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本流対策室/2 板
898
:
初心者
:2012/04/26(木) 09:31:39 ID:TfQ0e6RA
さくら様
「ロゴス中心主義は二元論的世界観をつくる」などと言ってもらっては、ちと困り
ます。わたしは、「生長の家はロゴス中心主義だ」と言っておりますのに、
「生長の家は一元論を説いているのだから、それが二元論を形成するロゴス中心
主義というのはおかしいではないか」と反論されてしまいそうです。ここは
ひとつ、釈明の機会を。
ロゴス中心主義の根底にあるのは、「言葉には意味があるとする思い込み」で
すね。こうした思い込みが根底にあってロゴス中心主義は形成されてゆきます。
生長の家は、「言葉には意味がある」との思い込みからスタートしておりますから、
この意味で、生長の家はロゴス中心主義とならざるを得なくなります。
言葉には意味がある、とはどういうことかと申しますと、「言葉と、それが意味する
ものは別の場所にある」ということです。たとえば、「言葉には意味がある」と思い
込んでいる人は、「カワ」という言葉と、水が流れている実際の「川」はぜんぜん
別の場所にある、と考えますね。
この時点で、「言葉には意味があるとする思い込み」は、言語的には「二元論的
世界観」を形成しているということがいえそうです(ちと苦しいかも)。
ソシュールは、「言葉とそれが意味するものは同じ場所にある」と考えますから、
一元論ですね。「カワ」という言葉と、それが意味するとされる「川」は表裏一体の
関係にあり、分離させることはできないと、ソシュールは考えます。ソシュールの
思想は、言語的には一元論的世界観を形成しているということがいえそうです
(簡単にもうせば、「川」は、「カワ」という言葉によって喚起された脳内のイメージ
ということにでもなるのでしょう。いずれにしても、これもちと苦しいかも)。
以上のことから、ロゴス中心主義は、言語的には二元論的世界観に陥っている、
ということがあきらかにいえますね。とりあえず、言語学の観点から苦しい釈明を
試みてみました。
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