳 法華経』に拠りました。感謝いたします。合掌。

さて、>>1616>>1619で、a hope 様が提出された課題には、まだ疑問点が残っていますでしょうか。

≪よい家に育った坊ちゃんや、嬢ちゃんは、病気にならせてはいかぬ、風邪を引かせたらいかぬ、お腹をこわしたら大変だと、始終小さいことに気をつかって、注意に注意をかさねていても始終病気になっているのが多いのです。それは何故ですか。それは「病気」のことを始終思っているからなのです。「病気になったら大変だ」と始終思っているからなのです。こう云う人はアメリカではトラブル・シーカー(trouble seeker)と云って軽蔑(みさげる)されています。病気のない間から、病気が何処かにないかしらと、さがしまわっているようなものなのです。それだから、病気をさがし当て、小さい病気でも、心で恐れて大きな病気にしてしまうのです。
キリストは「求めよ、さらば与えられん」と申しましたが、こう云う人は、病気を求めて病気を与えられるのです。
それよりも諸君は健康を求めて健康を得たらよいでしょう。(谷口雅春先生『人生読本』より)≫

というところの、「こう云う人は、病気を求めて病気を与えられるのです」の「こう云う人」とは、キリストのことではなく、「病気になったら大変だ」と始終思っている人。その人は、(現在意識で)病気を求めているわけでなくても、病気のない間から、(潜在意識で)病気が何処かにないかしらと、さがしまわっているようなものだから、いわば「病気を求めている」、だから「求めよ、さらば与えられん」で、求めた病気が与えられるのだ、ということですね。おわかりでしょうか。

a hope 様は、
≪キリスト=実相=神の子である。自分自身に完全円満な健康な姿(キリスト=実相)を求めれば、現象にも完全円満な健康な姿が与えらますよ。
でも、キリストを求めず、現象の不完全な姿(不健康)ばかりを求めていれば、キリストは顕れることはできないので、代わりに心に思ったままの不完全な姿(病気)が与えらますよ。
こんな意味でしょうか・・・?≫
と、むつかしく考えられたようですが、そんなに難しく考える必要はないと、私は思いました。

それから、トキ様が >>1622 で、
>>私個人は、「久遠生命の神示」が参考になると思っています。<<
と書かれたのに対して、私は神示集を探しましたが「久遠生命の神示」というのは載っていなかったので、「本来生、不滅の神示」でしょうか、と申しました。
しかし、聖経『天使の言葉』の前に「『久遠生命』の神示」と題されて神示が二つ載っているのでしたね。
これは、『神示集』では、「無相円相一切相の神示」および「帰幽の神示」と題されている神示です。
神示が天降ったときには、無題であった。これに題をつけられたのは、後で谷口雅春先生がその内容から便宜上つけられたので、聖経と神示集ではタイトルが異ってつけられていたのでした。
勉強になりました。トキ様、ありがとうございました。

1635SAKURA:2012/11/11(日) 21:03:36 ID:jH5uEFzM
復興G様 へ
トキ様 ヘ
誌友会の皆様 ヘ
こんばんは……  ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

私事で、やっと先程から【WEB誌友会…】の皆様方の“投稿…”を閲覧させて頂きまして、
此処に“投稿”させて頂きます…。(私事で遅くなりまして…申し訳御座いません。)

今回は“パートナー”の介護関連にての私事でしたので…「11月7日からは、時間調整が難し
い状況でした。要約、自宅に戻りましたので…皆様の“投稿”されています事柄も含めまして…
【タイミング】が…と改めまして思った次第です。…が?更に【 体 験 談 の お 話 】も
含めまして…横スレにて申し訳ありませんが……ここに“投稿”させていただきます。

■■【生長の家…御教え】は、“病 無 し”です〜〜〜ョネ!今回【病気…】についてですが、
私事で恐縮ですが 【私の亡き父も…“結核3回…”を、この「御教え」で、治りました。…が?
やはり!瞬間【心を強化…】して【病はない!!!】という【真理…】だけでの教えでしょうか?
亡き父の【真理への理解力】が、何処までで、あったのでしょうかと?今にして思いますと……
確かに、その強い精神力は、認めます。本当に【精神のコントロール】が“瞬間…”は出来まし
たのでしょう。ですから当然の事ながら…それで治りました。…が?【再度!また…再発!】な
のです。何故?何故?その様な事が〜〜〜同じ繰り返しが〜〜〜なのでしょうか???
この精神【持続性…】が??ある時?無くなってしまったのでしょうか?では?その【病は無い…】
この事に、到達しますには…「不安?恐怖心?」このような引っかかりの【心…法則】が〜><
潜在意識の何処かに?【こだわりの心】としてあるからなのでしょうか?【再発…】

■【宇治の練成会…参加】しまして…その時は“治った!”が?……また【再発…】これが、
一番多いのでは?その様に思える事が?何度かあります〜〜〜ョネ!

                   つづく

1636SAKURA:2012/11/11(日) 21:06:56 ID:jH5uEFzM
復興G様 へ
トキ様 ヘ
誌友会の皆様 ヘ
こんばんは……  ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1635の投稿の続きです。

■ こうして考えますと、やはり
【真理…】を、徹底的に“潜在意識”に入れ込む事が、一番大事なんのではないでしょうか??
こうして考えますと【心のトレーニング】が、必要になるのです〜〜〜ョネ!!
「病気はない!!」との訓練…この事は“神にすがる事”ではなく、甘えるのでもなく、
【私の心=神】なのです〜〜〜ョネ!……そうして考えますと、やはり!
❤〜【心を360度転回する事…】から始まる事ではと〜〜〜思うのです。…が?ふと!
今回は、「亡き父」のことを思い出してしまいました。

ブレイクしますが…私も…今現在【不景気…??】です。…が?これこそが〜〜〜この時こそ〜〜〜
【チャンス!到来で〜す】と…“心の映画館のスクリーン”に描いて、前に進む“軌道修正”なのですが?

「谷口雅春先生」がお悟りになられました時の一節に……
■【実相】は【物質はない】……【心も無い】という自覚をとおして、はじめて明らかに…で
しょうかと???此処からが【生長の家…御教え】の根本なんです〜〜〜ネ!!
今の私は、要約【物質は無い】と言うこの境地になってきています。…が?【進行形…】
これで…ようやく【生長の家…理解】しつつ〜〜〜とう言うこの頃です。当然【病も無い】…も含めまして!
そして【心も無い】…つまりは?“引っかかり…?”・“こだわり…”?という理解でしょうかと?思います。
当に【四無量心…の心】でしょうか……??改めまして、思った次第です。

皆様の“投稿…”を、楽しみながら“閲覧”させて頂きました時の、私自身の“想い”でしょうかと???
                                                         再合掌


                                           再合掌
PS
雅春先生が【360度回転…】と名付けておられますところの…
180度回転では今まで「ある」と思っていたものが、「ない」となった状態で、その180度回転の
『無の関門』を、もっと通りこして、もう180度回転して、360度回転して、モトへもどった時、形は
同じでも、中味が生まれかわったものになっているのです。
今まで「肉体が人間だ」と思っていたのに、「肉体は無い」と言われてビックリして、そこに引っ
かかっていては、180度回転です。ところが、そうか「肉体は無いのか」と、一度肉体を否定して
しまって、それでは何があるのだと、「肉体なし」を通りこした時、実相人間があるのだ、それは
「神の子」なのだ、と360度回転してしまいますと、形は同じ肉体人間のように見えても、中味が
すっかり入れかわって、「実相人間」、「神の子人間」を自覚して、今までと全然ちがった、新しい
「人間」として、生きることができるのです。…(抜粋文)…
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

この文章が目に留まりました時…「雅春先生…」の言葉の使い方に【感銘・・・・】した次第です。
当に【病は無い…】でしょうかと??
 
❤〜今回の私事の事情も含めまして、勉強の機会を頂きました事に感謝申し上げます。

1637a hope:2012/11/11(日) 21:09:41 ID:lAQRWvUs

復興Gさま
たくさんの素晴らしいご指導ありがとうございます。

先ず、
――――――――――――――――――――――――――――
≪生長の家は単なる唯心論ではなく、「唯神実相論」である≫
というのが、生長の家の究極の御教えですが、それでは
≪現象は自分の心の写しである≫
というのは、生長の家の教えとは言わないのですか?
――――――――――――――――――――――――――――
という、聖典板での神の子さんのご質問ですが、るんるんさまが生長の家の「縦の真理と横の真理」を、例にあげてくださって復興Gさまが「お釈迦様がお悟りになったときのお話」をしてくださり、丁寧に分かり易くご説明くださったので、わたしにもよく理解できました。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
>>1627
≪現象は自分の心の写しである≫というのも、もちろん生長の家の教えです。
しかし、それは、「現象あり」と思っている人には、いきなり「現象は本来無いのです」と説いても、「この通りアルではないか」と言って受け入れられないから、まずは方便説法として「心の法則」を先に説かれることもある。
しかし、「現象は影に過ぎない、それは本来ナイのである。神と神の創造し給うた完全な世界のみが実在する。今此処が神の国であり、すでに大調和している」というのが、生長の家の究極の教え(唯神実相論)であり、それを自覚したときはじめて、ただ喜び、ただ感謝する生き方ができて、「現象は自分の心の写しである」という「心の法則」が有効に働き、幸福になれる。

ここのところが、お答えですね。
復興Gさま、るんるんさま、ありがとうございました!
よく理解できて、すっきりしました。
きっと、聖典板でうのはなさまに質問された神の子さんも、同じようにすっきりされているのではないでしょうか・・・?

