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本流対策室/2 板
918
:
初心者
:2012/04/27(金) 10:41:12 ID:TfQ0e6RA
さくら様
>「言葉には、意味がない。あるのは、差延である。」
これも、言語学の基本にあるのだと思いますが。
言語学の方が、ロゴス中心主義になってしまった宗教よりも、
ほんと、仏教的な法則?に近いような気がしています、
初心者さまが「ソシュールは仏教のパクリだ」って言われている、と仰っていたように、
ソシュールから始まる言語学の、現実の把握の仕方の方が、
ロゴス中心主義に陥った宗教組織より、
もしかしたら、「宗教的」に言い当てているのかもしれませんね、。
そうですね。たしかに、言葉以前にあらかじめどこかに意味が存在していて、
言葉はその意味を言い当てている、とする考え方は(これをわたしは「思い込み」
と表現しておりますが)、たしかに二元論的な世界観を形成するロゴス中心主義
に陥りやすいものですね。
言葉を離れたところに意味があるとする考え方は、必然的に、言葉を離れた
ところに絶対的真理があるとする思考にたどりつきますね。そうした思考に
たどりついたうえで、今度は言葉によってそれを言い当てようとします。
仏教はどうなのでしょう。絶対的真理を言葉で言い当てようとしているので
しょうか。雅春先生は、釈尊は絶対的真理にたどりついたけれども、それを
当時のインドの民衆に語るのは不可能と考えて、「苦を取り除くための教え」
を説いた、とこのように解説しておられたと記憶しておりますが、これは
はたして正しい解釈といえるのかとの疑問を持ちます。
絶対的真理とは、あくまでも「言葉を離れて意味は存在する」とする
ロゴス中心主義の考え方ですね。釈尊は、言葉を離れて意味は存在しない、
ということに気づいておられたのではないかと、わたくしは考えます。
釈尊が、絶対的真理を解かないとお決めになられたとすれば、それは
「言葉を離れたところに意味はない」ということをお気づきになられたから
ではないかと、わたしは考えます。
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