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本流対策室/2 板

916さくら:2012/04/27(金) 08:18:13 ID:tPVxKQcE
初心者さま

幾度か、お言葉頂いていて、失礼いたしました。
初心者さまがご指摘されることは、言葉の本質的な問題だと思いますし、
言葉を扱う宗教が、無関心ではいられないことだと感じています。

>ロゴス中心主義の根底にあるのは、「言葉には意味があるとする思い込み」で
すね。こうした思い込みが根底にあってロゴス中心主義は形成されてゆきます

「言葉には、意味がない。あるのは、差延である。」
これも、言語学の基本にあるのだと思いますが。
言語学の方が、ロゴス中心主義になってしまった宗教よりも、
ほんと、仏教的な法則?に近いような気がしています、
初心者さまが「ソシュールは仏教のパクリだ」って言われている、と仰っていたように、
ソシュールから始まる言語学の、現実の把握の仕方の方が、
ロゴス中心主義に陥った宗教組織より、
もしかしたら、「宗教的」に言い当てているのかもしれませんね、。

「なぜ、言葉を扱う宗教が、なぜ、ソシュールを学ばないで、否定できるんだ!」
・・とこのようなことを、初心者さまは仰りたいのではないのでしょうか、(笑)。

>ロゴス中心主義は、絶対的真理がどこかにあると考えます。そのどこかにある
はずの絶対的真理を、言葉で言い当てようとしたり、それがかなわぬときは、
霊的直観力に訴えてでも言い当てようとします。

「絶対的真理」この発想がどこから来るか、ということは、むずかしいですね、
宗教間の対立も、この「絶対的真理」のぶつかり合いという点があると感じます。

また、ご指摘のように、「霊的直感であるから、それは絶対なる真理である」、ということは、証明にはならないと理解いたします。

直感とは、正しく生活がに則ったときに湧いてくる、自分の内なる声のようなもの・・
との理解があるのですが、(それも、なんとなくやっていたことが良くなっていたというような、そういう、「なんとなく」、が、大切のような気がしています、。
そういうのを・・無為自然とか、神ながら、とかいうのでしょうか。)
霊的にかかった言葉だから無条件に信じるとか、組織の権威のある書物に書いてあるから絶対の根拠にするとか、そのようなものではないと感じてます。


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