さらに、復興Gさまは、「不和の家と平和な家」の話の例えで、「小懺悔」と「大懺悔」についても、
とてもわかりやすくお話してくださいました。
こちらも、わたしはとてもよく理解できました。
ですが、その後のお話は、ちょっと難しいので、これからプリントアウトして、何度も拝読したいです。
(つづく)

1638a hope:2012/11/11(日) 21:12:08 ID:lAQRWvUs

(つづき)
ところで、みなさま
第8回web誌友会は今夜11時30分で一応閉会となります。
ですが、今回は、復興Gさまが沢山の「生長の家」の真理をお話し下さいました。
現在の、わたしたち「生長の家」信徒がなすべきこと、心掛けることなどたくさんご教授して下さっているように感じています。
わたしには、もっと時間をかけて読まないと本当に理解できない内容のものも多いです。
web誌友会終了後も、引き続きお勉強させていただくつもりです。
また、後日、質問などさせていただくかもしれません。
復興Gさま、その時は宜しくお願致します。

1639復興G:2012/11/11(日) 21:38:04 ID:vWpLkCzM

>>1635>>1636 :SAKURA様。
ご投稿、ありがとうございました。

人生、いろんなことがあります。

>>1618で a hope様が、聖典板から転写してくだいました、うのはな様の投稿文(『實相研鑽』第三集より)「自壊作用は魂を磨かれる機会」――というのも、考えさせられるものでした。

≪(聖典板)1422 :うのはな:2012/10/15(月) 12:05:53
   自壊作用は魂を磨かれる機会
 先生の御本に“自壊作用がこなくて、全てが整うというような甘い考えを持つな”というお言葉を拝見したことがございます。私宅にも、「神想観をやり、『甘露の法雨』を誦げているが何か調子が良くゆかない」という誌友さんがいらっしゃったのでございます。
 長いこと生長の家の本をお読みになっておられるそうですけれども、実はどこを読んでいるのか分らないような読み方だろうと思います。その場合、その人にそれだけの自壊作用があるということは、その人の魂を、今ここですばらしく研かれる機会が与えられたのだということを、先生は口がすっぱくなるほど、私達におっしゃっていただいております。
 私たちはややもすると、目の前の現象が整うことが何よりも良いことかの如く、考えがちでございます。けれども目の前に良いことが現われたのを良いと思うときは、すでに峠を越したときじゃないかと私は思っております。常に私達は、失敗とみえることに直面することによって、すばらしく研かれてゆくんじゃないかと、“自壊作用”に自分ながら感謝させていただいております。
(『實相研鑽』第三集 川野岩五郎氏 P88 谷口雅春先生監修)≫

――これは、良寛さんが
「災難にあう時節には、災難にあうがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候(良寛)」
と言われたご心境で、川野岩五郎氏が、おっしゃった言葉ではないかと思いました。

天外伺朗(てんげ・しろう)氏は、
「災難や逆境が、なぜ苦しみになってしまうかというと、直面することも受容することもできず、ジタバタとそこからのがれようとするからです。
つまり、災難そのものより、それを否定しようとする自らの心の動きが、苦しみの源泉だし、災難を人生のうえでの大きな災厄に育ててしまう元凶なのです。」

と言っています。“自壊作用”に感謝すれば、それは災難をのがれて幸福をよぶことになる、ということでしょうと思いました。それは、本来「実相独在」で、悪はナイ、夢幻のようなものだから、「恐れずに虎に立ち対(むか)えば虎はうなだれ、熊に立ち対えば熊は避けて後退(あとずさ)りせん」(聖経『続々甘露の法雨』)とある通りで、すべては魂の向上の機会なのでしょう。

ありがとうございます。

1640復興G:2012/11/11(日) 21:46:31 ID:vWpLkCzM

>>1637>>1638 :a hope さま。

ありがとうございます。
このweb誌友会で、いちばん勉強させて頂いたのは、私でしょう。本当に、ありがとうございました。
管理人のトキ様、お世話くださった a hope 様、その他ご参加くださって貴重なご発言をくださいました皆々さまのおかげです。

まだ1時間あまりありますが、今までだけでも、充実した、よい勉強ができたことを、感謝いたします。ありがとうございました。

1641a hope:2012/11/11(日) 21:51:04 ID:lAQRWvUs

>>1634復興Gさま

わたしの〝キリストは「求めよ、さらば与えられん」″の解釈は、やはり、考えすぎでしたか…(笑)
ちょうどそのころ、「最後の審判の神示」について、女子会板でみすはなまるさまとお話していたので、
こちらについても、考えすぎてしまったようです。
本当はわたしはどちらかというと、物事を直感で判断するタイプなので頭で深く考えるのは苦手なのです。
これからは、自分の直感を信じて、生長の家の聖典をしっかり心で拝読していきたいと思いました。

復興Gさま、御指導ありがとうございました。


>>1635 SAKURAさま!

ここ数日間、SAKURAさまの投稿がなくてどうされているかと思っていました。
今回もweb誌友会に参加してくださりありがとうございます!

お元気そうでなによりです。

1642a hope:2012/11/11(日) 22:06:21 ID:lAQRWvUs
復興Gさま、トキさま そしてみなさま 

閉会時間まで参加したいのですが、明日は仕事もありますので、
今夜はこれでお休みさせていただきます。

今回も、素晴らしい学びをさせていただいたことに心から感謝します。

みなさま、本当にありがとうございました。 
そして、おやすみなさい。

1643さくら:2012/11/11(日) 22:41:17 ID:e8ieIrPA
復興Gさま
トキ管理人さま
ご参加のみなさま

合掌ありがとうございます。
この度の誌友会におきまして、お言葉の一つ一つが胸を打ちました。

…初心に戻り、生長の家の信仰に出会えたことを、改めて誇りにも思えました。

この二日間、この板を開くたびに、練成を受けているみたいで、とても清まる気持ちがしましたし、……とても楽しかったです。
(復興Gさまの体験談も感動でした!)
原点に戻った気がして、自分を静かに振り返ることができました。

…改めて、日々の学びを大切にして、信仰の中心をしっかり確立することの大切さを思いました。

たくさん想いがありますが、
それを自分のなかで熟成できるよう、これから学んで行きたいと思います。

ご指導、心から感謝いたします。

ありがとうございました。

さくら拝

1644るんるん:2012/11/11(日) 22:56:58 ID:NS71OwS.
復興G様

出かけていて、帰ってきて 今、全部読ませていただきました。これから何回も読ませて頂きます。
沢山のご指導 いつも本当にありがとうございます。
(いつも、復興G様の大量の書き込みを読ませて頂いてるのに、読みっぱなしでろくにお礼も言わず、本当に申し訳ありません。)

a hope様
私のうまく書けていない文にそんな風に言って下さり有難うございます。
復興G様がちゃんとまとめてくださり、良かったです。

sakura様
360度回転 そうですね。
自分、そこまで回転できてないです。 物質無しはホントに難しいですね。

1645SAKURA:2012/11/11(日) 22:57:37 ID:jH5uEFzM
復興G 様 へ
トキ様 へ
a hope様へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
1635>> 1636の投稿の続きです…。

■復興G 様 へ

>>1639の“頂きましたお言葉”…感謝申し上げます……。
そうなのです〜〜〜ョネ!思わぬ“アクシデント…”“予期せぬ><…あり”でしょうか??
今回は「人生は…ドラマ」全てに“無駄”という事は、ないモノと改めて思いました次第です。
更に「復興G 様…資料」を、閲覧しながら、時間の合間にて“投稿”させて頂きます。

■a hope様へ

>>1641の“お返事の投稿”から…
「a hope様」の投稿…ゆっくり閲覧させて頂きまして…改めて感じました事を・・・
“投稿”させていただきたく思いました…。
そして…明日の“お仕事…”のため…“お休み”されますとの事…お忙しそうで何よりです。
朝夕の寒暖の差…厳しく感じますこの頃ですので…くれぐれも体調に気を付けられます様…
【お祈り…】申し上げます。
                                 再合掌

1646SAKURA:2012/11/11(日) 23:18:32 ID:jH5uEFzM
復興G 様 へ
トキ様 へ
ルンルン様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1635>>1636>>1645の投稿の続きです…。

■ルンルン様 へ
こんばんは… そうなのです〜〜ョネ!今回は私事にて…時間調整が出来ませんでしたので……
この事も【肉体人間…】という事が、何処かに?“引かかつて”いましたのでしょうか?
【無 限 力】が〜〜〜>< 私も【180度回転の…肉体人間】でしたかしら〜〜〜ン!
今改めて【360度回転…人間】へと…

■雅春先生の言葉からの抜粋…
雅春先生が【360度回転…】と名付けておられますところの…
180度回転では今まで「ある」と思っていたものが、「ない」となった状態で、その
180度回転の『無の関門』を、もっと通りこして、もう180度回転して、360度回転
して、モトへもどった時、形は同じでも、中味が生まれかわったものになっているのです。
今まで「肉体が人間だ」と思っていたのに、「肉体は無い」と言われてビックリして、そこ
に引っかかっていては、180度回転です。ところが、そうか「肉体は無いのか」と、一度
肉体を否定してしまって、それでは何があるのだと、「肉体なし」を通りこした時、実相人間が
あるのだ、それは「神の子」なのだ、と360度回転してしまいますと、形は同じ肉体人間の
ように見えても、中味がすっかり入れかわって、「実相人間」、「神の子人間」を自覚して、今ま
でと全然ちがった、新しい「人間」として、生きることができるのです。 (一部抜粋文)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

「雅春先生の言葉の表現」素晴らし〜〜〜イ!と【感激…】ひとしおです。
引き続き「復興G様」の今回の資料を…勉強させて頂いております…。
                                   再合掌

1647復興G:2012/11/11(日) 23:34:55 ID:vWpLkCzM

さくら様
るんるん様
SAKURA様
コメント、ありがとうございました。うれしく、感謝いたします。
「360度回転」ということも、あらためて考えさせられました。ありがとうございます。


 皆さま、web誌友会はお開きの時間となりました。
 締めくくりとして、聖経『真理の吟唱』より、「繁栄と健康と幸福を得る祈り」を謹写拝読し、皆さまのご家庭の幸福を祈り、祝福しまして、お開きとさせていただきたく思います。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

(谷口雅春先生『真理の吟唱』より)

「繁栄と健康と幸福を得る祈り」

 わたしは神の子である。一切の現象界の喧噪(けんそう)を超えてわが心ひたすら神に向かうのである。静けさの中にわたしは現象を超えて神に直接触れるのである。而して神より、生命と愛と力と勇気と智慧のインスピレーションを受けるのである。

