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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2
2424
:
a hope
:2014/09/26(金) 09:14:17 ID:cEpBaIdo
>>2418
>>2419
仏心さま こちらの方が質問内容を詳しくご説明くださっているのでこちらでお返事させていただきますね。
(web誌友会板での仏心様ご質問⑲)
智慧の言葉にある『宇宙には唯一つの實在がある。それは「永遠の我」という実在である。』と云う時、
「自分は阿弥陀仏と一体である」「全体の生命と一体である」と云うように「自分」と「阿弥陀仏」とか「全体の生命」と「一体」とかいうような、
「自分」とか「一体」とかの感覚が存在しますか?
私は「「無我」「無心」でいるときには「自分」「一体」とかの分離感はありません。
「個性」をどういう意味で使っているかが問題でしょう。
「個性」を「個性生命」と同義語として同一文で使うことがマジックに感じるのです。
( ⑲へおa hopeのお答えと
>>2418
>>2419
の仏心さまへの反論)
わたしは「神想観」をしているときに、無我・無心に近い状態になってすばらしい幸福感を感じることはありますが、
「阿弥陀仏と一体である」とか「全体の生命と一体である」という境地にはなったことはありません。
ですから、その感覚はもしかしたら仏心さまの
<<私は「「無我」「無心」でいるときには「自分」「一体」とかの分離感はありません。>>
という感覚に近いのかもしれませんね。「ただ、ただ、すべてに感謝している。」みたいな感じです。
そして、仏心さまは「永遠の我」の話をされた後に「個性」という言葉の使い方に言及されていますが、
もしかして仏心さまがご主張されたいのは、「実相世界の状態や悟りの感覚は絶対的だから、
その世界のことを精確に言葉で表現しようとするのは不可能だ」ということなのでしょうか?
だから、それをされている雅春先生のことをご都合主義だとか、言葉のマジックを使っているなどとご批判するのですか?
たしかに、絶対的な実相世界の状態やお悟りの感覚を、制限のある現象の言葉で表現しようとすれば、
その内容はすべて相対的に相手に「真理」を伝えるための方便となってしまいます。
(このことは、聖典のどこかでも説明されていたと思います。)
だから、「個性」という一つの言葉であっても、読者に「真理」を伝えるための方便として使われるのですから、その時の状況により、
ある時はある時は
>>2418
の❶ ❷のように神の子人間の「使命」という意味になるでしょうし、またある時は❸の現象人間の「性格の特徴」という意味になったりするのだと思います。
ですが、わたしはそのことには何の違和感もありません。
なぜなら、一方の真理は縦の真理(唯神実相)を伝える方便として、もう一方は横の真理(心の法則)を伝える方便として使われているからです。
そして❹に関しても、トキさまご紹介のそのページは「第七章 家庭の宗教生活化」p93の中の文章で、
これは明らかに横の真理であり、心の法則を家庭生活でどう生かすかを説明されている文章だと思います。
仏心さまは、縦の真理と横の真理を混同して解釈されようとしているように思われます。
テキストを通読せず、一部の文章だけ抜粋しながら拝読すると、たいへんな解釈間違いをしてしまうことにもつながるのではないでしょうか?
生長の家の根本真理である「唯神実相」と相反するような思想、「唯物論」「共産主義」「二元論」等とは、
少なくとも「生長の家」の教えを信仰する者であれば絶対に和解してはならないならない「虚説」だとわたしは信じています。
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