 かくてわたしは必要に応じて神から適切なるアイディアを受けとるのである。新しき有効なるアイディアはわが脳裡(のうり)に閃(ひらめ)くようにあらわれる。わたしはそのアイディアを見のがすことなく、聴きのがすことなく、直ちに実行に移すのである。アイディアは実行に移さなければ煙のように消えてゆくものである。それは実相世界より出で、現象界の時間空間の世界に種まかれる。時間空間の世界にそれを発芽させ、生長させ、花をひらかせるのは、人間の役目であるのである。もし人間が実相世界からアイディアを受けながらそれを発芽させ栽培し、生長させることがなければ、アイディアの種子は実相世界へ還り行くことになるのである。

 わたしは今、心をひたすら神に振り向け、実相世界のアイディアに波長を合わせて、あたかも優秀なるテレビ・セットに、放送番組を受像するが如く、天国の状態をわが住む世界に実現するのである。それゆえ、神の聖なる計画は着々としてわが住む世界に実現し、わが行くところに必ず地上天国は実現するのである。

 わたしは今、地上に天国を建設する使命を受けて地上に降誕した天使であるのである。わたしは、愛語と讃嘆と和顔とによって地上に天国を建設するのである。わたしは万物に感謝し、万物を讃嘆し、万物を祝福する。私に讃嘆されたるものは必ず讃嘆されるにふさわしい実相の善さを発揮し、わたしに祝福されたるものは必ず祝福の功徳によって健康となり、繁栄し、悲しみは消え去り、悦びはくるのである。それゆえに私は健康の天使であり、繁栄の天使であるのである。

 わが権威は神より来るのである。わが権威と能力とは神より来ることを知るがゆえにわたしは決して傲慢にならないのである。わが能力は、わたしが神の導きに対して、最も謙虚にへりくだりて従順に随いたる時に最もよく発揮せられるのである。

 わたしは体験を通して神への従順は人間の権威であることを知るのである。それゆえに、われ常に自己を空しくして神の導きを受け、受けたる導きはすぐそれを実行に移して、一歩一歩この世界に地上天国を建設するのである。

 神はわが一歩一歩を祝福し給う。それゆえにわたしの行為は誤ることなく適確に功を奏するのである。神に感謝し奉る。ありがとうございます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

◇◇◇世界平和の祈り◇◇◇

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い
すべての人々の心に、愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

◇◇◇光明思念の歌◇◇◇

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ありがとうございました。

1648如月:2012/11/12(月) 09:12:59 ID:ki/haAjk
>>1608 復興Gさま

長時間に渡る御指導ありがとうございます。

また、真理に触れて悪循環から抜け出せた事を祝福下さいましてありがとうございます。
もう一歩進んで病気無しにたどりつくというのが課題です。

難しく思いましたが、a hopeさまが>>1637でおっしゃってたように私にもよく理解できて
すっきり致しました。 復興Gさま、るんるん様、ありがとうございます。

藤原俊之先生で [すべてを癒やす道] で
『方便が必ずしも無用であるというのではありません。真実に至る過程を方便というのであります。
また、本当に救われるためには、自我的努力を必要としないのでありますが、しかしそれが解るのは
自力にかぎりを尽くしてみた者にだけ判る結論なのであります。
やってみないで必要か必要でないかという結論は得られません。食べてもみない者に
おいしいかおいしくないのかの答えは得られないのと同じであります。
釈尊が”苦行は悟りの因にあらず”と結論さられたのは、人間力をその限界まで出し切ってみられた
からであります。 私達は幸いにも谷口雅春先生によって、廻り道しないでも、真理に到達出来る
最高の近道をお示しいただいております。 ”我れ神の子”の自覚に徹し、ただ喜ぶだけで救いを
成就できるという天国、極楽への最短距離の教えをいただいたのでありますから、素直に受ける
だけでよろしいのであります。』 とお書きくださっています。

どうも私は廻り道をしているようですが、今回の誌友会でかなり理解できました。
でも、まだストンと入って来ない自分が残念です。

1649トキ:2012/11/12(月) 09:17:14 ID:8IqGrmKY
 復興G様

 長時間、丁寧なご指導を賜り、深く感謝申し上げます。
 この掲示板の全ての閲覧者様にとって、きわめて有益な誌友会だったと確信をしています。

ご多忙の中、貴重なお時間を頂戴し、ありがとうございました。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1650如月:2012/11/12(月) 09:26:02 ID:ki/haAjk
>>1609 みすはなまる様

金子哲雄さんの遺書をご紹介して下さいましてありがとうございます。
最近テレビに出てきた人なのに、往年の俳優が亡くなられた時以上に
ネット上では話題になり、皆が彼の死を悼んでいたのが印象的でした。

何とも言えない魅力がある人だったのですが、流通の情報を集める彼が
実はあの世の情報を集めていたのではないかと思えるような遺書でジーンと来ました。
生き通しと教えられても悲しいです。

その話とは別になりますが、みすはなまる様がこの掲示板を見て下さっていたた事がわかり
とても嬉しく思っています。 どうか、これからもお願い致します。
私がパニックになった時に優しく御指導いただきましたが、まだまだ不安定な若輩者ですので
見捨てずにお願い致します。

1651如月:2012/11/12(月) 09:37:54 ID:ki/haAjk
SAKURAさま

誌友会が始まる前にパートナーの親御さんの介護問題…と書かれていたので
今回はご参加が無理なんだろうなと思っていました。
しかし、調整してご参加下さいましてありがとうございます。

【360度回転】
これが新生ということなのでしょうか。 
私もSAKURAさまと同じく進行形ですが、もっともっと後ろを歩かせていただいています。
しかし、【全てに“無駄”という事は、ないモノ】というのは本当にそう思います。
私もスクリーンにいっぱい描いて前進して行きます。

1652復興G:2012/11/12(月) 10:57:26 ID:vWpLkCzM

トキ様、ありがとうございました。トキ様のおかげで、このような有意義なweb誌友会の場が与えられ、
これは神に導かれた場であると思わせて頂きます。ありがとうございました。

如月様。
昨夜の締めくくりの「世界平和の祈り」は、前の誌友会で如月様がアップしてくださいましたのを、コピペ
させていただきました。ありがとうございました。それがまことにぴったりとふさわしい形におさまっています。
これも、大いなる 見えないものに導かれてできたような気がします。

皆々さま。
私も、今回の誌友会の記録を読み返してみて、私が書いたものも、私が書いたのではなく、大いなるものに
導かれて書かせて頂いたような気がします。私も、それを拝読して肝に銘じてこれから生きて行こうと、深い感銘をもって
読み返しています。
(自分が書いたものではないような気がするので、「拝読」と書きました。)
ありがとうございます。

1653復興G:2012/11/12(月) 13:13:20 ID:vWpLkCzM

昨日の朝、アップしました「ひとつの朝」という合唱曲は、昭和53年と59年の2回、NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部 の課題曲だったそうで、たくさんの高校生をはじめ教育関係者などが一所懸命うたった歌のようです。だから、YouTube にもたくさんの演奏がアップされています。

ということは、たくさんの人々が、

「さあ 方舟(はこぶね)に乗って 旅立とう あのノアたちのように 旅立とう」

と、一所懸命うたったということです。

「ノアの方舟」の話は、旧約聖書に出てくる物語ですから、この歌の作詞者はクリスチャンか、少なくとも宗教的素養のある人でしょう。もしかしたら、生長の家、『生命の實相』を読まれた方かも知れません。

この歌をたくさんの人々が歌っているということは、多くの人たちの魂が、ノアの方舟すなわち神の教えの船に乗りたいと願っているのだ――そう私は思いました。人はみんな、自覚しようとしまいとにかかわらず、神の子であって、誰しも、宇宙の真理、万教帰一の救いの願船、生長の家の教えを求めている。生長の家は、万人を救う大乗の船ですから――。

>>1614で、a hope さまが、
>>わたしはいつの日か、復興Gさまや、如月さま、またこの掲示板のみなさまと一緒にこのような素晴らしい歌を歌えたらどんなに素敵でしょうね!<<

と書いてくださいましたが、掲示板の皆さまとは近未来に、そしてやがては全世界の人たちと共に、「みんなのハーモニー」の歌も、歌える日が来ることを夢見、願いながら、ハーモニーの輪を広げていこうと思っています。

1654復興G:2012/11/12(月) 13:50:58 ID:vWpLkCzM

10日(土)夜、>>1610でアップさせていただきました、
「みんなのハーモニー」の歌について、思うことを投稿させて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   「みんなのハーモニー」

 プロローグ
  みんなで うたうと
  たのしくなるよ
  こころのてを つなごうよ

1.あなたの声 私の声
  みんなの声を合わせて
  世界でただひとつの
  花束(ブーケ)を作ろう
  子どもたちも 大人たちも
  歌おう 思いを歌に乗せ
  世界のみんなに届けよう
  ハーモニーのブーケを

    時空を越えて
    分かち合えるもの
    それはすてきな音楽
    歌う喜び

2.横糸はメロディ 縦糸はハーモニー
  みんなの心を織りこみ
  世界でただ一枚の
  ショールを作ろう
  子どもたちも 大人たちも
  歌おう 思いを歌に乗せ
  誰かの肩にそっと
  ハーモニーのショールを

    時代を越えて
    受け継がれるもの
    それはすてきな音楽
    歌う喜び

3.この胸の思い
  歌の翼に乗せて
  大空に放とう
  涙も微笑みもみんな
  七色に輝き
  子どもたちの 大人たちの
  頭上に高く広がり
  明日へと続く虹となる
  ハーモニーの架け橋に

  届けみんなのハーモニー
  歌は心のメッセージ
   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

この、
「時空を越えて 分かち合えるもの それはすてきな音楽 歌う喜び」

「時代を越えて 受け継がれるもの それはすてきな音楽 歌う喜び」

の、「音楽」というところを、心の中では
≪『生命の實相』の教え≫と置き換えて歌ってもよいのではないかと、私は思いました。

「歌う喜び」は、「学ぶ喜び」と思ってもよいし――。

榎本恵吾講師も、『生命の實相』に書かれている御文章は、喜びの音楽のようだ。その喜びのこころ、響きを、魂で感得しながら読むべきだ、と言われたましたよ。

1655トキ:2012/11/12(月) 15:25:58 ID:8IqGrmKY
 戦争が終わった後の話ですが、日本海軍の部隊がイギリスの収容所に入れられました。
戦争が終わった直後ですから、イギリス兵と日本兵の間にはトラブルが絶えず、険悪な雰囲気が
流れていました。

 その時に、日本海軍の主計士官が、歌の上手い兵隊を集めて、合唱団を作りました。最初は
竹やぶの中で練習し、レパートリーの中に、イギリスの民謡も入れました。そして、夜中、イギリス兵
の宿舎の近くで練習した歌声を披露しました。

 これが毎日続くと、イギリス兵の態度が段々と軟化し、トラブルが少なくなってきました。ある夜、
イギリス軍の司令部でパーティーがあり、頼まれて日本海軍の合唱隊が歌声を披露すると、大好評。
 その後、収容所の周囲を囲んでいた有刺鉄線がなくなり、監視所から機関銃が消え、あちらこちら
で日本兵とイギリス兵が交流する場面が見られるようになったそうです。

 そんな話をふと思い出しました。

1656みすはなまる:2012/11/12(月) 16:08:13 ID:BUfrVyJk
>>1650 如月様

もしかしたら、既に如月様はご存知でらっしゃるかもしれないと思いつつ、何かしらお役に立てばと添付させて頂いた次第です。

ときどき、この掲示板を閲覧させて頂いております。

最近は、雅春先生の御著書を前に真剣にどれだけ拝読し、神想観を行じているだろうかと、いたらなさを実感しております。
ただ、行じ日々生活に生かし実践していきたいと思う今現在です。

日々寒さを増す中、大自然の絵画を山々を見つつ観じる今日この頃です。
どうぞ、如月様、皆様方…御身体を大切にお過ごしくださいませ。

感謝 合掌

1657復興G:2012/11/12(月) 16:23:42 ID:vWpLkCzM

>>1655 :トキ様。

映画にもなった「ビルマの竪琴」を思い出しますね。

1658復興G:2012/11/12(月) 16:41:28 ID:vWpLkCzM

>>1656 :みすはなまる様。

横からになりますが、ご投稿、ありがとうございます。
この掲示板をときどき閲覧して下さっているそうで、ありがとうございます。

>>最近は、雅春先生の御著書を前に真剣にどれだけ拝読し、神想観を行じているだろうかと、いたらなさを実感しております。ただ、行じ日々生活に生かし実践していきたいと思う今現在です。
日々寒さを増す中、大自然の絵画を山々を見つつ観じる今日この頃です。<<

かつて、『理想世界』誌に谷口雅春先生が、次のような祈りの言葉をお書き下さったのがありました。

   * * * * *

神よ、荘厳にして美しき緑なす丘、
透きとおる蒼空(あおぞら)に漂う白き雲、
山々の樹々に囀(さえず)る小鳥の歌、
清冽(せいれつ)なる渓流に泳ぐ金鱗銀鱗(きんりんぎんりん)、
万物はあなたの影を宿して生き生きと輝いています。
あなたの輝きをもて人類の心を照らしたまえ。
すべての人類が争うことなく
唯一つの神の生命の岐れ(わか)なることを自覚し
互いに手をつないで
み心が既に“実相の世界”に成るが如く
現象の世界にも、至福平和の世界が実現いたしますように、あなたの無限の愛をわれにそそぎ給え。

   * * * * *

私はこの祈りの言葉が大好きで、記録してあるんです。
共に、祈りつつ実践してまいりましょう。
ありがとうございます。

1659トキ:2012/11/12(月) 18:33:11 ID:8IqGrmKY
>>1657

 確かにそうですね。

1660さくら:2012/11/12(月) 19:21:56 ID:sLdinDjY
>>1658

…よこのよこからになり、失礼いたします。

美しい祈り…ですね。

唱えると、自分のうちに、万物の生き生きした命が息づいて、
それが、外へ外へと広がるような、清々しい気持ちになりました。

良き祈りを教えて下さり、ありがとうございます。

感謝合掌。

1661SAKURA:2012/11/12(月) 20:35:32 ID:I9yDgPHk
復興G 様 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1647の“お言葉”ありがとうございました。
昨日の【閉会…】での“お祈り…” ■「繁栄と健康と幸福を得る祈り」
正直申しますと“感激の言葉”でした。

…と申しますのは
■>かくてわたしは必要に応じて神から適切なるアイディアを受けとるのである。新しき有効
なるアイディアはわが脳裡(のうり)に閃(ひらめ)くようにあらわれる。わたしはそのアイディアを
見のがすことなく、聴きのがすことなく、直ちに実行に移すのである。アイディアは実行に移さ
なければ煙のように消えてゆくものである。それは実相世界より出で、現象界の時間空間の世界
に種まかれる。時間空間の世界にそれを発芽させ、生長させ、花をひらかせるのは、人間の役目
であるのである。もし人間が実相世界からアイディアを受けながらそれを発芽させ栽培し、生長
させることがなければ、アイディアの種子は実相世界へ還り行くことになるのである。<(抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■本当に、混沌としました現状…素直に「神の方へアンテナ…を向けまして、メッセ−ジを
受信出来る様」に、子供の様な素直な“心…”にて【神様へ全托…】する事に…
【こころ=>意識…】を、向けています…。
そうしますと…夜など…“神様からのメッセ−ジ”を、受信できるかと??思い【お祈り…】
させて頂きました。本当に“6感?”頂きますモノ〜〜〜ですネ!そう感じます。
そして、今後もこの素敵な“祈りの言葉”を…実行させて頂きます…。

❤〜遅くなりましたが…【WEB誌友会…】大変お世話になりました事に、感謝申し上げます。

                                   再合掌

PS:
「復興G様…」から頂きました“WEB関連資料”での、若輩者の私の“感じました事”を、
引き続き…マイペ−スにて投稿させて頂きます。宜しくお願い申し上げます。

1662SAKURA:2012/11/12(月) 20:37:21 ID:I9yDgPHk
トキ様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

私事にて…時間調整(パ−トナ−の介護関係にて…)がうまくいかなく…
参加が〜〜〜残念な思いでしたが…当に!滑り込み“セ−フ”にての参加でしたのです。…が?
皆様の“投稿”を、閲覧させて頂きながら、新たなる【再発見!】が…厳密に申しますと、多々
ありましたでしょうか〜〜〜?
本当に…この度の…【WEB誌友会】お世話になりました…。”感謝…”

                                  再合掌

1663SAKURA:2012/11/12(月) 21:07:52 ID:I9yDgPHk
如月様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

大変、御無沙汰いたしております…。今回は?私事にて【WEB誌友会】参加が〜〜〜><
滑り込み“セ−フ”でしたのです。お元気そうな“いつもリズム感〜♫〜”の
「如月様の投稿言葉…」ついつい“笑いの種”を……いつも“いただいて〜〜〜ます!”

>>1651の投稿の中から
>もっともっと後ろを歩かせていただいています。<  (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■「360度回転…」…私も“忍者…伊賀のかげ丸”までには到達…していませんが???
“後ろ??”これって…ややもしますと【他力心願?】になるのでは〜〜〜?(言葉遊び?)
これではいけないと思いますので…【自力心願…内部の新生開発】での【360度回転…】に
なるため「心のイメ−ジトレ−ニング!」トライ!です。
この解釈論?如何でしょうかしら〜〜〜ン??
 
>>1648の投稿の中から…
■>私達は幸いにも谷口雅春先生によって、廻り道しないでも、真理に到達出来る最高の
近道をお示しいただいております。 ”我れ神の子”の自覚に徹し、ただ喜ぶだけで救いを
成就できるという天国、極楽への最短距離の教えをいただいたのでありますから、素直に
受けるだけでよろしいのであります。』<   (一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
現在の私は【ア〜〜〜ッ!失敗では??】と思う事も…多々あります。…が? この頃では…
この【廻り道】…これも又!ある面では〜〜〜いいじゃないの??「楽観主義」なので〜〜す。

最終的には、あの【ウイニング・ゴ−ル】目指し…その様に思える様になりましたかと??
                            
                            再合掌

1664復興G:2012/11/13(火) 09:41:32 ID:vWpLkCzM

>>1663 SAKURA様

>>現在の私は【ア〜〜〜ッ!失敗では??】と思う事も…多々あります。…が? この頃では…
この【廻り道】…これも又!ある面では〜〜〜いいじゃないの??「楽観主義」なので〜〜す。

最終的には、あの【ウイニング・ゴ−ル】目指し…その様に思える様になりましたかと??<<

ありがとうございます。そうですね。失敗も成功のもとですよね。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「困難を克服して伸びる祈り」 (谷口雅春先生『真理の吟唱』より)

 神は宇宙の本源であり給い、自己の内に“無限”を包蔵し給うのである。宇宙の一切のものは、神の無限の内容が、時間空間の枠を通して逐次に展開し行く姿であるのである。それゆえに今日は昨日よりも一層よく、明日は今日よりも一層よくなることは間違いないのである。

 たとい一時、暗黒の状態があらわれようとも私は決してそれについて悲観することをしないのである。暗黒と見える時にも生命の生長の営みは行われているのであって、植物は、夜のうちに一層伸びるということである。われわれの魂も、境遇が苛辣(からつ)であり、周囲の一切のものがただ暗黒に閉ざされていると見える時には、かえっていろいろの反省や努力が行われて、明るい幸運にめぐまれている時には、ないがしろにせられていた魂の部分が一層伸び且つ向上し進化するのである。肉眼には明暗の二相があるかのように見えているけれども、魂にとっては、明暗ともに、生長と進歩との機会なのである。悪しきものは宇宙のどこにも存在しないのである。

 “悪”は本来存在しないのであるし、失望落胆すべき事情も決して存在しないのである。わたしの希望は、神の希望がわたしという噴出口を通して、実現して来ようとしている衝動であるのであるから、その希望は自分自身の卑怯な臆病な躊躇逡巡(ちゅうちょしゅんじゅん)をもって妨害しない限りは必ず成就し実現するのである。「不可能」という語は、それが他の人々に不幸を与え迷惑を蒙らせるような願いでない限り、あなたの「生活の辞書」には存在しないのである。

 私は今日より後、一切の卑怯な躊躇と臆病な逡巡とに別れを告げるのである。私は勇敢に希望実現の道を歩む。神が導き給うのであるから、決して道に迷うことはないのである。私は一切の不幸や災厄や病気や貧しさに対して別れを告げるのである。なぜなら、そんなものは本来“神の子”には存在しないのであり、それはただ“迷い”の影に過ぎないからである。

 私は今、“人間・神の子”の真理を、以前よりも尚一層明らかに覚ったのである。この真理の光に照らされて私は光の中を歩むのである。真理の光の照り輝くところ闇は姿を消すのである。

 私は光に照らされて、神の示したまえる大道を歩むがゆえに、私の行く先はことごとく神の光に照らされて、暗きは明るくなり、険しきは平らかとなるのである。

 私は神を信じ、神の導きを信じ、つねに神の叡智を受けて進むがゆえに、わが心は疑いの念に一瞬でもくらまされるということはないのである。

 神に導かれるわれわれ家族にとっては、明日についての思い煩いも心配も不安もないのである。神の光に照らされて人生の大道を歩む私たちは誠に幸福なるかなである。神に深く感謝し奉る。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ありがとうございます。

1665復興G:2012/11/13(火) 15:07:45 ID:vWpLkCzM

 もう一つ、「人生の苦難を克服する祈り」を謹写拝読させて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     人生の苦難を克服する祈り

 私たちは神の子である。私たちの家は“神の子”たちの住む“神の国”なのである。神はその全智にして全能なる力をもって私たちを愛し給い導き給うのである。

 神の愛は近視眼的愛ではなくて遙かに前途を見越して、有終の美を飾る如き結果をわれらに与えたまうのであるから、現在の状態がたとい如何なる状態であっても私たちは神に対する信頼を失うということは絶対にないのである。

 神は常に、その全能なる力をわれらに授け給い、全智なる智慧によって私たちを導き給う。神の護りは完璧にして、神の導きは完全であるから、私たちは常に迷うことなく、神の“内からなる導き”に全托して、大安心のもとに行動することができるのである。

 神は常に最も良き道を知り給う。神は時に困難な道をわれらに示し給うことがあるけれとも、それはその困難の岩盤の下に素晴しい宝鉱が埋蔵されている時に限るのである。そのような時、困難を困難としないで、困難の岩盤を掘鑿(くっさく)して行くならば、われらは露頭(ろとう)にはみられない素晴しい宝鉱に到達することができるのである。

 それゆえに私たちは決して困難を避けようとはしないのである。神は石油でも金鉱でもダイヤモンドでも、何らの労作もなくして誰でも汲み出し、誰でも拾えるような、手近な地表には置き給わなかったのである。大なる宝庫は、困難に打ち勝つ勇気と忍耐とをもって努力する者にのみ、その報酬として与えられることになっているのである。

 努力を通してのみ価値あるものが得られるように神がこの世界を計画しておられることは、努力を通してのみ、人間の魂の能力は進歩し向上するからなのである。
 初等科の学科は容易(たや)すくしてそれを学ぶに努力を要しないけれども、深遠なる真理は、初等科の容易(やさ)しい学科だけでは得られないのである。上級に進むにしたがい、学科は次第に困難となる代りに、その蘊蓄(うんちく)する真理はいよいよ宏大深遠なるものとなるのである。困難なるもののうちにこそ蘊蓄が多いのである。

 しかし人生においてわれらに課せられる学科は決して、われらの、その時の発達の程度において到達解決できないような困難なものではないのである。自分の魂の現在の発達の程度に応じて、努力さえすれば掘鑿できる程度のちょうど適当な困難さが用意されているのである。
 だから一見如何に抜きがたき困難と見える事態に遭遇しようとも、結局それらは私たちの克服し得る力量の範囲内にあるのである。それゆえに私たちは困難を決して恐れないのである。

 レジャー多すぎれば人は却って困難をつくってそれに挑戦する、そして奥穂高で遭難し谷川岳で遭難する。しかし私たちは、もつと生き甲斐のある人生行路の峻峰(しゅんぽう)に挑戦して、ついに困難を克服することを喜びとするのである。この力と自覚を与え給うたことに対し神に感謝いたします。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ありがとうございます。合掌

1666みすはなまる:2012/11/13(火) 17:12:51 ID:Nc8s0Epk

>>1658復興G様

素晴らしい雅春先生のお祈りを、ありがとうございました。

浄円月観を連想いたしました。

感謝合掌

1667復興G:2012/12/04(火) 22:50:48 ID:vWpLkCzM

合掌 ありがとうございます。

  <第9回WEB誌友会予告>

≪日時≫12月7日(金)21:30より
    12月9日(日)23:30まで
≪テキスト≫『生命の實相』第2巻「實相篇 光明の真理<下>」  p.51〜p.98
≪内容≫ 第2章 無礙自在の「生命の本性」を発揮せよ

で開催させていただきますので、皆さま、それぞれお忙しいことと思いますが、空いたお時間に、お気軽に、『生命の實相』の勉強にご参加ください。

 テキストの『生命の實相』第2巻を拝読して真理を学ぶことが目的です。自己主張や論争が目的ではありませんので、よろしくお願い申し上げます。合掌

1668a hope:2012/12/05(水) 07:25:13 ID:ueIDSztA
復興Gさま トキさま

第9回誌友会を開催してくださり、ありがとうございます。
今回も自分のペースで参加させていただき、「しっかりと「生命の實相」の真理を学ばせていただきます。
どうぞよろしくお願い致します。


わたしの愛する「生長の家」のみなさま

また、みなさまと「生長の家」の聖典、「生命の實相」をお勉強出来て幸せです。
「生長の家」に出会えたこと、みなさまに出会えたことに心から感謝しています。

感謝 合掌

1669トキ:2012/12/05(水) 16:36:05 ID:/N.xbRE.
>>1667

 ご教示、ありがとうございました。

 皆様のご参加を心からお待ち申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1670復興G:2012/12/07(金) 17:22:42 ID:vWpLkCzM

皆々さま

合掌 ありがとうございます。

本日、12月7日(金)21:30より
    12月9日(日)23:30まで
  <第9回WEB誌友会> を開催させていただきます。
≪テキスト≫は『生命の實相』第2巻「實相篇 光明の真理<下>」  p.51〜p.98
≪内容≫ 第2章 無礙自在の「生命の本性」を発揮せよ

です。

過去数回、テキストの該当部分を全部謹写して「聖典引用板」にアップさせていただいていましたが、全文アップは著作権問題がありますので控えさせて頂いて、今回より、特に話題として取り上げたい部分だけを少しずつ、ここにアップさせて頂くことにいたします。

皆さま、それぞれお忙しいことと思いますが、空いたお時間に、お気軽に、『生命の實相』の勉強にご参加ください。

1671復興G:2012/12/07(金) 17:25:39 ID:vWpLkCzM

≪テキスト 『生命の實相』 頭注版 第2巻「實相篇 下」より (1)≫
---[Page 71]---

    白墨の線も自分を縛る綱だと思えば動けなくなる

 鶏を静かに抱いて少しもその翼や足をバタバタすることができないように抱きすくめ、それを床の上に横に置いて、眼のところから床の上に白墨で一直線を引いて静かに手を離しますと、その鶏はもう起き上ることができないのであります。これはふつう、鶏に催眠術を施す方法だといわれておりますが、鶏が動けなくなったのは決して催眠術によって鶏本来の力が奪われたのではないのであります。鶏の力は外からは誰も奪っていない。鶏自身はチャンと元々どおりの力をもっている。しかしその鶏は、自身がいったん、ちっともバタつくことができないように抱かれて床の上に置かれ、あげくの果てに、目の前にありありと自分を縛りつける紐のような白線を見た、しかもその白線がジッと自分を縛りつけているらしく、なおも依然として目の前にある、そのために鶏は「今自分は縛られている」と信じ、その「縛られている」という迷いの考えに「心」が引っかかって、生まれつきの自由自在な活動ができないで起きる力を失ったのであります。

 鶏は白墨の線を見て、それが自分を縛る紐だと信じたがために、自由に起きて歩き廻ることができないのでありますが、われわれ人間はそんなバカなことにだまされはしない

---[Page 72]---
かというと、必ずしもそうではない。人間は複雑な知恵をもっておりますから複雑にだまされるのであります。われとわが学問、われとわが知恵にだまされるのであります。病理学という学問にだまされ、衛生という知恵にあざむかれ、黴菌という微生物が自分の身体に侵入したとか、不治の癌腫であるとか、その他いろいろの医学上の不治症だと宣言されると、ちょうど一本の白線を目のところから引かれた鶏のように、その生活力が立ちすくんで、出るべき生活力も出ずにズンズン衰弱してゆく。こんな人は実に危険な立場にある、ぜひとも速く真理を知らしてあげねばならぬ。あまり衰弱してしまうと生命の真理の本を読む気力すらなくなる。こうなったら、真.理はありながらその人の心に入らず、光は照らしていながら心の扉が閉まっていてその人を明るくすることができないのであります。

 無限に生きる力はありながらもわれとわが誤れる信念で生活力が立ちすくんでしまう。起き上がる力はありながらも、一本の白墨の線に心が引っかかって起き上がることができない病人ほど実にかわいそうなものはない。どうしても病人に本当のことを知らしてあげたい。病気は無い! それは白墨で心に描いた線だ。じっさいそれはわれわれの生活力を縛る紐ではないのだ。このことを病人に知らしてあげたい。

 白墨で描いた線に縛られたつもりになっている鶏は、その白墨の線を消せばたちまち起き上がる。それと同じように、医者の診断や、徴菌が伝染(うつ)るなどという病的観念の白墨で、八方から縦横に描かれた

---[Page 73]---
線に縛りつけられたつもりになって、いくらでも出せば出る生活力を自分の「心の迷い」で出ないようにしている病人には、医者の診断や、黴菌病原説がけっして本当の実在を示すものではないぞ、医者は心の迷いの影が、肉体という鏡のここにこう映っているということを診断するだけであって、何もそこに本当には病気というものが実在するのではないぞということを知らしてあげることができれば、たちまちその病人は白墨の線を消されて起き上がる鶏のように起き上がるのであります。

 先日生長の家の二月の例会のあった時に、和歌山の井内章二君が来られての話に、同君の親しい友人に、長い間ある慢性病にかかって熱がなかなか下がらなかった人があったので、雑誌『生長の家』の(第一集)第六号を一冊送ってあげたら、それを読むと急に熱が下がって気分がよくなったといってその人から喜んで来られたそうであります。

 「自分を縛りつけている病気というのは本当の紐ではない白墨の線なのだ。その病気というのを本当の紐だと思うものだから自分は起き上がる力を失つてしまっているのだ。白墨の線そのものに自分を縛る力はない。縛る紐がここにあるという迷いの心、病気がここにあるという『迷いの心』が自縄自縛となって自分の天から授かった本然の生命力を弱らしていたのだ。なるほどそうであった。自分の生命は神よりこれを享く、病気になるはずはないのであった。」こう豁然大悟せられた方は、真理の書籍を一冊読むだけでも効果があらわれて来るのであります。

 しかし、真理の書籍を
<つづく>

1672復興G:2012/12/07(金) 17:26:36 ID:vWpLkCzM

≪テキスト 『生命の實相』 頭注版 第2巻「實相篇 下」より (2)≫

---[Page 74]---
読んでもそう端的にパッと真理がわかる人ばかりではない。「あんなにあの人はこの紐を白墨で描いた線だというけれども、白墨で描いた線なら、始めから自分をこんなに縛っているはずはないではないか。今まで自分が縛られていたということが、この紐が白墨の線でない証拠である。」こんなことを考えて、なおその白墨の線を本当の紐だと疑っている間は、いつまでたってもやはり白墨の線に縛られていなければならないのであります。

 それと同じことでありまして、「この本には病気は心に描いた影だと書いてあるが、影ならばじっさいに自分が衰弱するはずがない、こんなにじっさいに咳が出るはずがない。それだのに、こんなにじっさい頭が痛いではないか。こんなにじっさいに熱が出ているではないか。このじっさいが影であるはずはない。」こういう疑いを心に懐(いだ)いている人は自分の現在の動けない容体を証拠として、白墨の線を実際の紐だと主張する鶏と同じであります。

 自分の現在の容体は、自分の「心の迷い」――鶏ならば「自分を縛る紐が実在する」という「心の迷い」、人間ならば、自分を病気にする力をもった何かが自分のほかにあるという「心の迷い」――の影でありますから、「心の迷い」の影をもって自分を縛る紐や病気の客観的存在を証拠だてるわけにはゆかないのであります。

    自分の心以外に自分を病気にする力のあるもの無し

---[Page 75]---
 たいてい病人というものは、自分を病気にする力をもった何かが自分以外にあって、それが何か自分に禍いしているように考えたがるのでありますが、じっさいは白墨の線に縛られた鶏と同じで自分の「心」以外に自分を病気の容体にするものはないのであります。つまり「心」がある一つの「迷いの念」にひっかかって生命本然の自由性を失うところに、その「心の影」としていろいろの病気の症候があらわれることになるのであります。

 漠然として病気にかかったその時に、医者に診てもらって、ここがこう悪いぞと宣言してもらうことはハッキリと目に見えるところに白墨の線を引いてもらうことになるのであります。

 たとえば、あなたの病気は胃癌であるといわれる。あるいはあなたの病気は肺尖カタルだといわれる。たいていの病人はこういう宣告を聞かされると、表面は平静のようでも急に容体が悪化する。これはなぜかというと心の目の前にハッキリ白墨で線を引かれたためにますますそのことが気にかかり、そこに「心」がひっかかり、しじゅう病気の名前を思い、絶えず病気の場所を気にし、いよいよ「迷い」を深くしてその「迷い」の影として病気の徴候を重らせることになるのでありますが、心をその病気から放ち去れば病気の徴候もしだいに軽減するのであります。

 むろん、その人が医学的に診断してみて、すでに胃癌の徴候があり、あるいは肺尖カタルの徴候があったりするならば、その人の「表面の心」が知ると知らぬとにかかわらず、そ

---[Page 76]---
の人の「奥底の心」はすでに「迷い」というものにひっかかってそこに滞っておって、かつて自分の心の底に植え付けられた「病気の心的種子(たね)」に養分を与えているのであります。そこへもって来て「表面の心」にまでもその病気の存在を知らせれば、「病気の心的種子」はいっそう栄養を供給されて加速度をもって生長するのであります。

 最も善い方法としては、人間の本性は神の子であり、決して病気にならないものであること、病気になっている最中ですらも「本当の自分」は決して病気でないこと、ただ病気だと信じ、迷い、ただ迷うている信念だけが病気を妄想して、その「妄想」を肉体という鏡に映し出しているのだという真理を、いく回でも生長の家の本を読んで、心の底にたたみこみ、潜在意識のうちにある病的観念を照破して本来の無に帰せしめれば善いのであります。

 こうして、病気の心的種子が無くなれば病気は根本的に枯れて再び芽が吹いて来ようがないのであります。

1673復興G:2012/12/07(金) 17:38:40 ID:vWpLkCzM

まずは、上記のところを拝読して、お感じになったことなどを発表することから入りたいと思います。が、
上記以外でも、疑問に思うことや、ぜひご発表になりたいことがありましたら、ご遠慮なく、ご投稿ください。

ありがとうございます。

1674復興G:2012/12/07(金) 17:49:49 ID:vWpLkCzM

開会時刻が近づきましたら、どなたか開会の祈りの言葉を書き込んでくださいますよう、お願い申し上げます。

1675トキ:2012/12/07(金) 18:00:39 ID:oJHbsaTc
復興G様

 ご多忙の中、ご指導を頂戴できる事に心から感謝申し上げます。

 本日もよろしくお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

1676トキ:2012/12/07(金) 19:16:33 ID:oJHbsaTc
信仰生活の神示

 信仰生活とは、無用意の生活ではない。
すべてに於いて完全に用意されている生活である。
凡そ信仰生活はど完全に用意されている生活はない。
それは心が完全に用意されているだけでなく、物質にも完全に用意されている生活である。
物質は心の影であるから心が完全に用意されているとき物質も必要に応じて完全に与えられるのである。
家庭は一つの有機体であるから、良人が明日の用意をしないときには妻が明日の用意をするようになる。
妻が明日の用意をしないときには良人が明日の用意をする。
右の手が利かなくなったら左の手が利くように成るのも同じことだ。
それは自然の代償作用でそう成るように計らいがあるのである。
それは有難い自然の計らいであるから、夫婦互いに感謝するのが好い。
信仰生活とは明日の用意をしない生活だと思って、明日の用意をする配偶を信仰がないと思って夫婦が争う信仰深い家庭があれどもみんな誤った信仰である。
「明日のことを思い煩うな」という意味は、「明日の用意をするな」と言うことではない。
信仰生活とは冬が来てから綿入を縫えと言うような生活ではない。
秋から冬に要る綿入を縫うて置いても、それは「取越苦労」ではない。
心が整えば秋から冬に要るものがちゃんと判って、自然法爾に其の要る物を用意したくなるのである。
自然法爾と言うものは、外から自然に与えられることばかりではない、内から自然に催して来るこころの中にも自然法爾がある。
心が乱れて病気になったときに心が調えばその病気を治すに適当な食物が欲しくなるのも自然法爾である。
野の鳥も卵を産む前に自然に巣を作りたくなる。
卵を産む前に巣を作っても小鳥は取越苦労をしているのではない。
「生長の家」の生活は物質に捉われない生活だと言っても、物質をきたながる生活ではない。
金銭を穢いもののように思ってそれを捨てねば気が安まらぬような心も物質に捉われているのである。
物質は影であるから綺麗も穢いもない。
卵を産む前に小鳥が巣を造りたくなるように自然に用意をしたくなる時には内からの囁きに導かれて好い、心が調えばその心の展開として用意すべきものは適当の時に用意したくなる。
全て用意するものを信仰浅きものと思うな。
用意しないで取越苦労をしている生活もあれば、取越苦労をしないで自然に用意している生活もある。

(昭和6年12月5日 神示)

*本日は12月7日ですが、「信仰生活の神示」があまくだった日に近いので、web誌友会開催にともない謹写させていただきました。

1677SAKURA:2012/12/07(金) 20:05:04 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

本日、12月7日(金)21:30より
   12月9日(日)23:30まで
  <第9回WEB誌友会> を開催させていただきます。
≪テキスト≫は『生命の實相』第2巻「實相篇 光明の真理<下>」  p.51〜p.98
≪内容≫ 第2章 無礙自在の「生命の本性」を発揮せよ (抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

❤〜早いもので、今年最後の【WEB誌友会の開催…】御連絡を頂きまして、感謝申し上げます。

「復興G様」から「生命の実相」のテキストの該当部分の掲示を頂きまして、私なりに、勉強
させて頂く機会を頂きました事は、振り返りますと、今までの「生命の実相」拝読の時とは
また異なる「雅春先生の言葉」に、此処は今回“私の心情”と、ピッタリ〜此処も〜この様に…
云々…とか?当に【 生きた生命哲学…真理 】を、学ぶことができま機会を頂きました
この【2024年度…】だと思いました。

今回、雅宣先生擁護派ですが、時間の合間にて“参加”させて頂けます機会を、頂けましたら
幸いです。何卒宜しくお願い申し上げます…。(遅くなりましたが…)
                               再合掌


PS:昨日は、此処FUKでは一部“みぞれ”が〜〜〜くれぐれも“お風邪”を引かれません様
にお祈り申し上げます。尚!先程【地震速報…】がありましたが???如何でしたでしょうか?

1678NANCY:2012/12/07(金) 20:23:09 ID:jH5uEFzM

復興G様 ヘ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【NANCY】と申します。

はじめての“参加”を…させていたきますので、何卒宜しくお願い申し上げます。
尚!只今頂きました“テキスト…勉強中”ですので、ワンテンポ??づれるかもと ><
正直申しますと“不安!〜〜〜ファ〜〜〜ン!”なので〜〜〜すが?

                                再合掌

1679トキ:2012/12/07(金) 20:52:46 ID:oJHbsaTc
>>1677
>.11768

 ご参加を心から歓迎申し上げます。

 よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

1680復興G:2012/12/07(金) 21:01:43 ID:vWpLkCzM

第9回WEB誌友会開会30分前になりましたので、「準備祈願」としての祈りの言葉を、前回同様に掲載させていただきます。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

(準備祈願)
 住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。

  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ

  住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける 今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。

  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。

  今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。

  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます


世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

1681復興G:2012/12/07(金) 21:04:19 ID:vWpLkCzM

    新しき天地に生まれる祈り

 生れ変りの時が来たのである。われわれは自分自身が先ず生れ変ることが必要なのである。自分自身の心が生れ変ることが必要なのである。釈尊の説かれたごとく、この世界はことごとく自分の心の展開であるから、自分の心が生れ変ることは自分の環境が一変し、自分の生活が一変し、自分の肉体の健康が一変することを意味するのである。

 われわれが心に強く描いてそれを見つめるところのものが現象界にあらわれてくるのである。これが現象顕現の法則である。だから私たちは、人を見るのに、人を悪人だと見て、それを善導しようなどと思っては、決して相手の人々を教化して善ならしめることはでさないのである。“悪人”と見れば、そしてその人の“悪”を心で見つめれば、悪は一層ハッキリと現象化しきたって収拾がつかなくなるのである。

 だから私たちは決して人の“悪”をば、肉眼が見ることがあっても、心では見ないのである。そして彼は実相においては善であり、彼の内には釈尊同様に仏性が宿っており、キリスト同様に神性が宿っているのだと見て、心で合掌し礼拝するのである。

 私たちは自分自身が自分の心で善のみを見ることができるようになったとき、環境も運命もただ“善”のみの展開としてよくなるよりほかはないと知るのである。

 私たちは、まず心を神に振り向ける。心を神に振り向けるとき、この世界に神があらわれるのである。神は善であるから、この世界に神があらわれれば、この世界は善のみの世界となることは当然であるのである。神は病まないのであるから、心を神にのみ振り向けるとき、自分たちは病むことなき状態に到達し得るのである。

 心を神にのみ振り向けるとき神は乏しくないのであるからわれわれも求むるのに乏しいということはあり得なくなるのである。

 心を神にのみ振り向けるとき神は老いないのであるから、われわれも老いるということが無くなるのである。

 すべての病い、貧乏、不幸、老衰等の悪現象は神の造りたまうたものではないのであって、人間の消極的想念の産物であるのであるから、われわれが心を神に振り向けるようにのみ心がけるならば、すべての悪現象は私たちの世界から姿を消してしまうようになるのである。それはあたかも光の照るところの世界には闇が存在し得ないようにである。

 われわれは遷(うつ)り易(かわ)る現象の善悪に心を捕えられてはならないのである。遷り易るものは本来実在でないから、先のものが消えては、次のものがあらわれ、あらわれてはまた消えるのである。われわれはこの遷り易る現象世界に住みながらも常住不変のただ善のみの世界を諦観するとき、このうつり変る現象世界に「永遠の善の世界」が影をうつして、現象世界に、ただ善のみの世界が展開する。これが地上に永久平和の天国楽園を建設する唯一の道なのである。

 この真理を知らせ給いし神に対して深く篤き感謝をささげます。

1682トキ:2012/12/07(金) 21:07:37 ID:oJHbsaTc
 復興G様、本日もご指導を宜しくお願いいたします。

1683復興G:2012/12/07(金) 21:28:23 ID:vWpLkCzM

トキ様

ありがとうございます。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

1684トキ:2012/12/07(金) 21:34:32 ID:oJHbsaTc
復興G様

開会の祈りは、

>>1680

でなされたと考えてよろしいでしょうか?

1685志恩:2012/12/07(金) 21:35:50 ID:.QY5jUA6
復興G様、トキ様、皆様

ご指導、感謝いたします。
今回も、勉強させて頂けて、うれしいです。
皆様、どうぞ、ご発言くださいませ。

1686如月:2012/12/07(金) 21:38:12 ID:ki/haAjk
聖経『続 真理の吟唱』より、「愛の絶対価値を高揚する祈り」


★★★愛の絶対価値を高揚する祈り★★★

今ここにわれは生きているのである。”生きている”とは何と神秘なることであろうか。
わたしが生きているということは、決して物質の機械がここに動いているということではないのである。
考える力が生きているということである。
愛する力が生きているということである。
知る力が生きているということである。
よそずのものと調和し、調和せざるものを排出し、矛盾を克服し、混乱を鎮定し、更に一層大なる
価値を生み出す不思議なる力がいきているということである。
 私は今、この不思議なる偉大なる力を尊敬し礼拝するのである。
私が今此処に生きているということは、この不思議なる神秘力が生きているということである。
この神秘力を私は”神”として讃えるのである。
それは物質の光がなくとも見ることが出来る力である。
それは電灯も、何の灯明もない胃腸の中で、食物として摂取した色々の成分を分類し、選択し
必要なるものを吸収し、不必要なるものを外に送り出すところの、それは見ずして見る力であるのである。
 私が今此処に生きているということは、この不思議なる神秘力が生きているということである。
物質の力は、物質的法則と、化学式に従って機械的に動いて行くに過ぎないが、この神秘力は
物理化学の法則を利用しながら進んで行くが、自由意志を備えていて、法則をのり越えて
新たなる独特の個性ある価値を創造する力である。
それは、他の人とは異なる個性ある血液型をつくる力であり、個性ある指紋をつくる力であり
一点一画を描いても、その”点”にも”線”にも個性を示す不思議な力であるのである。
 単なる物質は個性のない類型をつくるが、生命は単なる類型をつくることは決してないのである。
人間は絶対者の個性的表現であるから、よく似た顔をしているようだが、悉く個性の異なる
顔貌を備えているのである。
一本の樹木の単純な葉ですらも、一枚一枚個性の異なる葉脈をその葉の上に描くのである。
それは類型がないから、他に似たものによって代換えすることが出来ない。
その一つが減ずることは、かけ換えのない絶対勝ちが一つ減ることになるのである。
 生命の神秘、不可思議なる価値は、そのかけ換えのない絶対なる創造力に存するのである。
その一つすらも減ずることは絶対価値が減ずるkとに成るのであるが、絶対価値は、絶対であるが故に
減ずることも減することもあり得ないのである。
減じたり滅したりするものは、すべて相対価値のものばかりである。
貯金として貯えられたる貨幣の価値は、相対価値であうrが故に、物価との相対的比較上
減って行くのである。
しかし人間が誰かを”愛”したという”愛”は絶対価値であるが故に、その”愛”は永遠に
滅することも減ずることもないのである。
 日本国民が国家を愛して国家を護るためい戦った。
その”戦い”という行為は、対手(あいて)があり相対的なものであるから、立場立場の異なる
人々によってその価値・不価値を色々に評価されるけれども、その”戦い”という相対的行為の
奥にあるところの日本国民が天皇を愛し大日本帝国をあいしたというその純忠なる”愛”の
価値は相対的比較を絶した絶対なるものであるから、肉体をいう相対的存在が滅びても
永遠にその”愛”の価値が滅びることはないのである。
純粋の愛は、絶対者に属し、絶対界より出でたるものであるが故に
それは永遠の価値をもっていて滅びることはないのである。

1687SAKURA:2012/12/07(金) 21:38:26 ID:jH5uEFzM
トキ様 ヘ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】 そして【NANCY】です。

遅くなりましたが、今回の【WEB誌友会】何卒宜しくお願い申し上げます。
余談ですが?
只今!此方は【雷鳴…】が〜〜〜♫〜ゴロゴロ〜♫〜〜〜すごいのです。…が??
まるで?まるで?〜〜〜多々なる連想を、言い訳ではありませんが“ツイツイ…”して
しまいましたかと。(○○○○合戦???)でしょうか〜〜〜☆  
  再合掌

1688トキ:2012/12/07(金) 21:38:31 ID:oJHbsaTc
志恩様、ご参加を心から歓迎いたします。

他の皆様もどんどん、ご参加下さい。

1689トキ:2012/12/07(金) 21:39:28 ID:oJHbsaTc
如月 様、聖経『続 真理の吟唱』の読誦、心から感謝申し上げます。

1690如月:2012/12/07(金) 21:39:31 ID:ki/haAjk
開会に間に合わなくてすみません!
一週間ぶりにPCを奪取しました!

バタバタしてすみません。
よろしくお願いします

1691トキ:2012/12/07(金) 21:44:33 ID:oJHbsaTc
 では、復興G様、よろしくお願いします。

1692NANCY:2012/12/07(金) 21:57:56 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【NANCY】と申します。

頂きました≪テキストの「生命の実相」第2巻…≫の中から、
■【 無礙自在の「生命の本性」を発揮せよ 】この冒頭から拝読させて頂きますと…
「雅春先生…」の【分析…】の素晴らしさ!本当にそうなのですネ!今回のテキスト該当部分…
驚く事ばかりでしょうかと……

❤〜大まかに“ピックアップ…”しますと…冒頭の「雅春先生」の言葉から……
肩こり…
血液の滞り…
生理的状態が暗示により感染する… 云々…

■この頃、冬場になりますと個人的ですが…潜在意識の中に【風邪…】が、浮かんでしまいます。
今回、復興G様のテキストの中から…下記にて抜粋なのですが?
〜〜〜【抜粋文】〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
---[Page 72]---
かというと、必ずしもそうではない。人間は複雑な知恵をもっておりますから複雑にだまされる
のであります。われとわが学問、われとわが知恵にだまされるのであります。病理学という学問
にだまされ、衛生という知恵にあざむかれ、黴菌という微生物が自分の身体に侵入したとか…
…云々…
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

此処の文章が?特に、目に留まりましたかと。
つまり「化学的?医学的?」そして【信仰…】との関係は如何かと???只今思考中でしょうか?
テキストの冒頭からも含めまして…
                              つづく

1693いきなり訂正:2012/12/07(金) 21:58:59 ID:ki/haAjk
謹写後、見直さず投稿して申し訳ございませんでした。

★愛の絶対価値を高揚する祈り六行目
      よそずのものと調和し←×
      よろずのものと調和し←○

。..。.:+・゚・*:.。..。.:+・゚・*:.。..。.:+・゚・*:.。..。.:+・゚・*:.。..。.:+・゚・*:.。..。.:+・゚・

復興Gさま。
トキ管理人様はじめ皆様よろしくお願いします。
NANCYさま、はじめましてですね。 よろしくお願いします。

1694トキ:2012/12/07(金) 22:01:07 ID:oJHbsaTc
 生命の実相第2巻を拝読して、鶏の話が出てきましたが、私は小学生のころに鶏ではなく、ウサギの飼育係をしておりました。
で、ウサギというのも面白い生き物で、自分が通り道が決まっていて、其の道しか通らないのです。で、小学生ですから、ウサギ
を驚かすと、ウサギが逃げるのですが、その逃げる道が決まっています。で、どの道を通るか判ると、その道で先回りして、
ウサギが来るのを待っています。すると、ウサギはこちらが待っているのを知っているのに、必死で走ってきます。もちろん
そうすると、待ち伏せをしている私に行き当たるので、捕まります。

 ウサギは、この道でなければ成らない、とこだわって、簡単に捕まってしまう。これが、野生でしたら、このウサギは
いっぺんに餌になってしまいます。そう考えると、こだわるという事は、恐いことだなあ、と感じます。

 おそらく、このウサギや鶏同様、人間はもっと複雑に、思い込みが激しいのだと思いました。

1695SAKURA:2012/12/07(金) 22:06:32 ID:jH5uEFzM
復興G様 ヘ  トキ様 へ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

頂きました【今回のテキスト該当部…】から、個人的ですが…冒頭から勉強・投稿形式を
取らせて頂きます。

■第二章 無我自在の「生命の本性」を発揮せよ
❤心を肉体に引っかからせるな
=====【生命の実相 2巻から抜粋 】======================== 病気にかかるとすぐ医者のところへ駆けつけて、胃が悪くないか、心臓はよわっていないか、
肺臓にラッセルでも聞こえていやしないかいろいろと詳しい説明をききたがる人がありますが、
…云々…「人類的恐怖がありますかので、その恐怖を「肉体なる影」に映し出していよいよ本
当に肺臓の組織まで悪くしてしまうのであります。心が肉体の生理作用に及ぼす影響は実に恐
ろしいものがあります。〜〜〜たとえば我々が肩に力が入れれば肩がこります。肩が凝るとい
うのは血液が肩に滞って新しい血液と入れ換わらないことをいうのであります。〜〜〜云々〜〜
心が上の方に集注しているから肩におのずから力が入るのであって、決して「筋肉」という物質
が、物質自身の作用でそこに力を入れるというわけではないのであります、心が持とうと思わな
い限り、どうしても鉛筆一本でも持てないでありましょう。で、われわれが肩に力を入れたとい
うのは「心が」肩に力を入れたことであります。「心」が肩に力をいれたとき何が起こるかといい
ますと、「心」の影として最も最初に鋭敏に「心」のとおりに動き出すものは血液なのであります。血は生命の根源ではなく、「心」の作用に最も感じやすい「心の影」なのであります。完全に
血があっても心が死ねば、その人が死ぬ実例は前章にたくさんあげておきました。ただ血は影の
形に添うがごとく心の行くところに添うので、血は古来から霊性があるように思われて、
日本の古書には「霊」のことをチと読ませたところがあります。  (谷口雅春著)                          
============================================

■そうです〜〜〜ョネ!!心に暗示をかける事でしょうか???そう【アラジンのランプ…」で〜
♫〜ごまひらけ〜♫〜と…心に入れ込む事ですョネ???さらに決めつける「心」からは、何も
生まれないようにも思えます。たとえば”悪口”ばかりいいます人は、寄ってきます人も、
それ好みの方が仲間にでしょうかと???【類の法則…」も、単に”モノ”だけではなく、そう
【心の法則の類の仲間】同士にも、云えます事ではと思えます。当に……!!
❤〜【すべてが”こころ”で決まる】事なんでしょう〜〜〜ネ!!!今回、ここでも”固定観念”
で決めつける方が、いらっしゃいます様に思えます。この人は〜〜〜と>< 自分の狭い心で
相手を服従させるような表現が多いです〜〜〜ョネ!そのような時の私の心は、確かに、一瞬!
萎縮して構えます。…が?

■ここが“ミソ”で、まずは、何も自分は変わらないのだから、つかむ事もない!!!と…
”心…”で思いますと、まるで〜まるで〜澄みきった気持ちに、なりますかと。

更に!どうしても落ち着かない場合は、そう〜〜〜【神想観…」が一番”ピッタリ”でしょうか?

余談ですが?最近!過去を振り向いている自分がいます。そのような時【心は反省…」ばかり><
更に、このような人間に出会ったおかげで”私は聴力喪失になった事”…許しがたい!!この考え
は、本来の私自身は”楽観主義的思考”なのですが、現在の私に取りまして…あまりにも執拗な
相手の尾行…これも今まで考えなかった事ですから、【心が過去に…タイムマシ−ン】です。

■振り向きますと”過去”にとどまり”前進…”は、ないのです〜〜〜ョネ!!でも少しは、
その過去の【業…】に対しての清算カモ??そうしますと必要な事カモ??と、今の私は、
【強い信念…】で、過去の資料を調べているところです〜〜〜が???

今回頂きました【テキスト該当部分の冒頭から…】
当に【全て…”こころ”で決まる人生とは?全て自分自身の”こころ”で決る。決断!】かと…
あらためまして、思いました。…が???■■【 心の法則 】なのですネ!

1696復興G:2012/12/07(金) 22:34:59 ID:vWpLkCzM

>>1686 :如月様
聖経『続 真理の吟唱』より、「愛の絶対価値を高揚する祈り」はすごい祈りですですね。

SAKURA様、NANCY様、トキ様、ありがとうございます。

 「現象本来なし」だから、引っかからないことが大切、ということですよね。

 「心の法則」というのも、「現象の心」は「ない」ものですから、「神の心」を出してくることによって初めて現象を支配することができるのだと思います。

 私は、テキストの>>1671>>1672にアップされた御文章を拝読して、思いましたことは、この「鶏の目の前に描かれた白墨の線」という譬えに合致するのは、肉体の病気の症状だけのことではない、「現象が不完全に見えること」はすべて「白墨の線」と同じではないかと思いました。

 「不完全が自分の外にある」と思って悩むことは、すべて「白墨の線」であって、本当にあるものは、神と、神より出でたる完全なもののみである、ということです。

 「榎本恵吾記念館」サイトに、新しく「文書館12 幽斎殿Ⅴ」というのがアップされたようです。
そこに、次のように書かれていました。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 生きていること自体が自分ではなく神であり給うのである。自分は無いのである。自分は全くのゼロであるのである。自分が存在すること自体が神であり給うのである。神は“汝は吾れであり、吾れが渾べての渾べてである”と愛し、拝し、観じ給い、吾れとなり給いて神ご自身を生き給うているのである。……(「榎本恵吾記念館」サイトの「文書館12 幽斎殿Ⅴ」より)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「私は、ないのである」
 「全てが、私である」
 「ただ、神のみである」

 ということですね。
 榎本先生はまた、次のようにも書かれています。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「神の国は汝らの内にあり」とは「神とその国は汝が生めるものなり」ということなのである。すべて「内」とは「吾が生めるもの」という意味なのである。

 「吾が内なる中心に神います」ということは単に自分は神を中心に入れている入れ物であるにすぎなく、入れものと中身とは依然として異質なるものである、ということではなく、自分のいのちが中心に神を生んだのであり、自分のいのちそのものであり、自分そのものであるという意味であり、自分と中身なる神とは等質、同一であるということでなければならないのである。等質、同質であればこそ、神を吾が内に生むことの出来る“I AM”なのである。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――これは、すごいことだと思います。

1697SAKURA:2012/12/07(金) 22:40:26 ID:jH5uEFzM
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>> 1694トキ様より(抜粋…)
>【おそらく、このウサギや鶏同様、人間はもっと複雑に、思い込みが激しいのだと思いました】<

❤〜そうです〜〜〜ョネ!本当に思いこみで「人間関係…」が、おかしくなったり、どうかしま
すと【犯罪事件…殺人】でも?起きたりでしょうか???ほとんどが、これが原因でしょうか?

今回、私も「トキ様の言葉」より感じました事は【人間の思い込みは、複雑?激しい?モノ】で
しょうか???そうしますと、例えば……この人は”悪い人間”と、思い込みますと〜〜〜?
いつまでも!いつまでも!それを捕まえるまでの”永遠の状態”でしょうか??
もしくは、ストップに到るには【犯罪事件…」のどちらかの選択肢でしょうか?

■これは”道徳的”にも…”人間的”に考えても、正直”腑”に落ちませんです〜〜〜ョネ!
                                  再合掌

1698復興G:2012/12/07(金) 22:43:09 ID:vWpLkCzM

如月さまが謹写して下さいました「愛の絶対価値を高揚する祈り」では、

≪人間が誰かを”愛”したという”愛”は絶対価値であるが故に、その”愛”は永遠に
滅することも減ずることもないのである。
 日本国民が国家を愛して国家を護るためい戦った。
その”戦い”という行為は、対手(あいて)があり相対的なものであるから、立場立場の異なる
人々によってその価値・不価値を色々に評価されるけれども、その”戦い”という相対的行為の
奥にあるところの日本国民が天皇を愛し大日本帝国をあいしたというその純忠なる”愛”の
価値は相対的比較を絶した絶対なるものであるから、肉体をいう相対的存在が滅びても
永遠にその”愛”の価値が滅びることはないのである。
純粋の愛は、絶対者に属し、絶対界より出でたるものであるが故に
それは永遠の価値をもっていて滅びることはないのである。≫

というところに、格別の感銘を受けました。

ありがとうございます。

1699復興G:2012/12/07(金) 22:59:13 ID:vWpLkCzM

>>1694 :トキ様
>>1697 :SAKURA様

>> ウサギは、この道でなければ成らない、とこだわって、簡単に捕まってしまう。これが、野生でしたら、このウサギはいっぺんに餌になってしまいます。そう考えると、こだわるという事は、恐いことだなあ、と感じます。
 おそらく、このウサギや鶏同様、人間はもっと複雑に、思い込みが激しいのだと思いました。 <<

――考えさせられますね。

「現象あり」と見ていると、どうしても、「思い込み」が激しくて、そこから抜け出しにくい。常に「現象なし」「自分はないのである」「ただ神のみ」の自覚に立ち還らなければ、「思い込み」を持ってしまう危険性がありますね。
自戒しなければならない、大切なことだと思います。


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